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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.11.17
今日の言葉

百万遍生まれ変わらなければ…

先日久しぶりに臨済寺の阿部宗徹老師のお話を拝聴することができました。

私が頼まれた講演の席で、阿部老師が短いお話をなさっていたのでした。

短いお話ながら、実に深く、そして仏教の大切なところを見事にお説きになっていて感銘を受けたのでした。

あとの私の講演などは不要だと思われる内容でありました。

阿部老師は、静岡市にある臨済寺僧堂の師家であり、花園大学の学長も長くお勤めになられた方であります。

老師は、昭和二十二年、青森県八戸のお生まれでありますから、私よりも十七年も年上の大先輩であります。

私がまだ僧堂の師家になりたての頃に、全国の老師方が集まるような席に出るような時、馴れないもので隅っこで小さくなっていると、老師があたたかくお言葉をかけてくださったりしたものでした。

なんとお優しい老師なのかと思ったことでした。

そのお顔を拝見するだけで、心が安まる方なのであります。

もう随分以前にも、臨済会の講演会で老師のお話を拝聴したことがありました。

演題はたしか妙心寺開山の関山国師の三転語についてでありました。

難解な祖師の公案を極めて卑近な例を譬えに懇切にお話し下さったことを覚えています。

本有円成仏と申しますが、人は皆ただ一つの世界即ち仏様の心から生まれてきたことを老師は明確に説かれました。

「柏樹子の話に賊機あり」という難しい言葉については、一人一人の中で休むことなく働き続けている仏様の心に気づかせる為に、我々の持つ迷い執着とらわれ一切を奪い取ることを表しているのであり、そして仏様の心とは取りも直さず人を思いやり慈しむ慈悲の心であること、このようなことを親切にお話し下さいました。

重厚のお声と、柔和な御表情で語ってくださっていました。

今回は短いお話でありましたが、実によくまとまったお話でありました。

はじめに老師は、ただいまのロシア、ウクライナの戦争、イスラエルとハマスの戦争という現状に触れて、世界中で、人の尊厳を犯し合う様相を呈しているなかで、穏やかな秋のすがすがしい風のなかでこの学びの会にご縁をいただいたことの意義を述べておられました。

それから老師は、京都にお出かけになってタクシーに乗られたことをお話になりました。

タクシーで京都駅まで五分ほどの乗車だったそうなのです。

そのタクシーの運転手さんから、老師は、こんな質問を受けたそうなのです。

「おっさん(京都では和尚さんのことをおっさんと言います)、百万遍生き返らないと人は成仏できないのか」というのです。

こんな質問に五分で対応しなければならないのです。

京都には百万遍知恩寺というお寺があって、その付近の交差点やその地域の名称にもなっています。

もともと百万遍念仏を称えることを言っているのですが、この運転手さんは、どういうわけか、百万遍生まれかわらないと成仏できないと思い込んでいたようなのです。

辛い苦しい、この苦しみが癒されるのに、百万遍も生まれ変わらないといけませんかというのです。

老師は、運転手さんに、あなたは今何回目の生まれ変わりだと思っているのですかと聞いたそうです。

運転手さんは、それは分らないと答えます。

分らないけれどもこれから果てしなく何度も何度も生まれ変わらないいけないと思っているのです。

老師は、「簡潔にいうよ、あなたは今百万遍目の生を生きているのです、これ以上生まれ変わることはないのです」と仰ったのでした。

そう言われても運転手さんは、そんな実感が湧かないと言いました。

老師は「実感がわかなくても、苦しくても、悲しくても、人の為に祈ることはできる。

人の幸せを妬まないことはできる。人に優しい言葉をかけてあげることはできる、人を傷つけることを言わず、斥けることをせず、わが身にかえてもその人が安らかであれと願うことができる。

その願いだけは、仏様の教えにそむくことはないのです。

仏様の心に生きるのと同じになれる。

今その仏様の心を取り戻すならば、二度と生まれ変わらず、御仏の世界に生きることができるのです。

御仏の教えのまま生きることが出来れば、毎日戸惑い光が見えなくても、気高い命を生き、御仏の弟子になり、迷いの人生を生きることはないのです。」

とお示しになったそうなのです。

そんな話をしているとちょうど五分ほど経って京都駅に着いたそうなのです。

最後に運転手さんが「気高く生きることなのですね」と言ったのを聞いて車を降りられたと仰っていました。

老師は、きっとこれから日々の行為が、頭の中でなく、毎日の暮らしの中で願いを、慈しみを保ってゆくことで、四弘の願輪とどまることなくめぐり続けるのだと話してくださいました。

私は、そのあと、四弘誓願について六十分講演させてもらったのでした。

四弘誓願とは、まず第一に生きとし生ける者の悩み苦しみは限りないものですが、これを救ってゆこうと願うのです。

第二に苦しみの原因となる煩悩は尽きることがないのですが、これを誓って断ってゆこうと願うのです。

第三には、限り無い仏さまの教えを学んでゆこうと願うのです。

第四番目には、仏道はこの上ないものだけれども誓って成し遂げるように願うのであります。

この四つの願いは仏道を学ぶ者ならば誰しも持つべき願いなのであります。

百万遍生まれ変わるということから、ふと以前阿部老師が、『100万回生きたねこ』という絵本の話をなさっていたことを思い出しました。

百万回生まれ変わったねこがいたのでした。

国の王をはじめいろんな人の飼い猫となった愛されていたのですが、ねこは誰も好きにはなりませんでした。

そしてあるときに野良猫になりました。

いつも百万回生まれ変わっては死んだことを自慢していました。

いろんなねこたちが寄り添ってくるのでしたが、このねこは自分のことが一番好きなのでした。

そのねこが白いねこのことを好きになりました。

白いねこと一緒になってたくさんの子を産みました。

白いねことたくさんの子を好きになったのでした。

やがて子ねこたちも大きくなってそれぞれどこかに行き、白いねことずっといつまでも一緒に生きていたいと思うようになりました。

しかし、ある日、白いねこは死んでしまいました。

ねこははじめて泣いたのでした。百万遍も泣いたのでした。

泣き止んで、ねこは死んだのでした。

そしてもう二度と生まれ変わらなかったという話です。

この生が、その百万遍の最後の生であり、この命ある中で、人を愛し、慈しみ、思いやりの心で生きることで、もう苦しみの生を繰り返すことはないと老師は説かれたのだと感じたのでありました。

 
横田南嶺

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