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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.12.25
今日の言葉

苦痛ではない坐禅を伝えたい

先日は、仏教鑽仰会というところからのお招きで、都内で講演をしてきました。

仏教鑽仰会というのは、どういうところか、私もお招きいただくまで存じ上げなかったのでした。

会のホームページがありますので、そこには、次のように書かれています。

「日本仏教鑽仰会とは

仏教各派を超え、先達から仏教の智恵を聞く会。」

だそうで、

更に「本当の自分や生きる道を見失いがちな時代に、道標として今日まで続く仏教の智恵に自由に触れる会。」であると説明されています。

それから「日本仏教鑽仰会は、1941年(昭和16年)、中山理々初代理事長が仏教精神の研究と実践昂揚を図る目的を以って創設され、第二代目中山富士師、第三代目理事長中山静麿師に受け継がれ、幅広い宗派を超えた講師陣による社会に寄り添う仏教講演に続けてきた。」

と書かれています。

中山理々という方は、浄土真宗東本願寺派の僧侶でいらっしゃった方であります。

昭和十六年に創設されたということですから、太平洋戦争の始まった年にできたのだと分かります。

毎月第三土曜日に講演会を行っているのであります。

私も今年のはじめに御依頼をいただいたのでしたが、十二月でようやく日程の調整ができたのでした。

講師陣には、藤田一照さんや、佐々木閑先生などもいらっしゃいます。

私のことは一照さんがご紹介くださったとのことであります。

私は「禅の教えに学ぶ」と題して九十分お話をしました。

はじめに自己紹介を兼ねて、私と禅との出会いから話をしました。

十歳の時にはじめて禅寺を訪ねて、そこで禅の老師と呼ばれる方にであったことを話しました。

目黒絶海老師でありました。

当時はまだ六十代だったと思いますが、実に風格のある禅僧だと感じました。

ことに本堂に出頭して見えて、本尊の前で焼香して礼拝されるお姿には、なんとも言えない神々しさを感じました。

私たちとは違う世界があることを知ったのでした。

満二歳の時に祖父の死に遭ってから、死というものを考えるようになっていました。

小学生の時に同級生の死に遭って、死は更に深刻な問題となってきました。

しかし、その禅僧の姿を見た時に、死の問題を解決された方のように感じたのでありました。

それから参禅が始まったのでした。

中学生の時には松原泰道先生にお目にかかり、更に書物の上でありましたが朝比奈宗源老師の書物にもご縁をいただきました。

朝比奈老師は、四歳で母を亡くされ、七歳で父を亡くされました。

死んだ両親がどこにいったのか、道を求めて出家されて、坐禅修行し、それを明らかにされたのでした。

私は、この死の問題をずっと考えていましたので、これこそ自分にとってふさわしい教えだと確信したのでした。

朝比奈老師は、その自らの体験を私たちにも分かるように平易に説いてくださっていました。

朝比奈老師の著書『仏心』(春秋社)には、老師ご自身が修行して得た悟りの世界を分かりやすく次のように説いてくれています。

「私は近年誰にもわかりやすく、仏心の信心を説いております。

人は仏心の心に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真っ只中であります。

人はその生を超え死を超え、迷いをはなれ、垢れをはなれた仏心の中にいるのだという、人間の尊いことを知らないために、外に向かって神を求め仏を求めて苦しみ、死んだ後のことまで思い悩むのですが、この信心に徹することができたら、立ちどころに一切解消であります。」

というものです。

講演では、そんな仏心の話につなげてゆきました。

そこから仏心というのは、区別差別のない空の世界であることを話しました。

そしてその区別差別のない空の心がそのまま慈悲の心になるのだと話をしたのでした。

仏教鑽仰会では、増上寺の中にある会館を会場に用意してくださり、大勢の方が聞いてくれていました。

有り難いご法縁でありました。

一日おいて、そのあと京都に出かけ花園禅塾を訪ねて坐禅の為の体操など身体技法を指導していました。

花園禅塾というのは、主に花園大学に通う学生さんたちが、修行道場に準じた生活をしているところです。

塾頭さんという指導する和尚さんがいらっしゃって、他に数名指導員という若い和尚様方が、学生さんたちの面倒をみておられます。

毎朝、朝課というお勤めをして、坐禅をして、日中が大学の授業に出て、夜はまた坐禅するという日課を送っているのです。

三十名ほどの学生さんたちが、修行されています。

その学生さんたちに坐禅の良さを伝えたいと思って行ってきました。

思えば私にとって坐禅は小学生の頃からずっと行って来たことです。

私の一生は、十歳の時に坐禅に出会って、それ以来ずっと坐禅しているというだけのものです。

そして坐禅して死んでいったら本望だと思っています。

坐禅の探求には飽きることはありません。

私は小学生の頃から坐禅を始めて、ずっと坐禅のために暮らしを行ってきましたので、坐禅が苦痛であると感じることはないのです。

今では朝ご飯を食べるように自然な生活の一部として溶け込んでいます。

しかし、今のお若い方に聞くと、坐禅が苦痛だというのです。

そして苦痛に耐えるのが坐禅だと思っているようなのです。

そんなことはありません、昔から「坐禅は安楽の法門」と言われているのです。

ただ「坐禅は安楽の法門」だという言葉だけを伝えてもダメなので、どうしたら「坐禅は安楽」だと感じてもらえるか、いろいろと学んで工夫を重ねてきました。

苦痛ではない坐禅を伝えたいと思うのです。

禅塾では、今も真向法を毎日なさっているとのことでした。

講座のはじまりに、まず自分でいつものように坐禅してもらいました。

そして真向法を行ってもらいました。

それから一時間かけて、いろんな身体の使い方をして、身体の軸を作ること、股関節をほぐすこと、首や肩をほぐすこと、足の指などを整えることを行ってみました。

そうして最後にもう一度真向法を行ってもらうと、皆ずいぶんやりやすくなった、やわらかくなったと体感してくれていました。

最後に坐禅をすると、坐りやすくなった、身体に一本棒のような軸が通った気がするとか、まっすぐ坐れる感じがするなどの感想が聞かれました。

坐禅の良さを身体で感じて、坐りたくなるようになってもらいたいと願っての講習でありました。

もちろんのこと、坐禅の醍醐味は、三昧に入ることにあるのですが、その前の段階として如何に身体を調えて坐るかということを教えてあげたいと思ったのでした。

坐禅は苦痛ではなく、安楽の法門なのです。

 
横田南嶺

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