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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.10.04
今日の言葉

病は気から?

九月の末に、長野県茅野市にある諏訪中央病院に行ってきました。

二〇一九年からおうかがいしていて、これで五回目となります。

ほろ酔い勉強会というのがあって、もともとは鎌田實先生がおはじめになったものです。

二〇一九年に漢方医の桜井竜生先生と一緒に講演しています。

諏訪中央病院の須田万勢先生のお招きであります。

初回から、はじめに私が講演し、そのあと桜井先生のお話があり、そして須田先生を交えて三人で鼎談するというものです。

初めは「「怖くない死を迎えるために」~禅僧と漢方医と住民と病院職員で考える終活講座~」というテーマでした。

二回目が「人生百年時代をどう生きる」でした。

三回目が「『絆』をとりもどす」で、

四回目が、「『癒やし』ってそんなことだったの!?会議」でした。

今年は、「病は気からって本当?~ココロとカラダのつながりを考える~」

というテーマでした。

毎回興味深いテーマをいただきます。

今回の「病は気から」とはよく耳にする言葉ですが、難しいものです。

たしかにその一面は強いと思います。

かなり言い得ているとは思いますが、すべて気で治るというものでもないでしょう。

そもそも気とは何か考えるとそれだけで難しいものです。

だいたいいつも三十分ほど話をするので、今回も三十分のつもりで支度をしていました。

実際に先方に着くと、私の持ち時間は二五分でと告げられました。

更に実際に始まってみると、私の二五分のうち、須田先生が五分ご挨拶をなさいましたので、実質二十分となってしまいました。

気については、ざっと話をしただけとなりました。

『広辞苑』を調べてみても、大きく分けて

①天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その動き。

②生命の原動力となる勢い。活力の源。

③心の動き・状態・働きを包括的に表す語。

④はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。

⑤その物本来の性質を形作るような要素。特有の香や味。

とあります。

③の心の働きについても、

①(全般的に見て)精神。「気を静める」「気がめいる」という用例があります。
②事に触れて働く心の端々。「気が散る」「気が多い」という場合です。

③持ち続ける精神の傾向。人がら。「気が短い」などです。

④ある事をしようとする心の動き。つもり。「どうする気だ」と言ったりします。

⑤ある事をしようとして、それに引かれる心。関心。「気をそそる」という場合です。

⑥根気。「気を尽くす」です。

⑦あれこれと考える心。「気を揉もむ」「気に病む」と言ったりします。

⑧感情。気分。「気まずい」「気を悪くする」と言ったりしています。

病は気からという場合は、生命の原動力となる勢いや活力の源という意味かなと思います。

気とは何か、考えるだけでかなりの時間がかかりますが、普段私達も、今日は元気があるとか、やる気が出てきたと言っている「気」というものはあることは間違いありません。

講演でも、会場の皆さんが、話を聴きに行こうという気になったからお集まりになっているのです。

そのやる気、元気、活力の源はどこから湧いてくるかと、昔の人はいろいろ考え工夫してきた結果、それかおへそのした下腹からだと思ったのでした。

この下腹を大事にして、身心の不調を治した禅僧として白隠禅師の話をしました。

白隠禅師は、江戸時代に禅の修行をして、八四才まで長生きされた方です。

二十六才の頃にあまりに過酷な修行のために身心を壊してしまいました。

「心火逆上してのぼせあがり、肺が衰え、両脚は氷雪の中に漬けたように冷え切り、両耳は耳鳴りして渓声を聞いているようである。肝臓と胆嚢の働きが弱まり、動作がおずおずし、心は疲れ切った状態で、 寝ても醒めても種々の幻覚を生じ、両腋下にいつも汗をかき、両眼にはいつも涙がたまる状態」になったと『夜船閑話』に書かれています。

それを白幽仙人から教わった内観の法と軟酥の法とで克服されたのでした。

晩年には、「自分の年は本年七十を越えたが、少しの病もなく、歯が抜け落ちることもなく、眼や耳もますますハッキリし、ともすれば老眼鏡を忘れる位である。」とか「身心ともに健康で、気力に至っては二、三十歳の時より遙かに勝っている」と仰せになっているほどなのです。

そこで、わずか十分ほどですが、簡単に内観の法と軟酥の法を実習してみました。

内観の法も簡単に、下腹、腰、太もも、ふくらはぎ、足の裏とまず触れて意識してもらい、下腹にこそ自分の本当の顔があると思って、下腹で呼吸してもらったのでした。

そのあとに桜井先生が講義をなさってくださいました。

『皇帝内経』から「古の病を治するは、惟だ其の精を移し気を変じ、祝由して巳るべし」という言葉を引用されていました。

昔の人が病を治したのは、「移精変気」といって、気持ち(精)をまったく別の所にずらし(移し)、転換させる(変気)させる方法を用いていたというのです。

祝由とは御札や祈りなどを用いて治療をおこなうことです。

この「移精変気」の実例として、

田代三喜という室町、戦国時代の医師の話が印象に残りました。

この田代のもとにやってきたノイローゼの患者に、田代は足に腫れ物ができやすいから気を付けるようにと告げたのでした。

すると、その病人は今日か明日かと、足に腫れ物ができはしないかと気をつけているうちにノイローゼが治ったという話です。

気持ちを足に移すということを行ったのです。

これは白隠禅師の行った内観の法とも理論的には通じるところがあるのです。

白隠禅師という方も、「「観理度に過ぎ、進修節を失して、終に此の重病を発す」と『夜船閑話』に説かれているように、公案(禅問答の問題)の工夫が度を過ぎてしまい、根をつめて修行しすぎた結果、「心火逆上」してしまったのです。

それを、下腹から足の裏に気を移して治されたのです。

田代は、ノイローゼの患者を足に腫れ物ができるから気を付けろと言って、そう言われた患者は、足ばかりを毎日気にしているので、気が足に移って頭であれこれ考えることがなくなっていったのでしょう。

これは実に興味深いことでした。

かくして気で治るものもあるのです。

しかし、必ず西洋医学の診療をしっかり受けておいて、それでもよくならない場合には、こういう気を用いて治す方法もあるのだと桜井先生は説いてくださっていました。

気の病とは、今の社会生活を行うことによって、他人と自分と比較したり、いろんな約束事が出来ることが原因になると仰っていました。

もうどうしようもないという場合には、そのような状況から敢えて離れてみることも必要だと語ってくださいました。

それから気の病は、自分一人で何とかしようとするよりも、家族の協力も大事だと指摘されていました。

病は気からという場合も多いものですから、気を養うこと、下腹丹田に意識を向ける習慣を付けておくことが大事だと思います。

 
横田南嶺

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