日に三たび吾が身を省る
私が修行していた頃には、老師の色紙はくじ引きで一等賞の者だけがいただくことができたのでした。
私もかつて修行時代に一度だけ、老師の色紙があたったことがありました。
「怠らず行けば千里の外も見ん
牛の歩みのよし遅くとも」
という和歌が書いていた色紙でした。
私が師家に就任してからは、色紙はみんなにゆき渡るように書くようしました。
それぞれの色紙は、禅語や論語の言葉などいろいろな言葉を書くようにして、どんな言葉が当たるのかを楽しんでもらうようにしてきました。
『論語』の「君子は終食の間も仁に違うことなし。造次にも必ずここに於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ずここに於いてす。」
という言葉も毎年書いています.
これは、「君子は食事をとるあいだも仁から離れることがない。急変のときもきっとそこにおり、ひっくりかえったときでもきっとそこにいる。」という意味です。
岩波文庫の『論語』から金谷治先生の現代語訳です。
「吾が道、一以て之を貫く」というのもよく書いています。
これは原文には「子の曰わく、参よ、吾が道は一以てこれを貫く。曾子の曰わく、唯。子出ず。門人問うて曰わく、何の謂いぞや。曾子の曰わく、夫子の道は忠恕のみ。」
とあります。
岩波文庫の『論語』にある金谷治先生の訳を引用しますと
「先生がいわれた、「参よ、わが道は一つのことで貫かれている。」曾子は「はい。」といった。
先生が出てゆかれると、門人がたずねた、「どういう意味でしょうか。」
曾子はいった、「先生の道は忠恕のまごころだけです。」」
となっています。
忠恕の「忠は内なるまごころにそむかぬこと、恕はまごごろによる他人への思いやり」という意味です。
「夫子の道は忠恕のみ」という一句も書いています。
それから「吾れ日に三たび吾が身を省る」という言葉も書きます。
ある修行僧が珍しいことに、昨年も今年も二回連続して。この言葉があたったというのです。
よほど自分自身反省すべきだということかなと思いました。
これは原文は、
「曽子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省る。
人の為めに謀りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝うるか。」
となっています。
岩波文庫の『論語』にある金谷治先生の訳は、
「曾子がいった、「わたしは毎日何度もわが身について反省する。
人のために考えてあげてまごころからできなかったのではないか。
友だちと交際して誠実でなかったのではないか。
よくおさらいもしないことを〔受けうりで〕人に教えたのではないかと。」
であります。
註釈には「三たび…省る」を新注では、「以下の三つのことについて反省する。」と解して、「三つ…省る。」と読む」と書かれています。
「習わざるを…」は古注による。
新注では「伝えられたことをおさらいもしないでいるか。」の意味に解している。 「伝えて習わざるか。」、「伝わりて習わざるか。」などと読まれる」とも書かれています。
短い文章ですがいろいろと解釈があることが分かります。
明徳出版社の『論語上』には宇野哲人先生の解説があります。
はじめに「曽子は孔子の門人、名は参という人で非常に親孝行、ことに朱子などにいわせると、孔子の門人では顔回が第一、しかし他に大勢偉い人もおったが、曽子がついに孔子の道を伝えたといわれておる人です。」
と書かれています。
また曽子はとても用心深い人であったことも知られています。
同じく『論語』の中に、
「曾子、疾あり。門弟子を召びて曰わく、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。
而今よりして後、吾れ免るることを知るかな、小子。」
という言葉があります。
意味は「曾子が病気にかかったとき、門人たちをよんでいった、
「わが足をみよ、わが手をみよ。
詩経(小雅・小旻篇)には『おそれつ戒めつ、深き淵にのぞむごと、薄き氷をふむがごと。』 とあるが、これからさきはわたしももうその心配がないねえ、君たち。」というのです。
『孝経』に「身体髪膚、これを父母に受く。 敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」という言葉があります。
註釈には「曾子は親孝行で、たえず体に注意していたので、死にのぞんで手足の完全さを門人にみせて戒めとした。」ということです。
それほど慎重に身体を大事にして、親孝行に努めていたのです。
宇野先生は「吾れ日々に吾が身を三省す」と読まれています。
その内容について
「人の世話をしようとする場合に、本当に忠実ではないのか、自分のことになると夢中になってやるのが往々人の常です。
自分の身のふり方については先輩にでもうるさいくらい頼みにゆく、ところが適当な位置につくと、お世話になった方に、いろいろ挨拶もせず知らん顔をしているのがあるものです。
がそれはそれとして、こちらが世話するなら本当に心を用いて世話しているがどうかということを曽子は考えた。
きわめて真面目で親切な人柄です。
朋友と交りて信ならざるか、友人と交際して約束にそむくようなことはないか、必ず守るかどうか。」と書かれています。
そして「習わざるを伝るかは、自分自身に教わったことを充分習練しないのに、人に受け売りはしないか。」ということです。
そして「この章の文句で曽子という人の謹厳な性格は良く分ります」と書かれています。
穂積重遠先生は、『新釈 論語』の中で、
「曾參が言うよう、『私は毎日何度となく、人の世話をしながら親切の足りないことがなかっただろうか、友達附合に信義にかけたことはなかっただろうか、先生から教わった事をまだ十分身につかぬうちに人に受賣したことはなかっただろうかと、わが身にたちかえって思い合せて見る。そしてもしさような缺點があったらさっそく改めるように心がける。』」
と訳されて、
「曾參がまことに用心ぶかい人であることは後にも出て来るが、そのおもかげがここにもよくあらわれている。
この「三省」というのが中々むずかしい事で、われわれは古疵にさわるのがいやなような氣持で自分で自分をごまかしてしまうが、それでは人格の完成を望み得ないどころか、過ちを二たび三たびすることになる。
個人のみならず、日本國全體として、今日こそ三省も四省もすべき時ではあるまいか。」
と書かれていて、私なども大いに反省させられます。
明治書院の新釈漢文大系の『論語』には、
「儒家の倫理は反省の倫理である。
自己反省をして日日に新たになることは四書の随所に見られるが、著名なものを一、二あげてみよう。
殷の湯王は手洗器の盤に銘として、 「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」と刻みこんで、手を洗い顔を洗うたびにこれを視て反省した(大学二章)。
孟子に「或る人から横逆(無理非道のこと)を加えられると、君子は必ず自分が不仁無礼だからだと反省する。
反省してみて、自分は仁であり、礼があると肯定できても、また横逆が加えられると、君子は必ず自分がまだ忠(まこと)でないからと反省する。
しかし、省みて自分は忠であると肯定できても、また横逆が身に加えられると、君子は、こんなことをする人は人間ではない、禽獣だ、禽獣を非難しても仕方がないとあきらめる。
だから、君子には自分はまだ舜のような聖人に及ばないという終身の憂いはあるが、一朝卒然として至る外患などはない」(離婁下)と。
何と力強い反省の方法ではないか。
このような反省をしながら、学問と修養を励んだから、曾子のような魯鈍と評された人でも、孔子の真の道を体得した賢人となって、その門流に子思孟子が出ることにもなる。」
と解説されています。
とりわけ、たとえ愚かと言われていたとしても、日々自らを省みて精進努力を重ねれば、必ず大成するのだという言葉には励まされます。
昨年と同じこの言葉があたったという修行僧はもちろん、私は毎年書いているのですから、なお一層、人に対して誠実であるかを省みるべきだと肝に銘じたのでありました。
横田南嶺