仏跡巡拝 – その五 –
ワラナシから車で六時間ほどかかりました。
仏教徒にとっては感激の場であります。
お釈迦様は八十歳となって、いよいよ最後の旅に出てクシナガラでお亡くなりになったのでした。
沙羅双樹の間でお休みになって、涅槃にお入りになったのでした。
クシナガラの地も19世紀にアレキサンダー・カニンガムによって発掘されたのでした。
この涅槃の地クシナガラには、白亜の殿堂大涅槃寺がございます。
堂内には、六メートルもある大きな涅槃像が安置されています。
これは五世紀グプタ王朝期の作品だそうで、これもカニンガムにより、近くのヒラニヤヴァティー河床から発掘されたのだそうです。
河床から発掘されたというのは驚きでありました。
おそらく破壊されそうになった頃に、隠していたのだと思いました。
もともとの仏像は赤砂岩に刻まれていたらしいのですが、仏滅二五〇〇年の大祭の時、ビルマ人仏教徒により金箔が施されたとのことでした。
今は柵があって、手で触れることは出来ないのですが、建仁寺の管長さまと私とだけ特別に柵の中に入れていただいて、お釈迦様の手に触れることができました。
これは大感動でありました。
枕の下の部分には、お釈迦様にお詫びするチュンダの姿が彫刻されています。
チュンダがお釈迦様にさし上げた食事が最期の供養となったのでした。
中央には、最後の弟子スバトラの姿が掘られていました。
足元には、悲しみに溢れる阿難尊者の姿も刻まれています。
一同で般若心経を読経し、涅槃像のまわりをぐるりと回ってお参りしました。
沙羅双樹の木も確かめることができました。
そのあと、ヒラニヤヴァティー河の岸を訪れました。
ここでお釈迦様は最期に沐浴なされたのでした。
漢訳の経典には、「跋提河」となっているところであります。
小さな河でありました。
そのあと、更に最期のお説法をなされたお堂にもお参りさせてもらいました。
大涅槃寺入口の南約100メートルのところに、お釈迦様が最後の説法を行われた場所があります。
小さなお堂の中には11世紀パーラ王朝時代の降魔成道像が安置されています。
こちらも特別に開けていただいて中を拝ませてもらいました。
そして、お釈迦様を荼毘にしたところに建っているストゥーパにお参りしました。
これは荼毘塚、ランバル・ストゥーパーと呼ばれているところでした。
お釈迦様の遺体を荼毘にしようとしますが、薪に火をつける事ができませんでした。
お釈迦様の弟子迦葉尊者はお釈迦様の涅槃に入るのには間に合わなかったのでしたが、ようやく到着されました。
迦葉尊者が到着なされて、ようやく薪に火をつけることが出来て荼毘にしたのでした。
旅行会社からいただいたパンフレットには、
「火葬の結果残った舎利を、 クシナガラのマルラ族は城内の精舎に納め、他国からの舎利分配の要求に応じようとはしませんでした。
この事にお釈迦様と縁のあった諸国は怒り、戦争が起こりかけましたが、ドローナというバラモンがお釈迦様の非暴力の教えに基づき、 八国で平等に分配するよう仲裁を行い、 舎利は八国に分けられ持ち帰られました。
このお釈迦様火葬の場所が荼毘塚、ランバルストゥーパーです。」と解説されていました。
その後アショーカ王が、仏滅時に建立された八つの塔(仏舎利塔)中の七塔を開いて、仏舎利をさらに分配し、全インドに八万四千塔を建立したと伝えられています。
お釈迦様がお亡くなりになったところ、最期に沐浴なされた河、最期のお説法の場所、荼毘にしたところ、それぞれをたずねることができて、それぞれ感激、感動でありました。
最後のお説法の地にあって、お釈迦様のお言葉を思い起こしました。
こちらも中村元先生の『ブッダ伝』から引用します。
「いよいよ最後のときに臨んで、ブッダは次のように説きます。
そこで尊師は若き人アーナンダに告げられた。
「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。
しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである」
(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)
ブッダは亡くなっても、ブッダが説いた真理 (ダルマ) や戒律は修行者のよりどころになるのだ。
そして、生きているあいだにたずねておけばよかったと思われる後悔が起こることのないように、最後の命あるあいだにたずねなさいと促しますが、誰一人として問う修行者はいませんでした。
ついに最後のことばが語られるのです。
そこで尊師は修行僧たちに告げた。
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と」
これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)」
というお言葉であります。
中村元先生は「これは最後の説法として有名です。じつに簡潔であるが、含蓄のあることばです。
この世のものはすべて移り変わる。
だから、この真理をさとり、正しい真実の道を怠ることなくつとめ励みなさいとさとしています。
ブッダの生涯も、世の中の真理(ダルマ)に目覚め、真実の道を怠りなくつとめ励んだ一生ではなかったかと思われます。」
と書かれています。
今回の旅でしみじみと感じましたのが、この「この世のものはすべて移り変わる。」というお言葉であります。
仏跡のほとんどが遺跡となって伝わるのみなのです。
涅槃に入られたところ、最期のお説法の場所、荼毘にしたところ、それぞれ昔にはお寺があったらしく、今はその基盤となったレンガの遺跡のみが残っていました。
ランバルストゥーパーも長らく埋められていたのだそうです。
どこにあるかも忘れられていたほどだったのです。
それが一九世紀になってようやく発掘されたのです。
お釈迦様の遺跡ですら、そのように移り変りました。
これこそが真理を表していると感じることができました。
横田南嶺