怨みの恐ろしさ – シャカ族の滅亡、その原因 –
「親族の木陰は涼しい」という言葉です。
本書には次のように書いています。
「ブッダは、釈迦族のお生まれでした。
もと王子でありながら、出家してブッダになりました。
そのブッダの晩年、悲劇が起こりました。
隣国のコーサラ国の国王が、釈迦族を滅亡しようとしたのでした。
釈迦族にも原因があって、コーサラ国王の怨みをかってしまい、報復されることになったのでした。
ブッダはそのことを知って、コーサラ王が進軍する途中の枯れ木の下に坐っておられました。
コーサラ王は、「涼しい葉の繁った木の下に坐ったらどうですか」と言いました。
ブッダは、「たとえ、枯れ木の枝でも親族の木陰は涼しい」と答えました。
王はお釈迦様のお心を察して引き返しました。
しばらくして再度王は出撃します。またブッダは同じ木陰に坐りました。そのように三度出掛けて、三度引き返しました。
とうとう四度目には、ブッダも引き留めませんでした。
「親族の木陰は涼しい」、やむにやまれぬ事情を知りながらも、親族を思うブッダのお心がしのばれます。」
というものです。
四度目の進軍の時のことを中村元先生の『ゴータマ・ブッダ中』(春秋社)には次のように書かれています。
「しかし四度目にそこへ行ったときには、師はシャカ族の前業(以前になしたこと)を観察して、かれらが河のなかに毒を投じたような悪業が熟してもはや取り除くことができなくなっているのを知ったので、四度目には出かけなかった。
ヴィドゥーダバ王は乳児をはじめとして、シャカ族の者どもをみな殺しにして、かれらの喉の血でもって腰掛を洗い浄めて帰っていった」
というのです。
喉の血で腰掛けを洗い浄めるというのは、次のようことがあったからなのです。
コーサラの王、パセナーディ王は、シャカ族の娘を自分の第一の妃にしようと思いました。
シャカ族というのは、血統の尊さを自負していたのでした。
この要求に従わないと大国であるコーサラに攻め滅ぼされることになるし、妃を与えたなら、血統が乱れてしまいます。
そこでマハーナーマが、自分の娘を与えようといいました。
その娘は、マハーナーマが身分の低い女性に産ませた子でありました。
そうして生まれたのが、ヴィドゥーダバでした。
彼が十六歳(八歳という説もあります)になったとき、母の故郷であるシャカ族の国へ行きました。
ところが、その母の素姓のゆえにシャカ族の者からは軽蔑されました。
そうして、公会堂でかれのすわった腰掛を、一人の身分の低い女性が『これが身分の低い女性の伜のすわった腰掛だ』 と罵りながら、牛乳を混じた水で洗い浄めたというのです。
王子はこれを聞いて、『よし、おれのすわった腰掛を、乳を混じた水で洗うなら、洗ってみろ。おれが王位に即いたときには、あいつらの喉笛の血を取って、おれのすわっていた腰掛を洗い浄めてやるぞ』と固く決心したということなのです。
深い怨みを買っていたのでした。
そうして、やがて国王になってシャカ族を攻めようとしたのでした。
シャカ族の滅亡には、こういういきさつがありました。
今年の四月に、『初期経典にみる釈尊の戦争観 シャカ族滅亡の伝承を読む』という多田武志先生の本が論創社から出版されました。
その本のはじめにシャカ族の滅亡がどれほど悲惨なものだったか書かれています。
はじめのところを引用します。
「釈尊の晩年、釈尊の出身種族であるシャカ族はコーサラ国王のヴィドゥーダバ(流離)によって殲滅させられたという。
北伝資料によれば、九九九〇万人のシャカ族が虐殺され、その流血が河をなし、シャカ族の都城・毘羅越 (カピラヴァットゥ)は焼け落ちたとある。
南伝資料では、ヴィドゥーダバは乳児をはじめとしてシャカ族の全員を虐殺し、しかも彼らの喉元を切ったその血で腰掛を洗い清めて引き上げた。
その結果、シャカ族の血統は断ち切られたとする。
総じて、北伝・南伝両資料とも、専制的君主国家であるコーサラ国がシャカ族を対象に集団虐殺を行い、種族を滅亡させた事件として詳細に伝えている。」
というのであります。
その後に、
「もっとも、これは釈尊の入滅後のことだが、遺骨が八分配された際、そのうちの一つをシャカ族が請来し、仏塔を建て崇拝したことが伝えられていることからすれば、シャカ族はその後も存続したのであって、種族の滅亡という伝承には明らかな誇張が認められる。」
とも書かれています。
なんともすさまじい怨念であります。
この本の「シャカ族の血統神話」という章には、
「シャカ族は系譜の純粋性を重んじ、その優性/劣性の差別意識を厳しく保持していた。
たとえ種姓が王族・貴族(クシャトリヤ、利帝利)であっても、その系譜に異種性婚姻による混血雑種が混入していれば、それだけで死んでも食事を共にないほどの不浄感をもって臨んだ。
そうした差別的血統主義がヴィドゥーダバの怨念を招き、自族の滅亡という大惨事を引き起こした。諸経典の伝承は、そのような因果関係を共通の認識として伝えている。」
と書かれています。
お釈迦様が
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」(法句経5)
と説かれたのもよく分るような気がします。
血統を尊ぶこと自体は悪くはないのでしょうが、自らの血統を尊ぶあまり、他のものをさげすむことになると、怨みをかうことになってしまいます。
またお釈迦様が「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(スッタニパータ一四二)」と説かれたのも深く受けとめることができるのです。
お釈迦様ご自身も怨みの報復とその恐ろしさを目の当たりになされていたのでした。
横田南嶺