盤珪禅師の慈悲
同じ時代を生きた禅僧に盤珪禅師がいらっしゃいます。
白隠禅師は、一六八五年のお生まれで、盤珪禅師が一六二二年のお生まれですから、六三歳離れていることになります。
正受老人は、一六四二年のお生れで盤珪禅師よりも二十歳年下であります。
正受老人には、そのすさまじい修行ぶりを伝える逸話が残されています。
ある時に、村の人が山で狼の子をつかまえてきました。
ところがその狼の子が、犬に殺されてしまいました。
それからというもの、毎晩狼たちが山から下りてきて、村を襲うようになりました。
家の垣根を壊し、中に入ってきて、あげくには人の子を襲うようにもなりました。
村人達は恐れおののいていました。
そんな話を聞いた正受老人は、墓場に行って毎晩坐禅しました。
七日間徹夜の坐禅を続けたのです。
当然、狼の群れが襲ってきます。
坐禅している正受老人の臭いを嗅いだり、耳に息を吹きかけたりします。
しかし正受老人は、こういう時こそ自分の正念が失われていないか試す好機だとひたすら坐禅を続けて、七晩坐り抜いてからは、狼も村に来なくなったというのです。
正受老人の修行ぶりをよく表しています。
盤珪禅師にも狼の話があります。
禅文化研究所の『盤珪禅師逸話選』から引用しましょう、
「ある夜、盤珪さんが宍粟から網干に帰る途中、一匹の狼が大きく口を開けて迫って来ました。
盤珪さんは少しも慌てることなく、じっとその狼を見つめながら近寄って行きました。
すると、この狼、にわかに立ちすくみ、何やら盤珪さんの憐れみを乞うらしいのです。
盤珪さんはこの狼の頭を撫でながら、仔細に調べてみると、喉に大きな骨を引っかけています。
盤珪さんは、さっそく、手を喉に入れてその骨を取り除いてやりました。
狼はうれしそうに耳を垂れて立ち去りました。
その後、盤珪さんが往還するたびに、必ずこの狼が盤珪さんを警護するように前後して出没したということです。」
という話であります。
なんとも慈悲の心にあふれる盤珪禅師であります。
如何に慈悲に満ちていたかを物語る話がいくつも伝わっています。
「腐りかけの雑炊」という話です。
こちらも『盤珪禅師逸話選』から引用します。
「盤珪さんは、自分自身は厳しく律しておられましたが、修行僧の健康には随分と気を配っておられました。
ある夏の日、龍門寺で、大勢の客僧が集まる法事が営まれました。その時に出した汁がだいぶ余ってしまいました。
そこで、翌朝の食事の雑炊に、その汁を使ったのです。
夏の暑さのためか、その汁がいくらか腐りかけていたのでしょう、雑炊が少し臭うようでした。
盤珪さんは、その雑炊を少し食べると、
「夏の暑い盛りに、かような腐りかけを食べれば、多くの者が腹をこわすではないか。
客僧の中に、もし腹をこわす者が出れば、大きな過失になる。
僧というものは、みな菩薩の種、仏祖と変わらぬ智慧と生命を護持している身。後々、立派な善知識となる者もいよう。
今後は、もし汁が余って腐りかけておれば、すぐに捨てて、決して雑炊などに用いてはならぬぞ」と叱り、その時、納所(禅林で施物を納める所、またその役務の僧)をしていた、弟子の宗寿を寺から追放されたのです。
この頃には、龍門寺の住持の席を弟子の大梁和尚に譲っておられましたが、その大梁和尚も、
「宗寿がやったことではありません。わたくしが、宗寿に命じたことです」
と、自分も寺を出て、末寺の随応寺に蟄居されました。
数ヶ月後、寺内の老僧たちが詫びを入れ、二人は帰山が許されました。
「以後、雑炊は永久に禁止して、茶粥を用いるように」との盤珪さんの命で、これ以後、盤珪門下一同、これを守ることになったのです。」
という話であります。
慈悲の深いという一面と、弟子達には厳しい一面とがよく表れています。
「悪僧を放逐しない」という話もあります。
「大結制の時、一人の僧が来て掛錫を願いました。
ところが、それより前に掛錫していた僧の中に、この僧の行状をよく知っている者がいて、僧堂の取り締まり役である知客に告げて言いました。
「あの男は盗癖があって、どこの僧堂へ行っても追い出されている札付き者です。
これはわたしだけでなく、多くの者が知っているところです。もし悪い癖を起こされて、和合が乱れては一大事と存じます」。
知客はこれを聞くと、盤珪さんに報告して裁断を仰ぎました。
盤珪さんは、「このたびの結制は、第一にそのような者のために設けられたのだ。
その男が悪心を改めて善心になるならば、それこそ大なる功徳で、わたしの本意だ」と、言って掛錫を許されたそうです。
またこんな話もあります。
「やはり結制の時のことです。不動堂で金が紛失する騒ぎが起こりました。
ある日、講座のあった時に、盤珪さんの前に一僧が進み出て、申し上げました。
「このたび、わたしの隣に坐っていた僧の金が紛失し、わたしが隣であるからと嫌疑を受けております。どうか和尚さま、ご詮議下さい」。
盤珪さんはこの訴えを聞くと、
「おまえ、ほんとうに盗んではおらんのか」。
「はい。このような厳粛な大会で、さような恥知らずなことをいたすわけがございません」。
「ならば、それでよいではないか」。
「しかし、こうやって全国から多くの衆が集まっておられます。 ご詮議していただかなくては、わたしに嫌疑がかけられたまま、虚名が全国に広まります。まことに迷惑なことです。」
「詮議すれば、過人が出るが、それでもよいかな」
と、重ねて盤珪さんが確かめると、僧は、はたと気づくところがあって、
「ここに参りまして、毎日ありがたいお教えを聴聞させていただきながら、この程度のことで我慢、身勝手を申し立て、まことに恥ずかしいかぎりでございます」と、感涙し去ったといいます。
という話であります。
「詮議すれば過人が出る」の一言は深いお慈悲であります。
こういう慈悲に満ちた逸話を読むと、盤珪禅師は、実に明徳を明らかにし、民を新たにし、そして至善にとどまる人だと思うのであります。
横田南嶺