はげみこそ
表紙は、円覚寺の山門に桜の花が写っている美しい写真であります。
春らしい景色であります。
巻頭には「はげみこそ不死の道」という拙文を掲載してもらっています。
春彼岸号ですので、お彼岸にちなんだ話を書いています。
はじめに、
「お彼岸を迎えます。
彼岸は川の向こう岸のことであり、仏教では悟りの世界を表します。
その悟りの世界に到るには、六波羅蜜(はらみつ)という六つの徳目を修めるのであります。
お彼岸の一週間は、お墓参りやお寺にお参りして、ご先祖のご供養をすると共に、この六波羅蜜を修めるように心がける時であります。」
と書いています。
そして六波羅蜜について書きました。
「六波羅蜜とは、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の六つであります。
布施は施しをすることです。なにかを差し上げることです。
物が無くても、笑顔や優しい言葉を差し上げることができます。
持戒はよい習慣を守ることです。
生き物をむやみに殺さないように、嘘偽りを言わないように、他人の物を盗らないように、男女の道を守るように、お酒や薬物によって心を乱さないようにという習慣をつけることです。
忍辱は、不都合なことを耐え忍ぶのです。
それから精進ははげみ努力することです。
智慧は正しい判断であります。」
と書いています。
その六波羅蜜の中でも今回は、「精進」について書いたのでした。
「どれも大切な徳目ですが、特にお釈迦様の教えでは、「精進」することを大切にしています。
お釈迦様はお亡くなりになるときにも、「すべては移ろいゆく、怠らず勤めよ」と言い残されました。
弟子達には、怠らずに勤め励むことを強調されたのでした。」
と書いて、『法句経』の言葉を紹介しています。
『法句経』の二十一番、
「精進(はげみ)こそ不死の道
放逸(おこたり)こそ死の径(みち)なり
いそしみはげむ者は
死することなく
放逸(おこたり)にふける者は
生命(いのち)ありとも
すでに死せるにひとし」
という言葉と、
『法句経』の百十二番の
「人もし生くること
百年(ももとせ)ならんとも
おこたりにふけり
はげみ少なければ
かたき精進(はげみ)に
ふるいたつものの
一日生くるにも
およばざるなり」
の二つの言葉を揚げています。
どちらとも講談社学術文庫『法句経』にある友松円諦先生の現代語訳を引用しました。
「お釈迦様ご自身、八十年のご生涯、精進努力を貫かれたのでありました。」
と書いて、精進について、考察を深めています。
私の文章のあとには、瑞泉寺の大下一真和尚の「信心ことはじめ」の44回です。
今回は、歌人の窪田空穂先生について書いてくださっています。
窪田空穂先生は、『広辞苑』には、
「歌人・国文学者。名は通治。長野県生れ。早大教授。歌風は客観性を重んじて生活実感を歌い上げ、抒情性に富む。歌集「まひる野」「老槻の下」、万葉集・古今集の評釈など。」
と解説されています。
『円覚』誌には、「歌人にして国文学者、早稲田大学教授、歌会始選者、文化功労者など多彩な肩書を持つ窪田空穂は、明治十年(一八七七)に信州松本の在の庄屋の次男、末子として生まれました。
その時に母ちかは四十歳。長男の融太郎はすでに二十一歳でした。
松本市内の学校を卒業した空穂は、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学びながらも一時は挫折、大阪の米穀仲買商のもとに身を寄せたりもしましたが、明治三十年に母危篤の報を受けて帰郷、看病に励みました。
が、八月一日に母堂は逝去。 空穂は二十一歳でした。
その後、近くの農家の養子に入ったりもしましたが、やはり文学の道は忘れ難く、再び東京専門学校に学び、卒業後 新聞記者や出版社勤務などの仕事を経て、学者としての道を拓くことがかないました。」
と書かれています。
「鉦鳴らし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか」
という一首が紹介されています。
解説には、
「これは空穂の代表作に数えられる若き日の一首。巡礼となって鉦を鳴らしながら信濃の国を歩いて行けば、どこかで元気だったころのお母さんに出会えるだろうか、という、母恋いの歌です。
後に、これは想像して作った歌で、信濃の国には巡礼の習慣などなかったと述懐していますが、しかし、亡きお母様を慕う心情が素直にあらわされています。」
とあります。
また終わりには、
「今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその片おもひ」
という一首があって、
「これは七十歳の作。
ご両親は自分のことをひたすら慈しんでくれたが、自分はそれに気づかす、感謝もせずにいた。
申し訳ないことであったと、年を重ねた今にしてようやくわかり、悲しく思うというのが、「われにしまししその片おもひ」の意です。」
と書かれています。
空穂の親を思う心がよく表れています。
そのほかに、このたび教学部長に就任した蓮沼直應さんの新連載『明治居士列伝』では、山岡鉄舟居士について書かれています。
あとは漢方医の桜井竜生先生の連載もございます。
今回は「死の舞踏」という題であります。
終わりには、鉢の木の藤川社長による精進料理のレシピもございます。
巻末には、横山友宏さんと由馨さんの「お彼岸とおはぎ」というご夫婦共作のお話とイラストがあります。
そこには、「ここ数年子どもたちに、「おはぎ、知ってる?」と聞くと、ほとんどの子どもたちがおはぎを知りません」と書かれていて驚いたことでした。
横山さんは十年前には、祖母と母と自分と娘と四世代でおはぎを作られたことが書かれています。
そんな光景が見られなくなってきたのでしょうか。
寂しい気もします。
ともあれ、お彼岸には精進努力、一層励まないといけないと思うのであります。
横田南嶺