やはり坐禅はいい
先日、「ジョアン・ハリファックス老師、藤田一照師、横田南嶺老師と学ぶ 『坐禅すなわち自己とつながり世界とつながること』実践会」というのが、円覚寺で開催されました。
これは円覚寺とWisdom2.0との共催であります。
敬老の日の午前九時から、午後四時まで、なんと七時間にも及ぶ会なのであります。
講師は、ジョアン・ハリファックス老師、藤田一照さん、それに私であります。
それからウェンディ・ラウさんも加わってくださいました。
ウェンディさんは、禅僧であり、救急医療と依存症の専門医でもあります。
香港出身でイェール大学を卒業され、更にコーネル大学医学部も卒業されています。
ハリファックス老師により仏門に入られた方でいらっしゃいます。
ハリファックス老師は、とてもお元気なのですが、八十一歳とご高齢なので、そのおそばで体調の管理など気を付けてくださっているのです。
ウェンディさんがついてくれるので、ハリファックス老師が来日できたとも言われていました。
講座の内容はというと、三人がそれぞれ七十分の時間で、講義や坐禅を行います。
そのあと、ウェンディさんもまじえて四人で座談会を行い、質疑応答などを行ったのでした。
残暑がとても厳しい日だったのですが、参加者は七十名ほど、みな熱心に受講されていました。
一番初めに私が七十分、体操と坐禅を行いました。
坐禅をするにあたって、身体をほぐすことから始めました。
おもに胸郭を開いて、呼吸がしやすくなるように、また首の体操などもゆっくり呼吸と共に行って、あとの坐禅がしやすくなるように工夫してみました。
坐禅中も臨済宗の坐禅らしく、はじめは呼吸を数える坐禅を行いました。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つと六つ数えながら息を吐いて、一つ、二つ、三つと三つ数えて吸うことから始めました。
これで吐く息が長くなります。
次に、ただ吐く息をひとつ、二つと数えることを行いました。
更に吐く息をできるだけ長くして、息を数えることを行いました。
最後には、呼吸を数えることを一切しないで、ただ息をしてもらいました。
あたかも波打ち際に立って、寄せては返す波を見つめるように静かに見つめてもらうだけにしました。
そのあと、経行といって歩きたいところですが、場所の関係もあって、皆さんに立ってもらって、その場で経行を試みてみました。
まず右足をあげながら息を吸い、吐きながら降ろします。
次に左足をあげながら息を吸い、吐きながら降ろします。
これを行いながら、だんだん足をあげるのを小さくしてゆきます。
足先はつけたまま、踵だけを持ち上げて、降ろすということにしてゆきました。
かすかな動きに呼吸を合わせます。
その時に踵から息が出たり入ったりするように意識してもらいました。
集中するというのは、動きがあった方がやりやすいものです。
単調なかすかな動きに集中してもらうようにしました。
それから次の坐禅は、これも臨済宗らしく白隠禅師の軟酥の法を行いました。
これは以前にもご紹介したことのあるものです。
頭の上にレンガくらいのバターが載っていると意識して、それが溶けてきて全身を潤してゆくことを想像するのです。
自分でガイダンスしていて、自分も実に心地よく坐ることができました。
実際には、汗が流れる暑さでしたが、その中で実によく坐ることができました。
次にはハリファックス老師が、講義と坐禅を行ってくださいました。
ほとんどが講義だといってよい内容でした。
ハリファックス老師の経歴については、かつて記したこともあります。
今回心に残ったのは、ハリファックス老師が四弘誓願文をご自身で現代にあうように応用された言葉でありました。
四弘誓願とは、
衆生無辺誓願度
煩悩無盡誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
の四句であります。
どういう意味かというと、
まず、「悩み苦しむ人は限り無いけれども、誓ってすくおうと願い、
次に煩悩は尽きることないけれども、誓って断ち切ってゆこうと願い、
教えは無量であるが誓って学んでゆこうと願い、
仏道はこの上ないものだけれども、誓って成し遂げてゆこう」と願うの四つの願いです。
これをハリファックス老師は
すべて現われてくる森羅万象は限りないけれどもそれを解放させることを誓います。
心の迷妄は尽きることはないけれども、これを変容させ叡智に変えることを誓います。
起っている現象は果てしないものだけれども、それをすべて認識することを誓います。
目覚めの道ははてしなく乗り越えられないけれどもこれを体現することを誓います。
と訳されていました。
衆生無辺ということをすべて現われてくる現象すべてと受けとめられています。
ハリファックス老師は、自分の心に浮かんでくるものも含んだすべてだと仰いました。
それから二番目が煩悩無尽誓願断なのですが、煩悩を断ち切ろうというのではなく、それを変容させて叡智に変えようという願いとされていました。
法門無量ということも単に仏法の教えに限らず、この世に起っている現象すべてとして、それを認識してゆこうというのですから、今日のさまざまな社会問題もすべて含まれることになります。
ハリファックス老師は認識するだけでなく、経験もして欲しいと仰っていました。
とても深い内容だと思いました。
ハリファックス老師は、さまざまな社会活動もなさってきて、実際に投獄もされたこともあるそうなのですが、絶えずこの四つの誓いに立ち戻って乗り越えてきたというのであります。
自分の心が砕けることが何度もあったけれどもこの四つの誓いに戻り続けたと仰っていたのが心に残りました。
午後ははじめにウェンディさんの動禅指導というのがあって、簡単な体操がありました。
そして最後は一照さんの坐禅です。
丁寧なお話とガイダンスで、わが身をも心をも仏に家に投げ入れるという、一切を手放してゆく坐禅を体験しました。
私がはじめにあえて意識する坐禅を行いましたので、最後に一照さんがすべてを放ち去ってくれまして、とてもよかったと思いました。
参加者の方からは、
「七時間、非常に濃厚な時間であっという間でした。
三人とも方向性がばらばらなのに、根底が禅と身体性でつながっていたので、地に足をつけた形で新しい世界を経験できた気がします。」
という感想をいただきました。
なんといっても私自身が残暑厳しい中汗を流しながらもとてもよい坐禅を体験することができたのでした。
それからいつもながら、この会の間、ずっと同時通訳を担当してくださった、木蔵(ぼくら)君子さんには深く感謝してます。
ハリファックス老師と一照さん、ウェンディさんと、国境や性別や宗派の違いを越えて、この身体ひとつで目覚めの道を探求する坐禅の素晴らしさを改めて感じたのでした。
横田南嶺