仏になるということ
竹村牧男先生に華厳について学び、それから小川隆先生に禅の語録を学ぶというとても素晴らしい勉強会なのであります。
華厳について学ぼうと思って昨年から竹村先生に『華厳五教章』について講義をしてもらっています。
その中でも特に「十玄門」について講義をしてもらっています。
やはり華厳の教学というのは、かなり難解であります。
言葉が難しいのです。
はじめの頃は、竹村先生のご講義を聴いていても、実に五里霧中という状態でありました。
しかしながら、この講義も今回で十回目となりました。
十回も聞いているとだんだんと霧が晴れてくるように、少しずつ理解ができるようになってくるのです。
初発心時便成正覚という言葉が出て来ました。
これは私どもではよく耳にする言葉なのです。
「初めて発心する時、便ち正覚を成ず」と読みます。
新たに悟りを得ようとする心を起すとき、ただちに仏の正しい悟りを完成しているという意味なのです。
これが『華厳経』に出ている言葉です。
「信満成仏」という言葉にもなって、信が確立するときにすでに仏となるという教えになっているのです。
竹村先生は、種と花の喩えで説いてくださいました。
種から芽が出てやがて花を咲かせます。
ということは、種には、芽を出し花を咲かせる可能性が備わっていることになります。
更にもう花が種の中にあると説くこともできるのであります。
種の中に花になる要素が含まれているというのは分りますが、そこから更に花がもう種の中にあるというのであります。
因の中に果がすでにあるという教えになるのであります。
竹村先生は、更に成仏についての考え方も示してくださいました。
大乗仏教の唯識という教えでは、仏になるのに、発心してから三大阿僧祇劫かかると説かれました。
阿僧祇というのは、『広辞苑』によると、
「①〔仏〕数えきれないほどの大きな数の単位。無数。
②数の単位。インドでは10の51乗。中国では56乗。一説に10の64乗。」
と解説されているように、とにかく想像するのもたいへんなほどに長い長い時間であります。
それほどの間生まれ変わりを繰り返して修行してようやく仏になれるという教えであります。
それが、なんと発心した時に成仏するというのでありますが、華厳では三生成仏という教えもあるのです。
これはまずはじめの一生で、見聞生といって、教えを聞いて学ぶのです。
それから次に解行生といって、修行をするのであります。
そうして三回目の生で、証入生といって悟りを得て成仏するという教えなのでありす。
こういう教えも有り難いものです。
今生の間は、しっかり教えを聞いて学ぶのだと思うと何か気が楽になるように感じます。
「果海に没入する」という言葉も印象に残っています。
悟りの海に没入してしまうという意味であります。
自他の区別も無くなってしまう世界であります。
藤井聡太さんが、「盤上没我」と色紙に書かれたということを話してくださっていました。
それから変男成仏についても有り難いお示しを賜りました。
これは古代インドの思想で、やはり男性優位の考え方が仏教にも強く影響していて、女性はすぐには成仏できずに、一度男性に生まれ変わってから仏になるという教えであります。
今の時代であれば大問題になります。
しかし竹村先生は、湯次了栄先生の『華厳五教章講義』の中にある「女身を変じて男身を現ずるは、これ勇猛の相を形容せるもの」という解釈をお示し下さり、決して差別の考えではないということを示して下さったのでした。
禅では勇猛の衆生には成仏一念にあり、懈怠の衆生には涅槃三祇に亘るという言葉もあります。
勇猛果敢に修行すると成仏は一念にあるという教えです。
そこで華厳には一念に即ち作仏という教えもございます。
ここの解釈では、理のうえでは、一念に煩悩の塵が消えて仏道をすぐに成じることができても、実際の事のうえでは、一遍に煩悩を断じることはできないので、少しずつ階梯を経て修行して、さまざまな煩悩を断つ修行をしてゆかないとならないというのであります。
こういう考えも禅では説かれるようになっています。
頓悟と漸修であります。
唯識で説かれる成仏に必要な三大阿僧祇劫はこの一念におさまっているのだという華厳の教えは、禅でとく即心是仏、この心こそが仏であるという禅の教えになっていったのだろうと学ぶことができました。
そのあとに小川先生の『宗門武庫』のご講義でありました。
前回ボサボサ頭の賢さん、こと賢蓬頭の話があって、それに関連した内容であります。
ボサボサ頭の賢さんは、高い悟りを得ていたのですが、品行がよろしくないのでした。
しかし、説法をなさるとすばらしいものだったのでした。
しかもお亡くなりになってからも、その身体は腐敗することなく、生前の姿をたもったままだったというのです。
それを大慧禅師もご覧になったことがあるという話でした。
その前の回では、悟りを開いた高僧を火葬にすると舎利が出ると話でありました。
そこで、修行をして悟りを開いた立派な高僧は、火葬にすると舎利が出てくるし、そのまま埋葬しても身体が朽ちないということなのでした。
今回はそれに関連して隆慶の閑禅師と、大陽の平侍者の話でありました。
隆慶の閑禅師は、火葬にするといたるところに舎利が出て、その量は数斛であったという話であります。
一斛は一升の百倍であります。
宋代の一升は今の0,664リットルだというのですが、本人の身体以上であります。
大陽警玄禅師は、曹洞宗のとても優れた禅僧で、お亡くなりになって数年経ってもそのお体は生きている時のようだったという話であります。
平侍者という方が後に大陽に住するのですが、この警玄禅師のお体を壊して燃してしまいました。
おとがめを受けて還俗し、最後は虎に襲われて亡くなったという話であります。
悟りを開いた高僧の舎利を崇める教えは、禅よりも以前にもあったものですが、亡くなってからも身体が朽ちないというのは、いつ頃からあった考えなのか分りません。
唯識の阿僧祇劫かかるという成仏の思想から、華厳では一念で成仏するという教えに展開して、更に禅では、この心が仏であると説かれるようになったのですが、仏の如く舎利を得ることが出来るとか、はたまた死後も身体が朽ちないとか、ずいぶんと発展していったのでした。
横田南嶺