緊張してもよい
それは、こちらが聞きたいところです。
どうもこの頃は私などでも人前で話をすることが多いので、人からご覧になると、あまり緊張せずに話をしているように思われているのかもしれません。
ところが、緊張しないということはありません。
毎回やはり緊張します。
いつも法話をしている円覚寺で話をする時でも、毎回聞く方々が異なり、雰囲気も違いますので、そのたびに緊張するものです。
まして況んや、初めての場所に行くと、それは緊張するものであります。
とりわけ、最近で最も緊張したのは、世田谷区野沢の龍雲寺様のご法要にお参りした時でありました。
龍雲寺さまには、何度も寄せていただいて、ただいまのご住職細川晋輔さんとは懇意にさせてもらっています。
何度も話をしているところですが、先日は実に緊張したのでした。
久しぶりに足が震えるくらいの緊張でありました。
龍雲寺さまで、御開山節外祖貞禅師の三百年遠諱という大法要が営まれたのでした。
法要は二日間に亘って務められました。
まずはじめに盤珪禅師のお像が、この度龍雲寺さまに遷座されることになって、その遷座式と、それから開山節外禅師三百年法要の宿忌という儀式であります。
それからその次の日に、半齋という最も正式な法要が務められたのでした。
その初日に、遷座式の導師と記念の法話を頼まれたのでした。
驚いたのは、なんといってもその法要の規模の大きさです。
和尚様方だけでも百数十名もの方々がお集まりなのでした。
また老師様方も何名もお見えになっていました。
儀式を務めるべく、こちらも正装して本堂に入堂すると、その老師様方、和尚様方が居並ぶ雰囲気に圧倒されました。
それでもどうにか儀式を務めて、それから一時間の法話であります。
龍雲寺さまは妙心寺派ですので、妙心寺派のご重役方はほとんどといっていいほどお集まりになっていました。
お檀家さんや一般の方も大勢本堂いっぱいにはいっての法話でありました。
いつもの法話のときとは雰囲気が違います。
有り難いことには、普段からお世話になっている小池陽人さんも神戸から駆けつけてくれていましたので、小池さんのお姿が見えることはホッとするのでありました。
折柄、雨の降る中の法要となりましたので、まずあえて「あいにくの雨で」とは言わずに、「よい雨の中をお集まりいただいてありがとうございます」と申し上げました。
そのあと、こんなことを話しました。
こちらのお寺は龍雲寺さまであります。
山号を大澤山と申します。
龍があって雲が湧いて、そこに大きな澤があるといえば、雨が降らないわけはないのであります。
雨は仏法では、法雨と申しまして、心を潤してくれる教えの雨なのですと申し上げて話を始めたのでした。
今回は盤珪禅師のお木像が遷座されての法要です。
故あって、盤珪禅師の立派なお木像がこのたび龍雲寺さまのご本堂にお祀りされるようになったのでした。
堂々たる盤珪禅師のお木像であります。
中には盤珪禅師のご遺骨もおさめられているとのことであります。
そのお木像の前で話をするのですから、これもまた緊張させられる要因でもありました。
盤珪禅師は十二歳のときに『大学』を学ばれました。
『大学』は、「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を新たにするに在り、至善に止まるに在り。」という言葉から始まりますが、その冒頭にある「明徳」とは何か疑問をもって道を求めるようになったのであります。
「明徳」とは何か、これを求めぬいて二十六歳のときに悟りを開かれました。
それからは「明徳」とは言わずに「仏心」という言葉でお説きになりました。
釈宗演老師は、『禅海一瀾講話』のなかでこの明徳について「我が本心の変名と言うても宜い」」「この徳というものは天から降ったのでも、地から湧いたのでもない。神様が造ったのでも、仏様が造ったのでもない。我々が先天的に持って居るものを、暫く明徳という。」と解説してくださっています。
作られたものではない、もとから具わっているものなので「不生」であると盤珪禅師は仰せになったのでした。
それから「民を新たにするに在り」とは「自分が明徳を明らかにしたならば、一般の人をして明徳を明らかにせしめよ」ということであり、「至善に止まるに在り」とは「その悟りと、行いと心が円満に至った所」ということであります。
この『大学』の三綱領にあてはめて、盤珪禅師はひたすら明徳を明らかにしようとして坐禅修行されて明徳を明らかにして、それを更に多くの人に説いて聞かせて、そしてその悟りを円満になされた方であると話をしました。
明徳を明らかにする課程と、明徳即ち不生の仏心を多くの方に説かれたことと、そして悟りを完全になされたことの三つに分けて法話をしたのでした。
龍雲寺開山の節外禅師というのは、盤珪禅師の御高弟のお一人であります。
西暦1641年のお生まれですので、盤珪禅師より19歳お若い方であります。
福井のお生まれで、十九歳の時に美濃の清泰寺、長水和尚という方について出家得度しました。
二十七歳の時に網干の龍門寺の盤珪国師のもとで修行をされたのでした。
盤珪禅師が開山された麻布光林寺の二世であり、また大洲の如法寺の四世だそうです。
そして龍雲寺の御開山でもあるのです。
世寿八十五歳でした。
そんな大きな法要を務めて、引き続き緊張のうちに法話をしたのでした。
盤珪禅師のお説法に、こんな話があります。
ある人がふと物音がしたり、雷がなったりすると、驚いてしまうのですが、これは普段から心を落ち着けていないからで、どうしたら驚かないようにできますかと聞きました。
盤珪禅師は、驚いたらそのままでいい、用心して驚かないようにしようというのは心が二つに分かれてしまうと答えられました。
驚いたら驚いたまでです。
自然のはたらきなのです。
緊張したら緊張したまでのことです。
それを驚かないように、緊張しないようになどと思うと心が更に乱れます。
緊張してもいいのだ、緊張するのが当たり前と思っていると、案外落ち着いて話ができるものです。
ともあれ大役を果たしてホッとしたのでした。
横田南嶺