白隠さんの健康法
これが好評だったのでした。
まず私自身が、とても心地よく身体が楽になるのです。
これは白隠禅師の書かれた『夜船閑話』には、白幽仙人という方から教わったものだと説かれています。
椎名由紀先生と私の共著『ZEN呼吸』に載せている、伊豆山格堂先生の『夜船閑話』現代語訳には、白隠禅師の体験が綴られています。
「私が初めて参禅学道を始めた時、誓を立て、勇猛精進の信心を起し、あとへ引かぬ不退転の求道心を起し、精励刻苦二、三年たった時、一夜忽ち悟りを開いた。今までの多くの疑惑が根本から解け、人間が長い間生れかわり死にかわり苦しむ輪廻の業の根元が、徹底的に水泡の如く無くなった。」
と書かれています。
これは白隠禅師が数え年二十四歳の時に、越後高田の英巌寺性徹和尚のもとでひたすら坐禅に励んでいて、遠くから聞こえてきた寺の鐘の声を聴いて豁然として大悟したことを表わしています。
またその後、信州(長野県)飯山の正受老人のもとを訪ねて、正受老人の実に手厳しい指導を受けて更に悟りを深められました。
しかし、そのあと、『夜船閑話』には次のように書かれているのです。
「ところがその後、日常を反省してみると、動と静の二つの境涯、日常と坐禅が全く離ればなれで調和していない。
進退・去就の動作がぎごちなく自由でない。
それで大いに踏ん張って今一度死に切って大悟しなければと、歯をくいしばり両眼を開いたまま坐禅をし寝食を忘れるばかりの修行を始めた。
ところが一ヶ月にもならないのに、心火逆上してのぼせあがり、肺が衰え、両脚は氷雪の中に漬けたように冷え切り、両耳は耳鳴りして渓声を聞いているようである。 肝臓と胆嚢の働きが弱まり、動作がおずおずし、心は疲れ切った状態で、寝ても醒めても種々の幻覚を生じ、両腋下にいつも汗をかき、両眼にはいつも涙がたまる状態であった。」
という状態になってしまったのでした。
どうしようもなくなって白隠禅師は、宝永七年数え年二十六歳の時に、京都の北白川で白幽子という仙人に内観法を学び、病が治ったのでした。
山中を訪ねていってようやく仙人に会えた時の様子を『夜船閑話』には次のように説かれています。
「おそるおそるかしこまってすだれの中を見ると、白幽子が目を閉じてキチンと坐っているのがぼんやり見えた。
しらがまじりの黒髪は長く垂れて膝に達し、顔色赤く美しく棗のようである。
大きな粗末な布製の上着を着、軟かい草のむしろの上に坐っていた。
岩窟の中は狭くて五、六尺四方しかない。
生活に必要な物は全くなく、机上に「中庸」と「老子」と「金剛経」が置いてあるばかりであった。
私はそこで礼をつくして、詳しく病気の原因を告げ且つお救い下さいとお願いした。」
というのであります。
そこで内観の法を教わるのであります。
内観の法というのは、専ら気海丹田から腰から脚、そして足の裏までを意識して深い呼吸をする方法であります。
そして更に、軟酥の法も教えられたのでありました。
軟酥の法については、次のように書かれています。
「白幽先生曰く、「修行者が坐禅を実践している時、四大不調、身心ともに疲労したことを感じたなら、心を奮い立たせて、このように想像したらよい。
たとえば色彩や香気が清らかで、鴨の卵のような大きさの軟蘇(軟酥)を頭の上にひょいと置いたと仮定する。
そのにおいと味いは何とも言いようもない位すばらしいものだが、それが頭全体を潤し、次第にじわじわと辺りを潤しながら下って来て両肩両臂に及び、両乳、胸と腹の間、肺、肝、腸、胃、背骨、腰骨、と次第に潤しそそぐ。
この時、胸中にたまった五臓六肺の気のとどこおり、気やその他局部的の痛みが、心気の降下に従って降下すること、水が下に流れるようであり、はっきりその音が聞こえる。
蘇は全身を廻り流れ、両脚を温かく潤し、足の土踏まずに至ってとどまる。
修行者はそこで再び次の如く観ずべきである。
じわじわと潤しながら流れ下る蘇の余流・支流が、積もり湛え、暖めひたすことは、あたかも世の良医が種々の妙なる香りのする薬を集め、是を湯で煎じてふろおけの中に湛え、自分の臍より下をつけひたすようなものだ。」
ということを想像する方法なのです。
『ZEN呼吸』には、椎名先生が分りやすく軟酥について説いてくださっています。
同書から引用します。
「軟酥とは、軟らかな酥のこと。
酥は、極めて身分の高い高貴な人たちのみが手にできたとされる、滋養強壮のための薬やデザートのようなものだそうです。
遡ること飛鳥時代に、この「蘇」(本来の漢字はこちらのよう)は既に食されてたようです。
動物の乳汁を煮詰めて固形状にした長期保存の効く高価な食べもので、現代で言うならば硬めのバターのようなものですが、冷蔵庫もない、乳牛もさほどいない時代のことを考えると、大変に高価な動物性たんぱく質だったことでしょう。」
というものなのです。
椎名先生は「この芳香漂う黄金に輝く万能の秘薬バターを、さしずめ現代人にもわかりやすいように「お薬バター」と名付けました。」
と説明されています。
私もイス坐禅の時には、なんとも言えないよい香りのするバターが温められて頭の上から溶け出してじわじわと流れてくると表現しました。
椎名先生は、
「まずは、吐く息でお薬バターが流れて頭蓋骨に染みわたり、中の臓器である大脳、小脳、そして頭の中心である脳幹部を浸し、そこから脊椎の中を頸椎、胸椎、腰椎、と降りてきて、仙骨、尾骨まで背骨の中の脊髄を温め浸し、潤していきます。 吐く息の長さにもよりますが、最初は一吐きで一つの臓器を温め浸すところから始めることをお勧めします。」
と説かれています。
内臓をひとつひとつ丁寧に想像してゆくことを椎名先生は教えてくださっています。
私も実際に何度も習ったものであります。
そうしてゆくと身心ともに調ってゆくのであります。
『夜船閑話』には白隠禅師が、
「自分の年は本年七十を越えたが、少しの病もなく、歯が抜け落ちることもなく、眼や耳もますますハッキリし、ともすれば老眼鏡を忘れる位である。
毎月二度の説法今もって怠ることなく、諸方の請待に応じ、三百人五百人の人々の集まりで、或いは五十日、七十日もの間、経やら禅録やらを講本として、雲水僧の所望に従ってやたらに説きまくることおよそ五、六十回に及んだが、遂に一日たりとも午前の講座を休んで、そのため外来の人々が講了後の斎座(中食)に出ないで散するということはなかった。
身心ともに健康で、気力に至っては二、三十歳の時より遙かに勝っている。」
と説かれているように元気になられたのです。
『夜船閑話』には、
「目の力を養う者は常に目を閉じ、耳の力を養う者は聞くことを常に避け、心気を養う者は常に沈黙しているのである」という言葉がありますが、時には心を落ち着けて、気を養うことが必要であります。
横田南嶺