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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.12.19
今日の言葉

世間は壊れる

今日常あたりまえのように使っている言葉でももとは仏教の言葉であることがあります。

たとえば「世界」です。

『広辞苑』で調べてみても、

「①〔仏〕(梵語loka-dhātu)須弥山を中心として天・地・海を具えた宇宙の中の一区域。「世」は過去・現在・未来の三世、「界」は東西南北上下を指すとされる。

②地球上の人間社会のすべて。万国。

③人の住む所。地方。

④世の中。世間。うきよ。

などの意味があります。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「衆生の住む所。仏教の世界観では、須弥山を中心とした四大洲を一世界とし、三千大千世界によって全宇宙が構成されているとされる。

それが一仏国土である。

<世界>という語は仏典にはじまる。」

とはっきり書かれています。

更に「大仏頂首楞厳経4には、<世>は過去・現在・未来の三世の時間、<界>は東・西・南・北・東南・西南・東北・西北・上・下の十方の空間(十方世界)をさすという説明があり、これは『淮南子』原道訓などの中国古典に見える<宇宙>(宇は空間、宙は時間をさす)という語に意味が近い。」

と解説されています。

似た言葉に世間があります。

これを『広辞苑』で調べると、

「①〔仏〕
㋐有情のいる場所。また、そこにいる有情そのもの。

㋑有漏法の異称。煩悩のこと。

②天地の間。あたり一帯。

③人の世。人生。

④社会。世の中。また、世の中の人々。

⑤世間づきあい。交際の範囲。また、そのための費用。

⑥くらし向き。身代。財産。」

などの意味が書かれています。

よく言われるのが、

「渡る世間に鬼はない」で、

これは『広辞苑』には、

「世間の未知の人はこわく見えるが、皆困った人を助けるようなやさしい心を持っている。」と解説されています。

仏教語としての「世間」は、

「漢語としては、世の中の意味で、『史記』淮南王伝などに用例が見える。

サンスクリット語の原意は、場所の意味で、<世><世界>とも漢訳され、事象がその中で生起し壊滅する空間的広がりをさす。

この語はまた、この空間的広がりの中に住む人(世人)も意味する。

一般には<三界>の語とともに、迷いの存在としての衆生が生死する場、あるいは有情(衆生)を構成する五蘊を意味し、否定すべきもの、移ろいゆくもの、空虚なるもの、の三点によって特徴づけられる」

と解説されています。

ここにありますように、仏教において「世間」は、「否定すべきもの、移ろいゆくもの、空虚なるもの」なのであります。

聖徳太子の言葉として有名なのが、

「世間虚仮、唯仏是真」です。

これは、『仏教辞典』によると、

「虚妄な世俗の世界と真実の仏の世界を二元的に対比させ、仏の世界への憧憬を表明したもの。

天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)、『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』に記されている聖徳太子の言葉」であります。

また「太子は晩年に政治の世界から退いて仏教に沈潜し、世俗を超えた真実の仏の世界を認識しようとした。

これは日本人による最初の現世否定の思惟を示すものとして重要である。」と解説されています。

このような考えは仏典にもはっきり説かれているところです。

増谷文雄先生の『阿含経典による仏教の根本聖典』には、次の教えがございます。

引用します。

「ある時、世尊は、サーヴァッティー(衛城)のジェータ (祇陀) 林なる給孤独の園の精舎にあられた。

その時、ひとりの比丘は、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、白して言った。

「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」

「比丘よ、破壊するが故に世間と称せられるのである。

比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。

また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、すべてまた破壊するのである。

比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するが故に、世間と称せられるのである。」

というのであります。

註釈には、「 世間 loka に遷流の義がある」と書かれています。

『ブッダのことば』スッタニパータには、

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない」

という言葉で、このことを説いているのであります。

ダライ・ラマ猊下は、

「われわれ、自分自身の存在も、世界も宇宙も一切がこの五蘊の各要素からできている。大切な事は、五蘊のほかには全宇宙に何もないということである。」

と説かれています。

五蘊は、色受想行識で表されます。

色は、まずこの感覚器官の具わった肉体です。

この肉体に眼耳鼻舌身の感覚器官があるのです。

感覚器官が外に世界に触れて、感じる快と不快とが、感受作用である「受」です。

感じたことに、喜びや怒りを思うのが、「想」です。

それに止まらずに、さらに思いを形成してゆきます。

愛憎という強い思いのはたらきに増幅されてゆきます。これが意志とか形成作用とよばれる「行」です。

その結果、外の世界を、善と悪、是と非と分別して認識するのです。

これが「識」です。

これが私たちの苦しみの世界です。

五蘊は苦なのであります。五蘊が苦であると知ることが仏教の第一歩なのです。

五蘊によって出来ているこの世間は、苦であり、壊れゆくものなのであります。

執着すべきものではないと知ることが、お釈迦様の教えのまず第一歩なのであります。

そうして、執着を離れて、こだわらず、とらわれずに生きてゆくのであります。

 
横田南嶺

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