無になれ
『無門関』をいう書物の講義を始めました。
『無門関』は、懐かしく特別な思い入れのある書物です。
私が初めて坐禅を習ってお寺で老師様のお話をお聞きしたのはまだ小学生の頃でした。
初めて禅の語録の提唱というのを聞いたのでした。
それがこの『無門関』でありました。
『無門関』は中国の宋の時代、無門慧開禅師の書かれた書物です。
無門禅師は、西暦一一八三年に生まれて、一二六〇年にお亡くなりになっています。
この無門禅師に参禅したのが、日本の法燈国師であります。
心地覚心と申します。
西暦一二〇七年のお生まれで、一二九八年にお亡くなりになっている方です。
信濃の方です。
一二四九年に入宋しています。
すでに四十才を越えています。
無門禅師について修行して、建長六年一二五四年に帰朝しています。
紀州和歌山県の由良町興国寺の開山となった方です。
法灯国師が、今から七百七十年ほど前に中国に渡ってこの無門慧開禅師に直に参禅して『無門関』を授かって帰ってまいりました。
その興国寺の開山から第百五十代目の老師が目黒絶海老師と申しまして、私が初めて参禅した老師です。
その『無門関』の第一則が「趙州狗子」です。
本文は「趙州和尚因みに僧問う。狗子に還って仏性有りや也た無しや。州云く、無。」とこれだけです。
犬に仏性がありますかと僧が問うたところ、趙州は無と答えたのでした。
『無門関』を書かれた無門禅師は、この無の一字を六年も工夫されました。
無になるため苦労されました。
円覚寺の開山佛光国師もまた、十七歳から二十三才まで六年かけて無字の公案に取り組まれました。
十七歳から二十歳前後の一番気力体力の旺盛な時にただただ坐禅堂にこもって無になろうとされたのでした。
大変な努力ですが、この苦労が後の仏光国師の活躍の大もとになります。
さて、無になるとは一体何を無にするのでしょうか。
私達は自我意識を持っています。
この肉体と精神活動をしている自分があると認めておいて、何を見ても何を聴いても自分中心に見たり聞いたりしています。
自分を基準にして好きだ嫌いだ、良いだ悪いだと色づけをしてしまっています。
それはあたかも自分中心の知識や経験思いこみの狭い枠の中に閉じこめられているようなものです。
自由に活動しているように見えて実はきわめて不自由です。
さらには長じるにつけて、習い覚えた知識や経験、これは尊いものではありますが、聴いたり学んだりしたことに振り回されてしまって、主体性を見失ってしまっているのではないかと言うのです。
無門禅師は、それは草や木に宿る精霊のようなものだと譬えています。
ふわふわと漂って他人の意見や考えに振り回されているだけだと言われているのです。
そこで無門禅師は、
「従前の悪知悪覚を蕩尽して、久々に純熟して、自然に内外打成一片ならば唖子(あす)の夢を得るが如く、只自知することを許す。」
と説かれています。
今まで覚えてきた誤った認識を徹底的に根絶やしにしてしまって、ただ「無字」のみとなってその状態をたもってゆくのです。
そうすればいずれ自分の内と外との区別がなくなってひとつになるのです。
そうすると唖の者が夢を見たようなもので、自分だけが分かっていて他人に伝えることはできないと説かれています。
無になるというと何か寂しい、むなしいように思われるかも知れませんがそんなことはありません。
無門禅師は、この無の一字になりきって気がついたならば、あたかも三国志の関羽将軍の大刀を奪い得て手に入れるが如くだと詠われています。
それこそ、仏に出会えば、仏を殺し、祖師に出会えば祖師を殺し、なににも執われることがないというのです。
生死の崖っぷち、六道四生の輪廻の世界のまっただ中で自由自在になることができると説かれています。
実に無になった者ほど強い者はありません。
「涼しさや裸に落としものは無し」という句がありますが、何も失うものがないのですから、これほど強いものはありません。
そして更に無になってみると、本来の自己があらわになってきます。
道元禅師は本来の面目と題してこう詠われました。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて涼しかりけり」
春の花、夏に鳴くほととぎす、秋の月、冬の雪、この大自然大宇宙の姿そのものが本当の私の姿だと言うことです。
この小さな革袋の中だけを自分と思っていては、やがて朽ち果て無くなります。
しかし本来の自己、すなわち仏心仏性はこの大自然天地宇宙と共にあって生き通しであります。
春の花も秋の月も冬の雪も、私と別々のものではなくて、みんなひとつながりのいのちそのものです。
一枚の仏心です。一枚の無字です。
そう気がつくと、有り難くてしかたなくなります。
無の一字を工夫することによって、こういう世界が開けてきます。
修行僧達にもせっかく道場に来ているからには、そんな世界を体験して欲しいものであります。
自分の修行時代にも老師からは「無になれ」とのみ言われ続けてきました。
今は自分自身を含めて修行僧達に「無になれ」とただ説くのみなのであります。
横田南嶺