洪鐘祭無事終わる
感慨無量であります。
修行時代に、円覚寺の宝物風入れの時に、百二十年前の明治時代の洪鐘祭の絵巻物を出しながら、いつもこの祭の絵を眺めていました。
明治の頃にはこんな盛大なお祭が行われていたのだと思って見ていました。
六十年に一度というから、次回はいつなのかな、次回もこんな祭ができるのかなと思っていたものでした。
管長に就任してみると、洪鐘祭は十年後にあることが分りました。
しかし私が管長に就任した当初は、平成三十年の釈宗演老師百年諱、平成三十一年の大用国師二百年遠諱が控えていて、それに向けてひたすら邁進するのみでありました。
正直のところ、洪鐘祭のことまで考える余裕はありませんでした。
更に元来洪鐘祭が行われる予定の二千二十年は、コロナ感染症によって開催できるような状況ではありませんでした。
どうにか円覚寺の僧侶だけでもお経を読んで法要をと思ったものの、それも困難となったのでした。
洪鐘祭がどうなるのか、あきらめかけた時もありました。
盛大なことは無理でも江島神社と円覚寺の僧侶とで行事だけでもできればいいと思ったりしたものでした。
ところが、だんだんと地元の方々がこのお祭に向けて熱心になってくれてきたのでした。
だんだんと盛り上がってきたのでした。
洪鐘祭を担当している法務部の和尚から報告を聞く度に驚くように展開していっているのであります。
盛大なことは無理だろうと思ったのは、もう六十年前に比べるとはるかに交通量が多いのです。
しかも鎌倉は道が狭くて、この道を塞いでパレードなど無理だと思ったのでした。
ところが、途中でなんと当日は日曜日にもかかわらず、鎌倉街道の小袋谷交差点から鶴岡八幡宮前三の鳥居前交差点の間で、全面通行止めをするようになったと聞いたものですから驚きでした。
ただでさえ大混雑する日曜日に全面通行止めなど想像もできなかったのでした。
こんなことはお寺の力だけでできるものではありません。
多くの方々のお力添えのおかげなのであります。
警備員も何百名も頼まないといけません。
警察の方には当然お世話になります。
かくして準備万端整って当日を迎えましたら、朝からなんと雨でありました。
すべて屋外の行事なので雨になったらどうしようもないと話をしていたらその通りであります。
開会式の建長寺に向かって、挨拶した頃はまだ小雨でありました。
円覚寺の御開山は雨がお好きでありまして、この雨は開山様がお喜びになっている証拠でありますとはじめに述べたほどでした。
しかし挨拶の済む頃には雨も止りました。
建長寺の酒井泰玄老師のご導師で建長寺の皆様に祭の無事を祈念して読経をたまわり、更に御詠歌をいただいて出発したのでした。
行列が始まるとだんだんと晴れて、小袋谷から円覚寺まで本格的な行列が出る時にはすっかり快晴となったのでした。
パレードをするといっても、国宝の洪鐘を持って出すことはできませんので、皆で作った洪鐘を用意しました。
これがまた素人が作ったものですが、地元の方々が熱心に心を込めて作ってくださり、ほんものかと見まがうばかりでありました。
それでも作り物の洪鐘と、私たちが歩いても誰が見に来るだろうかなどと懸念していました。
有名な芸能人でも来るわけではありません。
しかし、朝雨だったにもかかわらず、有名人もいないにもかかわらず、県道にはあふれんばかりの方々がお集まりくださったのでした。
地元のお囃子がでて、更に今回は、江島神社の相原宮司さまが全面的にご協力くださいましたので、宮司さまと神官の方々、江ノ島のお囃子、唐人囃子も出てくださったのでした。
太鼓や笛の賑やかな音色に、御神輿も出てお稚児さんも並んでくださって、行列は最後尾が出立する頃には先頭が円覚寺につくほど、千人近い大行列となったのでした。
鎌倉市長さんや、国会議員の浅尾慶一郎さんや早稲田夕季さんも参加してくださいました。
北鎌倉にこんなに人が出ているのは、私も三十数年住んでいて初めてであります。
つくづくと祭の素晴らしさを思いました。
有名人がなくてもみんなの力が合わさってできるのであります。
もっとも私は人力車に乗せてもらって行列したのですが、私の人力車を引いてくださったのは、有名人であります。
友風亭の青木登さんです。
青木さんは、鎌倉の人力車では先駆者であります。
一九八四年から始めたというので、もう四十年になろうかという年期であります。
もう七十五歳になられるというのですが、お元気そのものです。
青木さんは、客引きをしないというのが信条で、私も修行時代によく円覚寺の門前でじっとお客から声がかかるのを待っている青木さんのお姿を見かけたものでした。
私も人力車に乗るなど初めて、しかもあの青木さんにひいてもらうとは恐縮したものです。
沿道を走っていても、多くの方が、「青木さん、頑張って」と声がかかります。
この鎌倉では私よりもはるかに有名人なのです。
青木さんもこの六十年に一度のお祭で人力を引けたのが感激だと仰ってくださいましたが、私の方こそ、こんな時に青木さんのひく人力車の乗れて幸せでありました。
かくしてお昼過ぎには無事に円覚寺に到着することができたのでした。
午後2時からは、尾崎亜美さん、辛島美登里さん、佐藤和哉さん、桑山哲也さん、ゆーゆさんという五人の素晴らしい方のコンサートが行われました。
仏殿の前に舞台を設けてイスを四五〇席並べて用意しました。
満席となった上に立ち見の方もいらっしゃるほどの盛況で、どの方も素晴らしい演奏やお歌でありました。
最後に挨拶をしました。
国宝の洪鐘には、「風調雨順 国泰民安」という祈りの言葉が書かれています。
天候が調っていて、国が泰らかで民も安らかでありますようにという意味であります。
前回から六十年経って、こうしてお祭りが盛大に出来たのは、まず国が平和で、人々も安らかに暮らしているからなのであります。
まずこのことに感謝しなければなりません。
次回六十年後はどうでしょうか。
私はたぶんいないと思いますが、その時も日本の国が平和で、人々は安らかで、また多くの方がこの洪鐘祭に集い愉しんでいられるように祈りますと申し上げたのでした。
コンサートの終わりには、国宝の洪鐘を撞いてもらって、皆様に鎌倉時代の鐘の音を聞いていただきました。
かくして地元の皆々さまのお力で盛大に、そして無事に終えることができたのでした。
私は行列の間ずっと合掌していたのですが、ほんとに皆様のお力に心から手を合わせる思いでありました。
実行委員の皆さん、地元も皆様ご参列くださった皆々さまにただただ感謝なのであります。
横田南嶺