仏跡巡拝 – その六 –
クシナガラにあるホテルを早朝に出立して、バスでルンビニに向かいます。
長いバスの旅でありました。
ルンビニ到着は、午後3時頃になっていました。
もっとも、その途中で、インドを出国し、ネパール領に入らないと行けません。
陸続きで、国を超えるのは、私も初めての体験でありました。
まずはインドの出国の審査を受けました。
それから国境を越えるのです。
国境には大きな門があって、軍隊の方が大勢いて、物々しい雰囲気でした。
国境を越えたところで、バスを降ろされて、テントのようなところで、パスポートに出国の手続きは完了しているかどうか、確認をさせられました。
それからネパールに入国であります。
ここもお国柄というのか、ゆったりとした感じの入国審査でありました。
今回は、タイ、インド、ネパールとどこも初めての国ばかりです。
バスに乗っていると、ルンビニの広大な公園が見えてきました。
ここが、お釈迦様がお生まれになったところなのだと胸が高まります。
お釈迦様は今からおよそ二五〇〇年の昔、釈迦族の王子としてこのルンビニの地で降誕されたのでした。
母はマヤ夫人であります。
岩波書店の『仏教辞典』には、ルンビニは「藍毘尼園」となっていて、
「ルンビニー。ゴータマ・ブッダ(仏陀)誕生の地。
ネパール南部タラーイ地方にある。
シュッドーダナ王(浄飯王)の妃マーヤー(摩耶夫人)は、この地のサーラ樹の下でブッダを出生したと伝えられる。
1896年、アショーカ王(阿育王)建立の石柱が発見され、刻文によって、ブッダ誕生の地であることが確認された。
中国僧の法顕や玄奘もこの地を訪れ、ブッダゆかりの遺跡を巡拝した記録を残している。」
と解説されています。
摩耶夫人については、『仏教辞典』には、
「シャカ族の近隣のコーリヤ族出身。
釈尊の継母にあたるマハープラジャーパティーは妹である。
釈尊を托胎したとき、白象が胎内に入る夢をみた。
釈尊はルンビニー園(藍毘尼園(らんびにおん))で、彼女の右脇腹から出生していると伝えられている。
さらに釈尊誕生後7日目に他界し、忉利天(とうりてん)に生まれたと仏伝には記される。」
と書かれています。
お釈迦様をお産みになって7日後にお亡くなりになっているのです。
ここでもアショカ王柱がございました。
このルンビニの地も長らくはっきりしていなかったのですが、一九世紀の終わり頃にアショカ王柱が見つかったのです。
アショカ王はお釈迦様の入滅からおよそ二百年たった後の紀元前二七四年頃、即位しています。
アショカ王は、長い戦乱の経験を経て、武力による政治から、仏教の理念に基づく法による政治を目指すようになりました。
そこで仏教の普及を図るため建立されたのが、「アショカ王柱」です。
継ぎ目のない一本の石柱で造られ、上部には獅子・牛・象など、仏教に関わりのある動物の彫刻が載せられました。
サールナートにあったのは、獅子の像でした。
この王柱に、ここはお釈迦様がお生まれになったところであるから、租税を免除するということが書かれているそうなのです。
八世紀以降、インドやネパール地域では仏教は衰退していってしまい、ルンビニへの巡礼者も減っていったようです。
それが1896年にドイツ人考古学者フューラーにより遺跡の発掘が行われ石柱が見つかったのでした。
一九七五年ウ・タント国連事務総長がルンビニの復興を提唱して、国連協力の下で、日本人建築家の丹下健三による基本計画に基づいてルンビニ聖地公園の整備が始まったそうなのです。
一九九七年に世界遺産に登録されています。
実に広大な公園となっています。
内部に入るには靴を脱いで入るのであります。
ブッダガヤの大菩提寺なども靴を脱いで入っていました。
すると、まずアショカ王柱が目に入りました。
アショカ王柱を間近で拝めることも感動であります。
それから遺跡を覆っているマヤ堂の中に入りました。
中にはかつてここに建てられていた建造物の遺構がそのままの姿で残っています。
古い時代のものだろうと察せられる遺構でありした。
お堂のほぼ真ん中に紀元前三世紀(アショカ王の時代)と想定される地層で発掘された石碑がございました。
ここがお釈迦様のお生まれになったところだと確認できたのでした。
その石碑の上には、「お釈迦様降誕像」のレリーフがございました。
こちらは四世紀グプタ王朝期に刻まれたものだそうです。
「マヤ夫人が無憂樹の枝に右手を触れた時に右脇腹より誕生されたお釈迦様を、梵天(ブラフマー神)が絹布を手にして抱き上げようとしている」場面だそうです。
マヤ堂の南には、沐浴の池がありました。
これは「マヤ夫人がお釈迦様を産む前に沐浴をされた」とか「お釈迦様が産湯に浸かった」といわれる池であります。
その近くにも大きな菩提樹がございました。
広々とした空間で、なんとも心地よいものでした。
多くの仏教徒が熱心に祈りを捧げている姿も見られました。
これでようやく、降誕の地ルンビニ、成道の地ブッダガヤ、初転法輪の地サールナート、そして涅槃の地クシナガラと四大聖地をお参りすることができました。
建仁寺の老師と四十数名の皆様と無事にお参りできたことは感激でありました。
最後に、バスの中で現地のガイドさんが言われた言葉が印象的でありました。
今から三十年ほど前には、日本から仏跡巡拝の方が大勢来ていたけれども近年仏跡巡拝の人の数は随分減っているとのことでした。
日本人の宗教心が薄れることがあっては残念だと仰っていました。
三十年前に比べると、ずいぶんと便利になっているはずなのです。
建仁寺の老師は二十年ぶりだそうですが、二十年前よりは随分整備されて綺麗になっていると仰っていました。
私も車で何時間も土の道を走るのかと覚悟していましたが、どこも道は舗装されていて快適なのでありました。
インドの観光地には来ても仏跡にお参りする日本人が少なくなっているとの言葉には考えさせられました。
たしかに仏跡で熱心に祈りを捧げているのは、タイやチベットの方々が多く目にとまりました。
やはり信仰心というのは大事なものだと思います。
我々僧侶自身がまず反省しないといけないと思ったものです。
横田南嶺