木になりきれ
一月に始まり、先日で最終日でありました。
講師は、駒澤大学の小川隆先生と花園大学の佐々木閑先生であります。
私自身、お二人の先生の講座を是非拝聴したいのと、それから大学の総長という役目もあるので、参加していました。
お二方のご講演を拝聴して、大いに学び啓発されるところがありました。
私は、はじめに大学の総長として皆さんに挨拶をさせてもらいました。
本日は、お二人の先生にお越しいただいて、大相撲でいえばまるで東の横綱と西の横綱が登場したようだと申し上げました。
現代の仏教学において、東は禅学の小川先生、西は、佐々木先生とまさに東西の両横綱であります。
しかし、このお二方の研究されているのは同じ仏教でありながら、かなり異なるところもあります。
小川先生も控え室で、作用即性といって、この生身の自己の感覚動作はすべてそのまま仏だという説などは、佐々木先生からお釈迦様の教えではないといって批判されないだろうかと心配されていたほどでした。
異なるように見えて、共通するところもあります。
それは自己とは何かを探求しているところです。
お釈迦様の教えでは、自己とは、五蘊という五つの構成要素が集まって、ある法則によって関係し合っているところに表れる現象だと説きました。
肉体と感覚と表象と意志と認識の五つであります。
しかし、般若心経などに説かれているように、空の思想では、そのような分析してとらえることを否定したのでした。
空の思想は分析の否定であります。
これは何であるか、分析して区分けし解体して理解することを否定しました。
「「私」とは、「物質と精神」といった二元論はおろか、釈迦の仏教が考えた「要素集合体」という概念さえ跳び越えて、「感じとるしかない、規定不可能な一存在」ということになるのです。
『般若心経』の世界観を端的に言えば、「分析の否定」ということになるでしょう。
目の前にある存在を、「これはなにでできているのだろう」「これはどういった構造を持っているのだろう」といって区分けして解体し、その要素を知ることで、「これですべて理解できた」と納得する、そういう姿勢を否定しているのです。」と佐々木先生の著書『般若心経』(NHK出版)には説かれています。
更に、自分というのは「人智を超えた法則性によって現れ出ている、今ここにいるその存在そのものである」と解説されています。
その存在そのものを禅では仏であると説いたのです。
ただ私たちはそのことを自覚出来ていません。
そこでそのことを自覚するための訓練、方法として、分析すること、概念化すること、言葉によってとらえることなどすべてを否定することを行うようになりました。
その時に使う道具が公案であります。
公案の工夫によって思慮分別、思考、概念化などをすべて否定してしまうのであります。
趙州和尚に『イヌに仏性は有りますか』と僧がたずねたところ、趙州は『無』とこたえました。
この無とは何かと参究させるのであります。
これは、無についてあれこれと見解を述べるものではないのです。
思慮分別を断ち切ってゆくのです。
その様子を無門禅師は
「三百六十の骨と八万四千の毛孔を挙げて、全身まるごと疑いのかたまりとなり、ただひとつの無字に参じて、昼となく夜となくこれを引っさげよ」
というもので、
「虚無の無であるとか、有無の無であるといった理解をしてはいけない」とも言われているのです。
ではどうすればいいのかというと只ひたすら無になりきるのみなのです。
今回小川先生は、「柏樹子の歴史ー禅の問答を読む」と題して柏樹子の問題をとりあげてくださいました。
これは『無門関』第三七則に「如何なるか是れ祖師西来意」 州云く、「庭前の柏樹子」とある公案です。
祖師西来意とは、小川先生は、達磨大師がインドから中国にやって見えた意ということで、それは馬祖禅師が、「汝ら諸人、各おの信ぜよ、自らの心是れ仏、此の心即ち是れ仏なり」ということを伝えたのだと説かれていることを紹介してくださいました。
この問答について小川先生は『趙州録』には、
「如何なるか是れ学人の自己」という問いになっており、そしてまた趙州和尚の答えも「還(は)た庭前の柏樹子を見る麽」となっていることを示してくださいました。
自己とはと問われて、柏樹子が見えるかと問い返したのでした。
柏樹子を見ているもの、そのものが仏であるということです。
眼でものを見、耳で音を聞いている、そのものが仏性だという教えなのです。
そんな唐代の禅を日本の江戸時代に再現したようなのが盤珪禅師です。
盤珪禅師のお説法を聞こうと集まっている人たちも、特別烏や雀の声を聞こうとは思っていなくても、外で烏や雀が鳴くとちゃんと烏の声はカーカーと聞こえるし、雀の声はチュンチュンと間違わずに聞こえています。
それが仏心のはたらきであるというのです。
宋の時代になると、公案という歯の立たない、解釈のしようも分析のしようもない、無意味の問題に全身全霊でとりくんで、ありのままの自己を打破して悟りを開くという教えとなってゆきました。
私たちもその宋の時代の修行を受けついでいるのですが、思慮分別を断つのが重要だったのが、思慮分別を断ち切ってなりきることを重要視するようになりました。
柏樹子の公案も、ただ柏樹子になりきれというようになっているのです。
朝比奈老師の『無門関提唱』にこんな話があります。
見性宗般老師からうかがった話だというのです。
「昔、と云っても愚堂国師の時だから、徳川の初期に東海道に杢之助という大盗人がいた。
頷が大そう長かったのでしこ名を『頷の杢之助』と云った。
愚堂国師が京都から江戸へ下ろうとして、どこかの宿場へお泊りになった時、大盗人の杢之助が一と仕事しようと忍びこんだ。
ところが国師のお部屋と思う部屋を窺ったが誰もいない。
はてたしかにこの部屋である筈だがと、なおよく見ると人はいないが一本の柏の樹が青々として見える、座敷の中に木が生えている。
こんな不思議があろうかと杢之助は胆をつぶした。
しかし、杢之助もたゞ者ではない。これには仔細があるに違いない。
一つ見届けてやろうと夜通しねばつてこれを監視した。
いく刻かたつて国師が禅定から起たれた。
やはり国師の部屋であり、国師がちやんとおいでになった。
これは国師が柏樹子の公案に参じその三昧にいられたのであった。
こゝでこの盗人は発心して国師の教をうけ、ついに立派に見性した。」
という話です。
朝比奈老師ご自身「私はその後まだ誰からもこの事をきかず、書物でも見たことがない。これもなかなか面白い。」と書かれていますが不思議な話です。
しかし柏樹子になりきるということがよく表現されています。
そこでこの公案を与えられると、一本の柏の木になりきろうと努力するのであります。
私もこの公案を提唱するときには、この杢之助の話をよくしていました。
分別を断って気がつくことよりも、なりきることに重点が置かれるようになったのです。
このように禅の問答も歴史の中で変化してきたのでした。
今回も小川先生は、禅問答の特徴を分かりやすく、そして楽しく奥深くご講義くださったのでした。
横田南嶺