須磨寺三者三様の法話会
須磨寺の寺務長である小池陽人さんと、東京世田谷龍雲寺の細川晋輔さんと、それから私の三人の法話会であります。
昨年の十二月に円覚寺に行って好評だったので、今回は須磨寺で行ったのでした。
神戸ですと十分日帰りが可能なのですが、かねてより、小池さんが御修行されていた清荒神様にお参りしたいと思って、細川さんとご一緒に前日に神戸に行きました。
法話会の日の朝は、六時から須磨寺朝の勤行があるというので、参列させてもらいました。
私は、長年の習慣で毎朝三時には起きますので、宿に泊まっていても、三時に起きて、まず五体投地百八の礼拝を行って坐禅をしています。
そのあと、この管長日記の原稿を書いて、五時半頃に宿を出て、須磨寺に向かいました。
七,八名の須磨寺のお坊様たちが朝のお勤めをなさっていました。
導師は、須磨寺の管長さまであります。
他宗のお経となると、私たちにはほとんど全く分らないのであります。
まずはじめに密勤院発露懺悔文が読誦されていたのが分りました。
これはすばらしい文章で私も大切にしています。
それからあとは恐らく理趣経が読まれていたのだと思います。
小一時間の読経でありました。
あとで感想を聞かれましたが、とてもきれいなお経だと感じました。
音程も皆合っていて、なんとも心地よいのであります。
その点、臨済宗のお経というのは、各自が銘々大きな声でがなり立てるように読んでいます。
かつて真言宗のお坊さんが、私たちの修行道場のお経を聞いて、音程を合わせたらどうですかと言われたことがありました。
その時には、どうしてそんなことを聞かれるのか分らなかったのでした。
長年この臨済宗のお経に馴れてしまっていたのです。
真言宗の方のお経を拝聴していて、なんと美しいと感じたのであります。
意味は分らなくても、こういうお経を聞いているだけで、瞑想の状態になることができます。
和尚様達の美しい声、良いお香の香り、鐘や太鼓の音、和尚様達のきれいな所作、真言の素晴らしい教えが随処に現われているのでした。
そのあと須磨寺の奥の院まで登ってきました。
きれいに整備された石段が続いています。
ゆっくり登った方がいいのですが、ついついこれも長年の習慣で、石段を駆け上ってお参りさせてもらいました。
その後、午前中に細川さんと小池さんとお二人で続けておられる寺子屋ラジオはじめての般若心経の収録に出演させてもらいました。
通行人のような感じで少しお話させてもらって午後から三人の法話会となりました。
会場は須磨寺の青葉殿という建物の大きなホールであります。
小池さんの人気はすごいもので、会場は満席でありました。
これは三人それぞれ三十分づつの法話を行って、そのあと三人で鼎談、会場からの質問を受けるというものです。
法話のはじめは小池さんでありました。
いつもながら、素晴らしいお話でありました。
ちょうどその日は午前中に、小池さんの祖母様の三回忌のご法事が須磨寺で行われたのでした。
そのこともあってアサコさんという百一歳でお亡くなりになった方とのお別れと、祖母様とのお別れの話をなさいました。
楽しく笑わせながら、更には涙を誘われるような深くてよい話でありました。
アサコさんという方は、いつも明るくニコニコされていて、アサコさんがいるとその場が明るくなるという方だったそうです。
百一歳でお亡くなりになって、小池さんが枕経に行って伺うと、アサコさんはとてもたいへんなご苦労をなされた方だと分ったというのです。
小学生一年で母を亡くされて、父親が再婚されたとのこと、はじめは神戸市長田区に住んでいたけれども戦争で家が燃えて須磨に越してきたこと、ご主人と共働きではたらいてきて、定年の後は二人でゆっくりと思っていたところ、主人が病に倒れ、二十年も介護なされたことなどの苦労の多い人生だったのでした。
しかし、アサコさんの口ぐせは「私はほんまに幸せだった」というのです。
小学一年で母を亡くしたけれども、新しい母が私を育ててくれて幸せ、戦争の時に家が全焼したけど須磨に来られて幸せ、主人を二十年介護して、主人とたくさん一緒にいられて幸せというのであります。
小池さんは幸せの秘訣は人生をどう受けとめるかだと説かれていました。
それから大切な人との分かれの話から、分かれたあとも亡き人との対話が続くという話をされました。
ちょうど前の日に訪れた清荒神の管長さまの言葉が印象的でありました。
清荒神の管長さまはお父様である先代管長を早くに亡くされて若くして管長にご就任なされたそうなのです。
お亡くなりになった後先代管長のお位牌を拝み続けてこられて、生前の四十年よりも亡くなったあとの二十年深い教えをいただいたと仰ったという話が印象的でありました。
亡き人との対話を語られたのでした。
そのあとは、細川晋輔さんのお話でした。
須磨寺に松尾芭蕉の碑があります。
須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇
という句であります。
良い句であります。
その句を用いて、吹かぬ笛聞く、声なき声を聞くという話をなさいました。
岩手県の大槌町にある風の電話の話をなされました。
お二人ともとても深くてよいお話をなされて私の番となりました。
私は、小池さんの亡き人との対話、細川さんの声なき声を聞くという話を発展させて、観音様はどこにいらっしゃるのかという話をして、最後は、身近な人の話を聴いてあげることの大切さを話しました。
人の話を親身になって聞いてあげる時、その人は観音さまなのです。
ちょうど今年は真言宗の宗祖弘法大師生誕千二百五十年にあたり、須磨寺でもご本尊聖観音菩薩の特別御開帳がなされました。
そんなところから観音さまの話につなげたのでした。
最後には会場の方からの真摯なご質問をいただいて精いっぱいお答えさせてもらいました。
須磨寺の法話は聞いてくださる皆さんがとても明るくて、話がしやすかったものでした。
これはひとえにいつも小池さんの明るいお話を聞いておられるからだと思いました。
それからこんな大きな催しをするには、お寺の皆様はたいへんであります。
土曜日ですからご法事などもあるなか、須磨寺の方々にはとても親切にしていただいて感激しました。
また帰りには出口で皆さんをお見送りしていると、多くの方から毎日のYouTubeラジオ管長日記を聞いています、楽しみにしていますという声をいただきました。
この一言が有り難いものです。
この一言をいただくことで努力が報われるのであります。
かくして充実した二日間を終えて鎌倉に帰ったのでした。
横田南嶺