寄り添うには、まず知ることから
「いま、智慧と慈悲を生きる」というサブタイトルがあります。
この「智慧と慈悲」こそが観音さまの心に他なりません。
この本は一九九六年に出版されたもので、私は直接泰道先生から署名入りの本を頂戴していました。
本の中に二宮尊徳と観音経との話が載っています。
本から引用します。
「江戸時代後期の有名な農政家の二宮尊徳(金次郎)がまだ十四歳の少年のころ、 「十句経」の原典ともいうべき「観音経」を、和文で読んでいる人に出会います。
それを聞いていた金次郎は、何を感じてか「もう一度読んで聞かせて下さい」とその人に頼みます。
かれは重ねて「観音経」を聞くうちに「観音さまと私とは、決して別の存在でない」と気づき、自分の中にも生まれながらに与えられていた大いなる智慧と慈悲のこころに目ざめたといいます。
あらゆる事がらから、ものを生かし、ものに生きる智慧を開発し、何ものをもすべて愛さずにはおれない慈悲にめざめるのが観音さまのこころである、と金次郎は気がついたのです。
〝観音さまになりきる”と申します。
しかしそれは、自分の姿が観音さまのお像そっくりになったり、観音さまになりすますのではありません。
私たちの心ばえが、観音さまの智慧と慈悲に触発されて、私たちの本来の人間性である仏心にたち返らせていただくことです。
観音さまになりきったとて、観音さまだけが存在して人間が消えてしまうものでもありません。
観音さまを念じる私と、念じられる観音さまとの両者の境がとれて一体となって、大きな安心に包まれるのです。」
と説かれています。
観音様というのは、本堂にお祀りされているお像のことだけではないのです。
泰道先生は、
「観音さまは偶像ではありません。私たちの持つ人間の本心本性の仏心の象徴です。
仏心を、私は現代人に理解しやすいように「純粋な人間性」と申します。
人間を人間と自覚させる本質で、生まれながらにだれもの心中に具えられているから、私は、さらにこの本質を「あなたの中の、もう一人のあなた」とも呼びます。
仏心ー純粋な人間性ーもう一人のあなたー観音さまが私たちの心の奥の深いところに在して、私たちの内側から私たちを見守り、リードし、支えていて下さるのです。
ゆえに、昔の禅者が、この事実をてっとり早く「観音とは、汝自身なり」といいきり、また親鷺の教えの浄土真宗を信ずる江部鴨村氏も、
わが胸の奥にましますみほとけを朝な夕な拝みまつる
と詠まれます。」
と書かれている通りなのです。
仏さま菩薩さまはそれぞれ願いをもって、その願いをかなえて仏様に成られたのです。
すべての人が私の国に生まれたいと願って十回私の名前を唱えたら、必ず私の国に生まれるように、もし生まれることができないなら悟りを開きませんという願いを立てた菩薩さまがいらっしゃいました。
十回名前を唱えたら、みんな苦しみのない安らかな世界に生まれさせてあげるというのです。
こんな願いを立てて仏さまになったのが阿弥陀様であります。
そこで多くの方が阿弥陀様の名前を唱えるようになったのです。
その名前というのが南無阿弥陀仏であります。
観音さまは、十の願いを立てられました。
七難と言いますが、「火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難」とございます。
たとえ火の中であろうが、水に溺れようが、高い崖から落ちようが、刀で切られようとしようが、観音の名前を唱えたら必ず救うという願いを立てられたのであります。
その願いを信じて、私たちは、南無観世音菩薩とお唱えするのです。
十の願いのうち、最初の四つは、
「我れ速に一切の法を知らむことを。
我れ早く智慧眼を得む。
我れ速に一切の衆を度せむ。
我れ早く善方便を得む。」
となっています。
まず第一に一切の物事を知ろうというのです。
知った上で正しく判断できる智慧を得たいと願います。
そのうえで、生きとし生けるものを救っていこうと願います。
そして、そのためにはどうしたらいいか、よき方法が得られるのです。
まずはじめによく知ることがあるのです。
先日須磨寺の小池陽人さんが、「うつわ的利他 聞く力と変化できる力」と題して法話をなさっていました。
介護ユーチューバーの「はたつん」さんとのお話であります。
よく「寄り添う」という言葉を耳にしますが、これはなかなか難しいものです。
下手をすると余計なお世話になりかねません。
そこでこのはたつんさんは、「寄り添うとは相手のことを知ることから始まる」と仰っていたというのです。
小池さんは法話の中で、
「利他を間違うと善意の押し売りになりかねない。
有り難迷惑ということもある。
障がい者支援の現場を視ても、健常者がサポートしているのですが、本人が十分できることをも良かれと思ってやってしまうことがあります。
なんでも助けてあげようと思って先回りしてやってしまいます。
「たすかるでしょう」と言いながら、実は善意の押し売りになってしまうことがあります。
しかし受けた方からは、善意だから断れないのです。
果ては、有難うございますという恩を受け取ることを演じさせられるのです。
それが息苦しさになってしまうというのです。
では利他にとって何が大切かというと小池さんが仰るには、「器的利他が大事」だということです。
「相手の思いを知る、相手の気持ちを受け取る器を持ちながら利他をすることが大事で、そうすると、善意の押し売りにはならない」とお話になっていました。
そんな話を拝聴していてなるほどと思いました、
観音さまの願いも人を救うことなのですが、まずよく知ることから始まっているのです。
相手の事を知ることから、寄り添いも慈悲も始まるのです。
観音さまの心とは智慧と慈悲だというのはやはり深い意味があるものです。
横田南嶺