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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.01.21
今日の言葉

不思議な画

『臨済録』のはじめには、

「成徳府知事の王常侍が部下の諸役人と共に師に説法を請うた。

師は上堂して言った、

「きょうわしは、やむを得ぬ仕儀で、なんとか世間のならわしに従って、この座に上がることにした。

しかし、禅の正統的立場に立って根本義を説くとなれば、まったく口の開きようもなく、お前たちの取りつくしまもないのだ。

しかしきょうは常侍殿の強っての要請ゆえ、ひとつ禅の本領を開き示そう。

たれか腕の立つ武将で、旗鼓堂々と一戦を挑んで来るものはおらぬか、

皆の前で腕前を見せてみよ。」

僧「仏法のぎりぎり肝要の処をお伺いします。」

師はすかさず一喝を浴びせた。僧は礼拝した。

師「この坊さん、結構わしの相手になれるわい。」

僧「師は一体だれの宗旨を受け、また、だれの法を継がれましたか。」

師「わしは黄檗禅師の処で、三度質問して三度打たれた。」

僧はここでもたついた。

すかさず師は一喝し、追い打ちの一棒をくらわして言った、

「虚空に釘を打つような真似はするな。」」

とございます。

訳文は、岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生のものであります。

この文章を読んでもわかりますが、禅の教えというのは、元来説くべきものではないのであります。

「開口不得」といって、口を開けようにも開けられないのであります。

小川隆先生は、その著『『臨済録』禅の語録のことばと思想』で、

「その「王常侍」の要請に応じて説法の座についた臨済だが、しかし、禅門の本義からすれば、第一義はコトバによって説明されるべきものではない。

それを敢えて云々しようとすることは、無相なる虚空に杭を打ち込むような所業でしかない。

それゆえ師の一喝に無言の礼拝で引き下がった僧はむしろ賞せられ、議論を重ねようとした僧は、痛打によって問題を発問以前のところに突き返されてしまったのであった」と解説されています。

第一義はことばによって説明されるべきものではないとはっきり書いてくださっています。

それだから、説法というのは、誰かに請われてやむを得ぬ仕儀で説くということなのであります。

臨済禅師などと比べるにはおこがましいにもほどがあるのですが、そんな禅の伝統があって、説法は請われて行うものであるという習慣が今もございます。

私なども、頼まれて話をするのが基本であります。

こちらから話をするということはほとんどないのであります。

修行道場での提唱という講座にしても、修行道場の顧問さんや、和尚さんから請われて行うという伝統が残っています。

花園大学での講義も大学側から頼まれて行うようになったのであります。

請われて行っていた講義でありましたが、一昨年は、般若心経の講義をしようと、自ら思い立ったのでありました。

たぶん般若心経という、日本人には最も親しまれた経典の講義でありましたので、この講座は花園大学公開講座というYouTubeでも公開してくださったのですが、私自身驚くほど多くの方が視聴してくださったのでした。

第一回の講座は、なんと二十七万回も再生されているのであります。

六回の講座を全部合わせると、五十万回を超えているのであります。

実に多くの方が視聴してくださったのであります。

そんなことも話題になってか、春秋社という出版社がこの講義を本にしようと計画してくれたのでした。

もっとも春秋社は、今までも何冊もの本を出していますし、花園大学の総長に就任して初めの年の講義を『禅と出会う』という本にして出してくれたのでした。

こういうこともYouTubeのおかげなのであります。

大学での講義をYouTubeで公開していますので、その講義を文字に起こしてくれたのであります。

YouTubeが本になったのは、『盤珪語録を読む』もそうでありました。

ですから、『盤珪語録を読む』『禅と出会う』そして今回出版した『はじめての人におくる般若心経』と三冊が、YouTubeから本になったものであります。

今回の本が今までと大きく違うのは、その装幀であります。

とりわけカバーが目をひきます。

不思議な画なのであります。

一見してよく分からない画なのであります。

これは今回編集を担当してくださった方が、その画家の方に、お願いして、この本の為に書いていただいた画なのであります。

画を描いてくださったのはカバーの裏に名前がありますが、灰方るりさんという方であります。

何かを口にしようとしている姿なのですが、何を口にしようとしているのかと聞いてみると、根のついた芽なのだそうです。

それを口にしようとしているのは、この灰方さんにまだ幼い子どもがいらっしゃって、子どもが何でもはじめて触れるものを口にしようとするところから描かれたというのであります。

世界とはじめてふれあう赤子のような心を表しているというのです。

そこではじめて般若心経に触れるというところを表しているのではないかということでありました。

編集担当の方は、特に画に描かれている目の色にも注目されていて、星の色ではないかと言っていました。

「それにしてもよく分からない不思議な画ですね」と、私が編集を担当してくれた方に申し上げると、

「般若心経と同じで、よく分からないのがいいのです」と言われて、これは一本取られてしまいました。

『般若心経も『臨済録』と同じく「第一義はコトバによって説明されるべきものではない」ものであり、分別知で理解するようなものではないのです。

それから、今回の本のカバーを見ると著者が「横田南嶺」とだけ書いていて、臨済宗円覚寺派管長、花園大学総長などという肩書きが一切ないのであります。

今まで必ず「臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺」と肩書きがついていたのですが、何もないものですから、

とうとう私も肩書きが無くても「横田南嶺」だけで通るようになったのかと思って編集担当の方に「感慨深い」と申し上げると、

編集の方が顔を真っ赤にして平身低頭されて、「肩書きを入れるのを忘れてしまった」ということでした。

人間、思い上がってはいけないのだと思い知らされました。

 
横田南嶺

不思議な画

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