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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.01.29
今日の言葉

貧しくとも、心はつねに高貴であれ

『無門関』の第十則「清税孤貧」の公案に対して詠われた無門慧開禅師の頌は、

貧は范丹に似、
気は項羽の如し。
活計無しと雖も、
敢て与に富を闘わしむ。

というものです。

訳しますと、

「貧しさは范丹のようで、気宇は項羽のようである。
「生計も立たないと言いながら、ちゃんと富を争っている」ということです。

こうして清税は孤貧といいながらも、果敢に曹山禅師に相対したことを詠っているのです。

「范丹」(一一二ー一八五)というのは、字は史雲、東漢の人です。

諸橋轍次先生の『大漢和辞典』には次のように書かれています。

「范冉」として出ています。

「後漢、外黄の人。一に范丹に作る。

字は史雲。諡は貞節先生。桓帝、萊蕪の長として召すも、母の憂に遭つて就かず。
後、太尉府に辟されたが、狷急にして俗に從ふ能はず、

侍御に拝せられんとするや、途に遁出して梁沛の閒に賣卜す。

赤貧に甘んじ、屡々、飯粒を絶つ。

三府に累辟せられたが就かず。」
と書かれています。

更に「范冉生塵」という言葉がございます。

こちらは、「後漢の范冉が好んで時に違ひ、俗を絶つて、窮居自若たるさまを、里人が甑中生塵范史雲、釜中生魚范萊蕪と歌った故事。」

と解説されています。

甑中塵を生ずとはどういうことか、まず

「甑」という字を『漢辞海』で調べると、

「蒸し器。せいろう。 こしき。

《古くは、陶製、のちに竹や木で作った「炊甑」「釜甑」
蒸留、または物を煮くずすときに使う器。」

と解説されています。

更に用例として、

「甑中生塵釜中生魚」という言葉があります。

こちらは「長い間、炊事をしないため、こしきにはちりが積もり、かまは魚のすみかとなる。きわめて貧しいさまをいう。(後漢・范冉伝) 」と解説されています。

釜にも火を使わないので、魚が住むようになったとは驚きであります。

そんな貧乏暮らしをしていても、気持ちは項羽のようだというのです。

項羽とは『広辞苑』には、

「①秦末の武将。名は籍。羽は字。

下相(江蘇宿遷)の人。叔父項梁と挙兵、劉邦(漢の高祖)とともに秦を滅ぼして楚王となった。

のち劉邦と覇権を争い、垓下に囲まれ、烏江で自刎。(前232~前202)」

と解説されています。

禅語にも項羽に関わるものがいくつかございます。

たとえば

「項王喑噁叱咤すれば、千人皆廃す」というのがあります。

「喑噁」は、「怒ってどなりつける」と『漢辞海』には解説されています。

項羽が怒気をいだいて叱咤すると、千人もがみなひれ伏すというのです。

そのあと『史記』淮陰侯列伝には「然れども賢将に任属するに能はず。此れ特(ただ)に匹夫の勇のみ」とあります。

勝れた家臣を信頼して任せることができないので、これでは、ただ匹夫の勇にすぎないというのです。

「匹夫の勇」は、「ただ血気にはやる勇気」です。

「四面楚歌」の話はよく知られています。

『広辞苑』にも、

「[史記(項羽本紀)](楚の項羽が垓下で漢の劉邦の軍に囲まれた時、夜更けて四面の漢軍中から盛んに楚国の歌が起こるのを聞いて、楚の民がすべて漢に降ったかと、驚き嘆いたという故事から)たすけがなく孤立すること。周囲がみな敵や反対者ばかりであること。楚歌。」

と解説されています。

垓下の戦いにおいて、すでに天運を悟った項羽が愛人である虞美人に贈った詩が垓下の歌であります。

「力山を抜き 気世を蓋ふ
時利あらずして 騅逝かず
騅、逝かざるを 奈何(いかん)すべき
虞や虞や 若(なんぢ)を奈何(いかん)せん」

という歌であります。

力は山をも動かすほどであり、気迫は世界をも覆うほどに強大だが、時勢が自分に不利であり、愛馬の騅は進もうとしない。
騅が進まないのをいったいどうすることができるのか。
虞よ、虞よ、私はそなたに何をしてやれるというのか。(何もしてやれないではないか)。」

という歌なのであります。

『無門関』の「貧は范丹に似、気は項羽の如し。」というのは、項羽の勢い盛んな気を詠っているのです。

孤貧であると言いながらも、堂々と曹山和尚と渡り合っていることを詠っています。

道元禅師の『正法眼蔵随聞記』には、貧を尊ぶ逸話がたくさんございます。

そのなかで、私の好きな話が道如という禅僧の話であります。

こちらも講談社学術文庫『正法眼蔵随聞記』にある山崎正一先生の訳文を引用します。

「昔、天童山の書記の役位にあった道如上座という方は、高位高官の家に生まれた方であったが、親戚の人々とも交際を断ち、世俗的な利を何にも求めなかったから、衣服も見すぼらしく、ぽろぽろになっていて、目も当てられぬ有りさまであったが、その悟りの道の修行によって身につけた徳は、誰しも認めるところであって、大寺院の書記ともなられたわけである。

私は、この道如上座におたずねしたことがある、「あなたは官職にある方の御子息で富める高貴な家の御生まれである。どうして、身のまわりのものが、みな粗末で貧しげな御様子なのですか」道如和尚は答えていわれた、「僧となったからだ」と。」

という話であります。

最後の「僧となれればなり」の一言は心に響きます。

坂村真民先生の六魚庵箴言の詩を思います。

その一とその二を紹介しましょう。

六魚庵箴言
その一
狭くともいい
一すじであれ
どこまでも掘りさげてゆけ
いつも澄んで
天の一角を見つめろ

その二
貧しくとも
心はつねに
高貴であれ
一輪の花にも
季節の心を知り
一片の雲にも
無辺の詩を抱き
一碗の米にも
労苦の恩を思い
一塊の土にも
大地の愛を感じよう

貧しくとも心は高貴である、そんな生き方を目指したいものであります。

 
横田南嶺

貧しくとも、心はつねに高貴であれ

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