いい話
最近は、小川先生の講義と共に竹村牧男先生に華厳の講義も行ってもらっています。
七月と八月はお盆の為に休会としていますので、六月以来の講座であります。
小川先生は、いつも「和尚さんたちに会わないと身体の調子が悪くなる」と言ってくださるのですが、こちらの方こそ「小川先生にお目にかかり、小川先生の講義を聴かないと体調が崩れる」ように感じています。
先日も午前中円覚寺で、六十年に一度の洪鐘弁天祭についての記者会見や、江ノ島神社の宮司さまはじめ神官を迎えての合同の法要などが行われて、終わると同時に急いで上京したのでした。
大きな行事や儀式を務めるとかなり疲れるのですが、小川先生のご講義を聴いていると、疲れがすっかり癒されるのであります。
なんといっても小川先生は、いつもお元気で、明るく、そして講義をなさるのが楽しそうなのです。
そんな元気、明るさ、楽しい気持ちがこちらにも伝わるのであります。
もともと『臨済録』を学ぼうという会として始まったのですが、ただいまは『宗門武庫』という書物の講義をしてくださっています。
大慧禅師が、いろんな禅僧たちの逸話を集めた書物です。
この書物にはいろんな話が掲載されていて、中にはよく意味が分らないようなものもあります。
また逆に、実に示唆に富む逸話もございます。
今回取り上げた話の前の段は、あまりいい話ではありませんでした。
その話と今回の話とが一対になっていると小川先生はご指摘くださいました。
その前の段というのは、或る禅僧が円通法秀禅師に参じようとした時の話です。
修行仲間と二人で訪ねていったのですが、仲間の方は入門を許されて、その禅僧は、入門を許されずに他の寺に止宿していました。
そこで病にかかってしまい療養していました。
仲間の僧が、心配してお見舞いに行きました。
元来修行の道場では安居の期間に許可無く出入りすることは禁じられています。
あえてその禁を破ってお見舞いしたのでした。
ところがその僧は、あろうことか、円通禅師に、道場の規則を破って見舞いにきたことを手紙で告げたのでした。
せっかくの友が、あえて規則を破ってまで見舞いに来てくれたのにひどい話です。
円通禅師は、その手紙を受け取り事の次第を知ると、捨て身で見舞いに来てくれた友を密告するとは、これがまっとうな人間のすることかと罵りました。
そのことが件の僧の耳に入ると、その僧は息をひきとったという話であります。
その後に載せられている話が、今回学んだものでした。
まず小川先生が、現代語訳を読んで、話の全体像を示してくださいました。
遜禅師という方が、かの円通禅師のもとで侍者を務めていた時のことです。
琳禅師という僧が修行にやってきました。
後に名をなす禅僧でありました。
その頃の禅寺では、新しい修行僧が来ると、お寺の住持が特別の茶礼を催してもてなすことになっていたそうなのです。
そこで、侍者の遜禅師が、いつ何時に茶礼をすると伝えにゆきました。
ところが、修行に来たばかりの琳禅師はあいにく留守で、となりにいた修行僧が、琳禅師に伝えておこうと言いました。
この僧は、少々ぞんざいな一面があったのか、琳禅師に伝えることを忘れていたのでした。
やがてその日がきて、茶礼の合図の太鼓が鳴りました。
琳禅師は、日時のことを聞いていませんので、当然やってきません。
円通禅師は、新しい修行僧はどうしたのかと少々お怒りになって聞きます。
誰かがあわてて琳禅師を呼んできました。
大事な儀式に遅れるとはどうしたのかと問い詰めると、琳禅師は、誰かが自分に告げることを忘れていたに違いないと気がついて、その方のせいにならぬようにとっさに気を利かせて、「急に便意を催してしまいまして」と答えます。
これには意味があって、禅寺の規則に、大事な茶礼に遅れても急病や大小便が催した時にはやむをえないので、侍者に告げるようにと書かれているのです。
円通禅師は、そんな言い訳を許さずに「太鼓の合図が下剤でもあるまいに、急に便意など催すものか」と叱ります。
小川先生は、
「下剤でもあるまいに、わしの太鼓一つで、お前の糞など出てたまるか!」と訳されていました。
すると、侍者の遜禅師が進み出て、自分が招待の意を伝え忘れたのだと言いました。
しかし、遜禅師は、琳禅師の隣席の修行僧に依頼していたのです。
すると件の修行僧も名乗りでたのでした。
小川先生の訳文を紹介しますと、
「『いや、いや、侍者どのも新到どのも関わりござらぬ。よせばいいのにそれがしが安請け合いなどして、そのままツイ忘れてしまったのです』。
円通禅師は彼らの風義の高さを嘉して、三人ともに赦したのであった。」
という話なのであります。
琳禅師が、誰かが自分に茶礼のことを伝え忘れたのだと気づいて、とっさに、便意を催したといい、遜禅師が、茶礼のことを伝え忘れた僧のことを気遣って、自分が伝え忘れたといい、さらにその件の僧が、お二人に罪はなく、自分が忘れてしまったことを正直に告白したという話です。
お寺の住持が設けて下さる茶礼の場に出ないようでは、寺から追放されるというのが禅寺の決まりとしてあったのでした。
それほどに正式な茶礼の席というのは大事なものとされていたのでした。
しかし、また規則には、「茶礼に来なかった者をもしほんとうに寺院から追放すれば、法だけが貫徹されて、人が存在し得なくなってしまう」とも書かれているそうなのです。
円通禅師は「秀鉄面」と呼ばれたほど規則に厳格で私情を差し挟まなかった方だったのですが、こういう雅量もあったのです。
小川先生は、「杓子定規に規則を貫くのでなく、情理兼ね具わった対処を心得た上での厳格であったことを示す一段であった」と示してくださり、講義が終わったのでした。
九十分の講座によくまとめてくださって、勉強になりました。
とりわけ印象に残ったのが、小川先生の現代語訳の素晴らしさであります。
これはいつも感じることなのですが、今回はこの現代語訳にかける小川先生の思いを知ることができました。
漢文を現代語訳するときには、読み下し文を作って、それを訳することが多いので、不自然で通じにくい訳になりがちだというのです。
小川先生は、漢文を読み込んで意味を完全に理解した上で、独立した文章としても十分通じるように現代語訳を心がけているということでした。
思えば、中国では、印度から伝わった経典をすべて自国の言葉に翻訳したのです。
それに対して日本では、漢文のまま読むことを大事にしていました。
訓読、読み下しという独自の方法を作り出したのですが、それが経典や禅の語録を読む難しさになっていることは否めません。
本当ならもっと早くに自分の国の言葉で読めるようにすべきだったのでしょう。
今でも私たちの世界では、漢文で法語を唱えているのですが、考えさせられる問題であります。
漢文のまま読むことや、平仄や押韻を守って漢文を作ることも大事でしょうが、それと同じく、現代語訳の大切さを改めて思ったことでした。
ともあれ、今回は久ぶりにお元気な小川先生にお目にかかり、しかも、古の禅僧のいい話を聞く事が出来て、疲れもとれ心も豊かになった思いでありました。
いい話というのは心を洗ってくれるように感じました。
横田南嶺