まごころこめて行うのみ
以前にも紹介したことがありますが、『二入四行論』にこんな記述があります。
筑摩書房の『禅の語録1 達摩の語録』にある柳田聖山先生の現代語訳を引用させてもらいます。
「存在はもともと大小の形や、高低の差別がない。
たとえば、君の屋敷の中に大きな岩石が庭さきにあるとせよ。
(はじめは)たとえ君がその石の上に偃臥しようと坐ろうと、驚くことも怖れることもない。
ところが、君があるときにわかに発心して仏像を作ろうと思って、人をたのんで仏の形像を画き出して貰うと、君の心はそれを仏だと考え、すぐに罪を怖れて、あえてその上に坐ろうとせぬ。
それは昔の岩石にほかならぬのに、君の心がそれを仏だと思うためである。
君の心は、いったいどんなしろものなのだ。
すべて、君の意識という筆のほさきが、それを画いて作り出し、みずからあわて、みずから怖れているのであって、じつは岩石の中に、罪だとか福だとかがあるわけではない。君自身の心が、自分でそれを作るだけだ。」
という言葉であります。
丹霞天然禅師が、恵林寺で寒い日に木の仏像を焚いて寒さをしのいでいたのでした。
同寺の住僧のひとりが非難したのですが、なんと罰があたって眉毛が抜け落ちたのはその僧の方だったという話であります。
丹霞禅師が木の仏像を焼いて、なぜ院主の眉毛が抜け落ちたのかと問われて、大寧和尚という方は「賊は貧児の家を打せず」と答えています。
大慧禅師の『正法眼蔵』にある問答です。
ドロボーは貧乏人の家には入らないという意味であります。
罰があたったという僧は仏という聖なる観念を持ってみていました。
丹霞禅師には仏という特別聖なる観念などなく、ただ木を燃したに過ぎないのです。
ですから、罰が当たるという観念もないのであります。
ドロボーに盗られるようなものはなにも無いというのが丹霞禅師であります。
また院主の方は、聖なる観念にとらわれているのです。
ドロボーに盗られるものを持っているのでドロボーに入られるということだという小川先生のご解説であります。
また『趙州録』にある問答によっても一層理解を深めることができました。
ある役人が趙州和尚に聞いたのです。
丹霞禅師が木の仏像を焼いたのに、何故院主の和尚の眉毛が抜けたのかと問うたのでした。
趙州和尚は、その役人に、あなたの家で木を燃やして煮炊きしているのは誰ですかと聞きました。
役人はうちの使用人がやっていますと答えます。
すると趙州和尚は、あなたではなくその使用人の彼の方がやり手ですねと答えたのでした。
家の使用人は、ただ木を燃やして煮炊きしているだけです。
特段聖なる観念もなにもありません。
とらわれるものもなにもないということを言っているのです。
悟りの世界は、実になんのとらわれもないということはよく分かります。
しかし、この現実の世界において、ご本堂にお祀りしている仏像を燃やしていいという訳ではありません。
丹霞禅師のマネをしたらたいへんなことになります。
「大用現前、規則を存せず」という言葉があって、悟りの上の大いなるはたらきは、現実の些細な規則にとらわれることはないという意味であります。
時に禅僧の中には、あえて悟りの世界を表して常軌を逸した行動をすることもあります。
しかし、丹霞禅師にしても道元禅師が『正法眼蔵随聞記』で、
「この禅師の行状記をみると、禅師の立ち居振る舞い、必ず礼にかなっていたのであって、常に尊貴な賓客に対するごとくであった。
暫時、坐る間にも、正しく趺坐し、立位には叉手した。 寺の恒常財産を守ること、目の瞳のごとく、大切に守った。 」
と書かれているように行状は立派だったというのです。
現代語訳は講談社学術文庫『正法眼蔵随聞記』にある山崎正一先生のものです。
そのあと道元禅師は、
「そこで禅師の行状を記録して、今の世までも、禅林での亀鑑としているのだ。
それのみでない。道を得、道を悟った祖師たち、手本となる諸々の祖師たちは、みな戒行を守り、その立ち居振る舞いが端正であったと見えている。
わずかのことでも善事とあらば、これを重んじた。
道を悟った祖師がたが、善果のもととなることを、ゆるがせにしたということを聞いたことがない。
故に、道を学ぶ者は、祖師がたのふみ行った仕方に従って修行しようと思うなら、善果のもととなることを、決して軽んじてはならぬのだ。
ひたすら仏の教えをまごころをもって、ふみ行わねばならぬ。
仏祖の、ふみ行われしところは、すべて善ならざるはないのだ。」
と強く説かれています。
今回の勉強会で、小川先生はこの悟りと行持の問題についても深く考察してくださいました。
宮崎市定先生の「宋代の太学生生活」(『宮崎市定全集10宋』岩波書店、1992年、頁348)という文章から、
「実際教育上に於いて学規という者が出来たのも禅宗の清規の模傚であろうという事を前に述べたが、斯かる事は考証学的にはっきりした証拠を摑み出す事が困難であるが、程明道が禅宗の僧徒が起居動作に一々法あるを見て三代の礼楽其中にありと叫んだ等の話によって見ても、不規律な士人を一定の規矩に従うように教育しようとは誰しも考えつく事であったろう。」
というところを紹介してくださいました。
三代の礼楽は緇衣の中にありということを禅宗ではよく言います。
夏、殷、周の三王朝をあわせて「三代」と言います。
中国では制度の整った理想的な時代とされているのです。
その理想は今禅僧たちにあるというのです。
この話のもとになるのはどこか分かりませんでしたが、今回小川先生は、南宋・曽敏求『独醒雑志』巻8にあると教えてくださいました。
現代語訳も紹介してくれていました。
当日特にご用意くださった資料から引用しますと、
「禅宗の人たちは集まっても騒がしくなく、怒りが無くて規律が有る。職務を務める者はその労苦をいとわず、安気な者も自らの安逸を愧じることがない。門に入り、堂に昇るにも、整然と秩序だち、動きにもスジミチがある。程明道先生はかつて禅僧たちの集団での食事のさまを目にして嘆息された、「三代の礼楽」が具わっていると。」
というところだそうなのです。
こういう話を聞くと、禅の世界に身を置くものとしては有り難いことだと思います。
しかし一方では、西田幾多郎先生がこんなことも仰っているので気をつけないといけません。
これも小川先生が教えてくださったものです。
「余は今の禅学者が余輩などの如き下根(げこん)の者と違いドンドン公案を透過し参玄の上士を以ている人を見れども、どうも日常の行事や言語の上において甚(はなはだ)感服せず。これらはいかがのものにや。」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、1996年、頁317)
というもので、明治35年10月27日付の鈴木大拙先生に宛てた書簡にある言葉だそうです。
この悟りと行持の問題は実に難しいところがあるのですが、私はやはり、道元禅師の仰るように、
「ひたすら仏の教えをまごころをもって、ふみ行わねばならぬ。
仏祖の、ふみ行われしところは、すべて善ならざるはないのだ。」という言葉を肝に銘じて行じてゆくばかりだと思っています。
横田南嶺