長野講演
また帯津先生との対談に向けて改めて貝原益軒の『養生訓』を読み返したことも勉強になりました。
江戸時代の養生の考えは、今の時代にも通じるものがたくさんあるものです。
中公文庫『養生訓』にある松田道雄先生の現代語訳から、いくつかご紹介してみましょう。
「養生の術はまず心気を養うがよい。心を和らかにし、気を平らかにし、怒りと欲とを抑え、憂いと思いを少なくし、心を苦しめず、気をそこなわずというのが、心気を養う要領である。」
ということなどは、養生の基本であります。
「病気がおこってから薬を使ったり、鍼灸で病気を攻めたてるのは養生の末である。根本のことに努力しなければならぬ。」
とは今も心すべきことです。
「聖人は未病を治す」と言われるゆえんであります。
この頃は、この「未病」という言葉もよく耳にするようになりました。
「身を養うことは欲をすくなくするにしくはなし(宋 王昭素)」
という言葉があって、「最高の養生は欲を少なくすること」なのであります。
このあたりは、欲を恣にしてはいけないという仏教の教えにも通じます。
「心は楽しませねばならぬ。苦しめてはいけない。からだは骨折らせねばならぬ。休ませすぎてはいけない。およそ自分をかわいがりすぎてはいけない。
おいしいものを食べすぎ、うまい酒を飲みすぎ、色を好み、からだを楽にして、怠けて寝ているのが好きだというのは、みな自分をかわいがりすぎるのだから、かえってからだの害になる。」
というのは、欲を慎みながらも楽しむことが大事だと説かれているのです。
「養生の術常に正しく腰をすえ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしずめてあらくせず、胸中より微気をしばしば口に吐き出して胸中に気を集めずして丹田に気を集むべし。」という原文の言葉があります。
丹田に気をおさめることを説かれているのです。
呼吸の要領は、「古くけがれたる気を吐き出し、新しく清い気を吸い取る」ことと説かれています。
今読んでもなるほどと思うものであります。
帯津先生との対談を終えて寺に戻り、寺の諸行事を済ませて、長野に出かけました。
第六八回長野県仏教徒大会での講演であります。
長野には、今年三回目となります。
一度は茅野市にある諏訪中央病院での講演、それから松本市神宮寺での法話、そして長野市での講演であります。
講演の前に、かねてからお参りしたいと念願していて善光寺にお参りしました。
甲府の善光寺にはお参りしたことがありますが、本場の長野善光寺にお参りしたことはなかったのでした。
長野善光寺というのは、ホームページに、
「信州善光寺は一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております」
というお寺であります。
やはりその大きさには圧倒されました。
これほどの大寺院というのは、そう多くはありません。
しかも大勢の方がお参りになっていて、「民衆の心の拠り所」というのが頷けます。
これもホームページに書かれていることですが、
「当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが、現在その護持運営は大勧進を本坊とする天台宗と、大本願を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。」
というので、お寺としてはかなり変わったあり方をしています。
普通は何宗かの僧が開創されていて、その祖師の教えを学ぶのがお寺なのですが、どうもそういうあり方とは異なるのであります。
やはり「民衆のお寺」なのだと思いました。
ご本尊は、一光三尊阿弥陀如来と申します。
一つの光背の中に三尊、すなわち中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩がいらっしゃるのです。
これが「善光寺式阿弥陀三尊像」とも申します。
このご本尊は、寺の縁起によれば、「インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれて」いるそうなのです。
それがどうして信濃にあるかというと、「信濃国国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。
皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました」
というのであります。
こういう由来ですから、宗派の教えというのはあまり関係していなのです。
この善光寺のご本尊は、絶対秘仏で直に拝むことはできないのです。
ただ鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして「前立本尊」が造られました。
この前立本尊が七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことができるのです。
昨年が御開帳でありました。
また御開帳の時にお参りしたいものであります。
そのあと、長野市内のホールで講演をさせてもらいました。
やはりこの長野県仏教徒大会もコロナ禍の間は、大勢の方を集めての大会ができなかったようでした。
それだけに大勢の方がお集まりくださっていました。
演題は、「慈悲のこころを」としました。
大会のテーマが「平和 安心 幸せ を求めて」ということでしたので、平和も安心も幸せも慈悲の心があればこそと思ってそうしたのでした。
おりからパレスチナでも戦争が始まってしまい、仏教会の方々のご挨拶でも戦争のことに触れられていました。
それを受けて私もはじめに釈宗演老師のことをお話しました。
宗演老師が、二十九歳でセイロンにゆかれ、「世界が始まって以来、大小の戦争が、何回起こったか、わからない。そして、そのために、死んだ人数は、当然ながら、少なくない。ある学者の統計によれば、その人数は全部で十四億人(一四〇〇〇〇〇〇〇〇) という。」言葉を紹介し、その十四億人というのは、「一人ずつ数え上げようとすれば、毎日十九時間を勘定に費やして、一時間に六千人ずつを数えられるとして、三百六十六年もかかるという」ことを紹介しました。
そして「そもそも、戦争が私達に何をもたらしてくれるというのでしょう?
何も、もたらしてはくれません。戦争とは、弱い者が、強い者に虐げられることに過ぎないのです。戦争とは、兄弟同士が争い、血を流し合うことに他ならないのです。戦争とは、強い者が、結局何も得るものがない一方で、弱い者が、すべてを失うことなのです」という言葉を紹介して話を始めたのでした。
大会の宣言文には、私の講演を受けて
一、慈悲のこころの実践をいたします。
一、お釈迦さまのみ教えを大切に、平和、安心、幸せを求めてまいります。
一、信仰の絆を深めて、人々と共に生きてまいります。
ということになっていました。
この大会では、涅槃図の絵解きで有名な岡澤恭子さんに、控え室でお世話になりました。
おいしいお茶をいれてくださいました。
長野の皆様の熱い信仰心に触れることができました。
横田南嶺