無事帰る
仏跡巡拝六日目は、移動だけで終わりました。
ネパールのルンビニからネパールの首都カトマンズに移動して、カトマンズ市内のホテルで一泊しました。
それからカトマンズからタイのバンコクの空港に移動しました。
カトマンズでは、朝ホテルを出てボダナート(BoudhanathまたはBouddhanath)というお寺にお参りすることができました。
このお寺には、高さ約三六メートルもある、ネパール最大のチベット仏教の巨大仏塔(ストゥーパ)がございます。
中心には仏舎利もお祀りされているそうです。
この仏塔には四方を見渡すブッダの知恵の目が描かれています。
この目が印象的であります。
このお釈迦様の目が生きとし生けるものをみな見守ってくださっているのだと思いました。
そして塔の上からは、四方八方にタルチョーという旗が掛かっています。
その周りを、大勢の信者たちがマニ車を持って周囲を右回りに回ってお参りしていました。
本当なら百八回も右回りでお参りするそうなのです。
私どもは一周のみで失礼しました。
そして仏塔を取り囲むようにして土産物店が立ち並んでいました。
ここにも多くの方が敬虔にお参りする姿が見られました。
寺に入るときには、どんな人も丁寧に手を合わせて拝んで入っていました。
ほんの三十分ほどの滞在で慌ただしく、空港に向かいました。
出国などの手続きをして、カトマンズの空港からタイのバンコクの空港に行き、そしてバンコクから羽田まで飛行機のお世話になりました。
羽田に着きましたのが、日付の変わった二月八日の早朝でありました。
飛行機の中でしたので、夜寝たのか寝ないのか、分からぬうちに着いたという感覚でした。
仏跡巡拝の間に、関東地方は大雪だったと聞いていました。
どの程度雪が残っているのかと思ってみましたが、空港内では雪を見ることはありませんでした。
鎌倉に向かっていると、だんだん道ばたに雪が残っているのが見えてきました。
円覚寺に帰ると、まだ雪が残っているのでした。
タイのバンコクでは三十度を超えている暑さでしたが、日本では零度に近いのでこの温度差には驚きます。
また日本の町並みは綺麗で、静かなのには改めて深く感謝の思いが湧いてきます。
インドでは、車のクラクションの音が絶えることがないのでした。
道は舗装されているとはいえ、どこか治している途中という感じで、土ほこりもたいへんなものでした。
また道にはゴミが散乱していました。
その点日本の道は綺麗であります。
壊れかけたビルを見ることもほとんどありません。
それだけ日本は戦後復興し、経済の発展も遂げてきたのだと実感しました。
しかしながら、お釈迦様が最後に仰せになったように、すべては移ろいゆくものであります。
美しい町並みもどうなるのかは誰にも分かりません。
お釈迦様はお亡くなりになる前、クシナガラに行くまでにヴェーサリーの街に立ち寄られています。
早朝、ヴェーサーリー市に托鉢に出かけ、昼の休息のため、アーナンダとともにチャパーラ霊樹のもとに行きます。
そこでアーナンダに語った言葉が印象的であります。
「アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい。
ウデーナ霊樹の地は楽しい。
ゴータマカ霊樹の地は楽しい。
七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。
バフプッタの霊樹の地は楽しい。
サーランダダ霊樹の地は楽しい。
チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう」と仰せになっています。(『ブッダ最後の旅ー大パリニッバーナ経』)
四神足とは。『ブッダ最後の旅ー大パリニッバーナ経』にある中村先生の解説によれば、
「四つの自在力を得る根拠。超自然の神通力を得るための四種の基。つまり不思議に境界を変現する通力である。それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。」
ということで、
「(1) 欲神足。すぐれた瞑想を得ようと願うこと。
(2) 勤神足。すぐれた瞑想を得ようと努力すること。
(3) 心神足。 心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとすること。
(4) 観神足。智慧をもって思惟観察してすぐれた瞑想を得ること。」の四つです。
更に中村元先生の『ブッダ伝』において、
「サンスクリット文には、さらに「世界は美しいもので、人間の生命(いのち)は、甘美なものだ」という胸に迫る表現がついています。
霊樹の美しさもさることながら、人の世も美しく麗しいものだ、人間が生命をもっていることは、まことに甘美なものだと賛嘆しています。」
と書かれています。
そんな美しい町並みも、そして多くの人たちに法を説き、そして慕われたお釈迦様ご自身もインドにおいては、忘れられてしまったのでした。
日本の澄み切った空を見上げながら、ふと私の『はじめての人に送る般若心経』にも引用した小笠原秀美先生の詩を思い起こしていました。
般若心経意 小笠原秀実(『小笠原秀実・登』八木康敝(リブロポート))
形あるものは すべてこわれてゆく
花のように 人のように 楼閣のように
されど形なきものは 虚空のように
大空のように いつまでもこわれることを 知らない
形ある すべてを棄てた心
変りゆく すべてを離れた心
それが 空の心である
碧の大空のように
空の心は限りもなく 涯もなく
増えることもなく 減ることもない
こわれゆくこの世のすべてを離れるが故に
生きることにも
迷わず つまずくことにも惑わず
唯すべての畏れを離れる
若葉にしたたる 日の滴が
すべてを包み すべてを はぐくむように
空の心は 何物をも許し 何物をも
育ててゆく それは限りなき楽しみであり
無我の明さである
朗らかな空の心よ
暖かく 滴たる空の光よ
やはり我が国に帰り、長年住み慣れた寺に帰るとホッとするものであります。
なにはともあれ、道中体調を壊すこともなく無事に帰国できたのは何よりであります。
横田南嶺