寺は消えるか?
衝撃的なタイトルの本でありました。
鵜飼秀徳先生が書かれたものです。
私も購入して拝読したものです。
そのなかには、「二五年後に三五%の宗教法人が消える」ということが書かれています。
國學院大学神道文化学部長の石井研士氏の考察なのです。
それは「消滅可能性都市」に宗教法人がいくつあるかということから試算されています。
消滅可能性都市というのは、「若年女性の減少や都市部への人口流出などによって二〇四〇年までに「消滅する可能性のある都市(市区町村)」が八九六あると算出したもの」なのだそうです。
「消滅可能性都市」に所在している宗教法人は六万二九七一です。
「つまり、二五年後に、約三五・六%の寺や神社などの宗教法人が消えるということになります。
実際に市町村そのものが消滅するわけではないのですが、人が住まなくなった地域に宗教法人が存続することはできません。」
と書かれています。
更にそのあとには、
「高野山真言宗や曹洞宗、神社本庁、黒住教などでは四〇%が消滅することが分かっています」と書かれているのです。
これだけ読みますと実に衝撃的な内容であります。
しかし、この本の中には、玄侑宗久さんのお考えも書かれています。
玄侑さんは、次のように書かれています。
「福島県三春町は今のところ世帯数こそ横ばいですが、過疎化はいずれ直面せざるを得ない問題です。
では、うちの寺がそうした地方特有の構造的問題にのまれ、存続の危機に瀕しているかと言えば、全くそうではありせん。
この辺りは田舎だからこその、「地縁」や「血縁」が色濃く残っていて、檀家さんや地域の人が、しっかりと寺を支えてくれています。」
と仰っているのです。
こちらは実に力強い言葉であります。
先日、臨済会の取材を受けた折に三田の龍源寺に参りました。
取材の時間まで余裕があって、龍源寺にある古い『臨済会報』を読んでいました。
昭和四十一年の会報に、ある方が二十年後の寺院はどうなるかについて書かれていました。
そこには檀家は消滅する、寺院への関心は無くなる、僧侶になる者はいなくなるなどという事が書かれていました。
もう五十年以上前から、このようなことが言われていたのに驚きました。
しかしながら、二十年どころか五十年以上経っても、檀家は無くなっていませんし、僧侶になる者もなくなってはいないのです。
事実私なども僧侶になって、今こうしているのです。
寺院への関心がなくなっているかというと、やはり多くの人がお寺を訪ねていますし、テレビなどでも取材されています。
そう簡単になくなるものでもないのであります。
『中央公論』の九月号に、「信仰なき時代の仏教」という特集がありました。
その中に、『月刊 住職』の編集者である矢澤澄道さんが「日本のお寺はなくならない」と書かれています。
その中に、
「「人口減少や少子高齢化により、お寺を支える檀家や信徒の数が減り、お寺の数も減っている。
さらにコロナ禍で葬儀が縮小傾向にあることも相まって、仏教への関心が急速に薄れつつある。
近いうちに日本の仏教は崩壊、消滅する」
昨今、マスコミがそうした言説を唱えるのをよく目にしますが、私は、非常に違和感を覚えています。
そのような情報発信をしている人たちは、日本のお寺の現状や仏教の存在を正しく認識しておらず、センセーショナルな記事を作るのに都合のいいデータを引っ張っているだけのような気がするのです。」
と書かれています。
更に矢澤さんは「一例として、NHKはじめ各種の世論調査でも、仏教信仰があると答える方は以前からせいぜい3割どまり。
3割だからといって仏教が崩壊すると思う人はいないでしょうし、現に、仏教もお寺も消滅していません。」と書かれています。
なにも今まで日本人の多くが、熱心に信仰していたというわけではなく、矢澤さんは「日本人はもともとお寺にほとんど関心を持っていないのです」と書かれています。
そのことを「日本人が、お寺や仏教に費やす金額からみてとれます」と具体的に数字をあげて説かれています。
要するに諸外国に比べて、日本では宗教関連の支出はかなり少ないというのです。
明治から昭和にかけては10万くらいお寺があったそうです。
「その後も数は減りましたが、2016年の『月刊住職』正月号で、都道府県別に「仏教寺院数と人口の関係」を調べた記事を掲載した際には、全国の仏教寺院総数は1962年が約7万5000、2013年が約7万7000でした。
そのあたりから、実は数の変化はあまりなく、文化庁の「宗教年鑑」によると、2021年の仏教寺院数は約7万6000。
つまり「お寺が激減」というような変化はしていないのです。」
と書かれています。
更に「人口が減り、お寺を必要とする人の数が減れば、お寺の数が減っていくのは自然の流れですが、総数を見るとお寺の急減という現象は起きていない。」
というのです。
そう簡単に無くなるものではないのがお寺だと思います。
先日も遠野のお寺の晋山式に参りましたが、新しい住職を迎える為に檀家の方々が一所懸命に準備して、盛大な儀式を行っている様子を見ますと、なお一層そんな思いを強くします。
また今月七日には長野県松本市の神宮寺さまの法話会に招かれてきました。
二百名もの方々が集まってくださっていました。
これはひとえに住職である谷川和尚のお力、ご人徳であります。
一所懸命にお寺のため、檀家さんや信者さんたち、地域の方々の為に身を惜しまずにお勤めなさる谷川和尚のお姿には頭の下がる思いです。
こういう和尚がいる限りは、お寺はなくならないと信じるのであります。
もっとも危機意識を持つことは大事ですが、あまりうろたえることもないのであります。
横田南嶺