舎利講式
円覚寺でも十月は最も行事が多いのであります。
二日と三日で開山忌をお勤めします。
四日と五日で達磨大師のご命日、達磨忌を務めます。
それから十五日に舎利講式を務めます。
それが終わると、修行道場の雪安居開講が十月二十日であります。
それに加えて今年は、二十九日洪鐘祭も開催されるのであります。
舎利講式というのは、円覚寺の大切な行事であります。
北条貞時公の時に、仏舎利を安置する舎利殿を円覚寺に造られたのでした。
それまでは、大慈寺というお寺にお祀りされていました。
大慈寺は、源実朝公がお建てになったお寺であります。
『円覚寺史』には、
「『萬年山正續院佛牙舎利略記』によると、ある時源實朝が夢に自分が南山道宣律師の再来であると見た。
同時に良眞僧都と明庵榮西も同様の夢を見たので、實朝は道宣の開山に成る宋國能仁寺の佛舍利の請求を思ひ立ち、再度遺使の結果、漸くにして目的を遂げ、これを鎌倉の大慈寺(新御堂)に安置し、毎年十月十五日に舍利會を行つた。」
と書かれています。
もともとは大慈寺にお祀りされた舎利を十月十五日に舎利会を行って供養していたのです。
大休正念という禅僧がいらっしゃいました。
文永六年(一二六九)に来朝されて佛源禅師とお呼びしています。
大休正念禅師の語録には、弘安元年建長寺より寿福寺に遷任していますが、その翌年に十月十五日大慈寺舎利会上堂という法語が残されています。
その後にも大慈寺舎利会上堂が行われていて計三回行われています。
よほど佛源禅師は、舎利会に深い思い入れがあったものと推察されます。
弘安八年佛源禅師は、円覚寺の第二世として入山されました。
その時に十月十五日佛牙舎利を奉安する上堂というお説法をなされています。
このことについて『円覚寺史』には、
「大慈寺の舎利を遷して安奉したとも書いてないし、舎利殿を新築した落慶の法語でもないが、佛舍利を新たに奉安して、檀門の世祿久昌を祈つてゐることは事實であり、その人が、先住地では毎年のやうに供養上堂してゐたのであるから、他から遷したとすれば、大慈寺の舎利を遷したと考へ得るし、『佛牙舎利略記』の記事の補強材料として見れば、屈強の史料であり、この上堂法語があるが故に、『舎利略記』の記事の信憑度が増す譯」
だと書かれています。
そこで更に『円覚寺史』には、
「したがって、貞時が弘安八年に、鎌倉の土地と北條の家門の守護のために大慈寺の舎利を、自己の家刹である圓覺寺に遷し、恐らくは、舎利殿を新造して、これに安置したと見て、概略間違ないと思はれる。
そして、その半面には大体自身の大慈寺舎利への信仰がものを言って、貞時に、その舎利の利益を説いて、自己の新任の地であり、北條氏因縁の寺である圓覺寺への移祀を進言したのかも知れない。
ここに有名な圓覺寺舎利殿の濫觴が存することとなる。」
と書かれているのです。
不確かなこともあるのですが、要は弘安八年に佛源禅師が円覚寺の第二世となって入寺し、大慈寺にあった佛牙舎利を円覚寺に遷してお祀りするようになったということであります。
十月十五日に舎利供養をするのは、その頃からの伝統なのであります。
また『円覚寺史』には、
「最勝園寺殿北條貞時が、從來能仁寺の舎利が鎌倉に遷されてから二百年の間、殊の外崇敬をして来たので、北條氏も安泰に、鎌倉も繁昌した。
將來若し怠ることがあつたら、必ず運を失ふであらう。
圓覺寺は鎌倉の戌亥の方角に當るから、ここに舎利を奉安して、永代鎌倉の守護の霊祠と為さんと言って、円覚寺中に、舎利殿を剏めたといふのである」
と書かれているのです。
円覚寺は開創以来幾度も火災に見舞われています。
大きなものでも、
「応安の火災(一三七四)」、
「応永の火災(一四〇一、一四〇七、一四二一の三回)」、
「永禄の火災(一五六三)」と続いています。
永禄の火災では、山門、仏殿、開山堂以下十余カ所を焼き尽くしたというのです。
ただいまの舎利殿は、その後北条氏康によって尼寺太平寺の仏殿が移築されたというのが定説となっています。
天正年間のことです。
天正十三年(一五八五)の開山遠諱に間に合わせたと言われています。
舎利殿にまつわる話は諸説あります。
舎利殿がはじめに出来たのは、弘安八年ではなく、延慶二年(一三〇九)という説もあります。
さて、ともあれ、円覚寺では十月十四日に羅漢講式、そして十五日に舎利講式を行って来ました。
羅漢講式というのは、羅漢様をご供養する法要であります。
円覚寺には重要文化財の五百羅漢像が伝わっています。
そのすべてではありませんが、五百羅漢像と、十六羅漢のお軸を掛けて供養します。
十六の阿羅漢の名前をひとつひとつ読み上げながら、礼拝して羅漢尊者を拝請するのであります。
そうして羅漢尊者の功徳を讃える儀式なのです。
十五日が、舎利講式で、舎利殿にお祀りしている仏舎利をこの日、年に一度御開帳するのです。
方丈に遷してお祀りします。
そこで舎利礼文を唱えて礼拝し、舎利の功徳を讃えて講式を行っています。
円覚寺派寺院の檀信徒をお招きしているのですが、ここ三年ほどは、儀式を短縮して一日で行っていました。
今年も十五日一日で羅漢講式と舎利講式を行いました。
ただ残念ながら、コロナ感染症の影響もあって、檀信徒の方のお参りはゼロでありました。
三宝会には、参加を募集しなかったので結局誰もいないところで儀式のみを行うことになってしまいました。
御開帳は多くの方にご縁を結んでいただくのが大事なことだと思うのでありますが、感染症のこともありなかなか難しいものです。
来年こそはと思うのであります。
舍利講式の最後に四つの願いを読み上げていますので、意訳して紹介します。
第一の願いというのは、古の優れた祖師を友として、仏道に精進して怠ることなく、仏弟子としての務めを忘れることなく果たしてゆくことです。
第二の願いというのは、仏法の真理を明らかにするためには、身体を惜しむことなく、誠を尽くして自分にできる限りの勤めをなして、優れた師にお仕えすることです。
第三の願いというのは、毎日朝に晩に参禅修行を怠らず、悟りを求めて努力して、仏弟子として生きることです。
第四の願いというのは、お互いの本心本性を明らかにしてからは、町の中に入っていって人々の為に尽くして、この世界の人たちと共に悟りの世界に到り、仏の智慧を開いて、多くのご恩に報い、苦しんでいる人たちを救って、仏の恩に報いてゆくことです。
舎利を礼拝して、そんなことを誓っているのであります。
横田南嶺