怒りを静めるには
有り難いことです。
明治二十五年に数え年三十四歳で円覚寺の管長になり、明くる年にシカゴの万国宗教会議に出席されました。
シカゴでの演説で終えて帰国された宗演老師は、管長として或いは師家として、大いに活躍されています。
明治三十五年七月には、シカゴ万国宗教会議においても通訳を務めた野村洋三の紹介によって、サンフランシスコの大家具商ラッセル夫人、友人のドレッセル夫人等一行が円覚寺に来て、正伝庵に滞在しながら、宗演老師に参禅されています。
これも画期的なことだったと想像します。
外国人で日本に来て参禅されたのはこれが初めてでしょう。
翌年の四月に帰国するまでの間、一行は熱心に参禅されたようです。
また宗演老師も、夜にはラッセル夫人についてバイブルの講義を受けられたというのです。
明治三十六年には建長寺からの懇望によって、建長寺派の管長も兼任されました。
明くる明治三十七年には、建長寺派管長として日露戦争に従軍布教なされています。
明治三十八年には、建長寺と円覚寺の管長職を辞して、東慶寺住職となられました。
一箇自由の身となった宗演老師は、曽て来日して参禅されていたラッセル夫人の勧めもあって再び六月に渡米されました。
サンフランシスコのラッセル邸に約九ケ月滞在し、直に参禅指導されています。
その後、更に東海岸に到り、ワシントンでルーズベルト大統領とも会見して、親しく世界平和について語り合っています。
そして驚くべきことに、更に足を伸ばしてヨーロッパ、アジアを歴訪されて、その帰りにインドに立ち寄り、ブッダガヤの霊迹を拝塔されて、明くる年の八月に帰国されたのでした。
こうして宗演老師がご自身でアメリカをはじめヨーロッパ諸国に禅を弘められたのであります。
かくして帰国された明治三十九年の十一月には、徳富蘇峰、野田大塊、早川雪堂らによって、碧巖会が開筵され、政財界、学界などから朝野の名士が、毎月宗演老師の碧巌録提唱に耳を傾けました。
更に宗演老師は席暖まる間もなく、明治四十四年朝鮮を約一ヶ月巡錫、大正元年には満洲を巡錫、大正二年には、台湾を巡錫、大正六年には中国を約三ヶ月に亘って巡錫されました。
中国巡錫においては、禅宗初祖達磨大師縁りの嵩山少林寺へも拝塔されています。
そうしてアジア各地を巡教しながらも、国内に於いても精力的に教化を続けられ、大正三年には、妙心寺派からの懇請を受けて、臨済宗大学、花園学院院長に就任されました。
宗演老師は、その智の博さに於いても、その慈悲の深さに於いても、その意志の強さに於いても、群を抜いておられました。
鈴木大拙先生も「…一種の愛があったことを今でも忘れぬ。此の愛を何かに付けて予は感じた。予が米国に行くようになったのも老漢の厚情であった。」と述べられています。
平成三十年に宗演老師の百年忌をお勤めしました。
そのときの記念出版に宗演老師の『禅海一瀾講話』と『観音経講話』を出版しました。
普通我々、観音様というと、観音様にお願いをする、困ったときに観音様にお願いをすれば観音様が私たちのことを助けてくれる、救ってくれると、こう思うのですが、それだけでは禅の教えとは言えないのであります。
釈宗演老師の説かれる観音様というのは、我々自身が観音様の現われであるということなのであります。
これは決して宗演老師のようなご立派な方が観音さまだというのではなく、誰しもみな観音さまだというのです。
宗演老師は、『観音経講話』のなかで、
「私に云わせると、どうしても我々は観世音菩薩の現われであると、明らかに云い得ると思う。
それは何故かというに、段々、経文の中に這入って行くと詳しく分かるのであるが、だいたい観音というのは、観音すなわち慈悲と智慧と、そして勇猛心のこの三つの現われである。」
と明言されています。
怒りの心が起きた時について、
「我々が心に逆らった境遇に身を投じる時には得て、怒りを発するものである。こういうことはお互いに経験していることと思う。誰にでもあることと思うが、自分の思っていることに、あべこべのことを持って来ると、猛火炎々として、嗔りの心が頭をもたげてくる。人と人とが何か話をして、ひょっと感情の衝突を起こすと、心の中の猛火が炎々と燃え立って来ることがある。」
と書かれていて、そんな時にどうするかというと、宗演老師は、
「そういう時には平生、観音様を信じておる人、少なくとも平生、多少精神的の修養がある人ならば嗔(いかり)の心がむっと頭を上げて来たのを、まぁ待てと頭を押さえることができる。」
と説かれています。
更に「修養の精神をもっている人は、自分の胸に燃えるところの猛火を打ち消して、能く考えてものをいうのである。それにはちょっと自分の気息を数えてもいい。息が出るか這入るか、わずかなその時のはずみに気をつけて、それから後に口を利くと、言い損ないもなく仕損ないもない。」
とも説いておられます。
そして、
「ゆえに平生、心を練っている人は、何かそういう心持になった時は、観音様のお顔をちょっと拝む、どうして拝むかというと外でもない、我々は観音様の現われであるはずである。言い換えれば、我々は大慈悲の現われである。我々は大智慧をもとよりもっているはずである。我々は大勇猛心をもっているはずである。とこういう工合に拝むのである。」
私に素晴らしい観音さまの心が具わっているのだ、大慈悲の現れなのだと自覚すると、大きな広い心で相手も包み込むことができるというのであります。
宗演老師は
「昔の人はなかなか善いことを云っている。
「負けている人を弱しと思うなよ、忍ぶ心の強さなりけり」
それに違いない。表面から見ると、心を殺して相手にならないのは弱いようであるけれども、怒りの心をじっと押さえる力というものは、驚くべき強さである。」とも述べられています。
『観音経講話』は春秋社から出してもらったものであります。
横田南嶺