わが旗の先をみよ
コロナ禍となって、オンライン坐禅会となっていた時もありました。
今は普通にお寺で開催されていますが、オンラインでの坐禅会も継続してくださっています。
私も毎日曜日の朝、七時半から自室で、細川さんのオンライン坐禅会に参加させてもらっています。
しばしの坐禅をして、そのあと細川さんのお話があります。
只今は、増谷文雄先生の『仏教百話』を読んでくださっています。
この『仏教百話』はとても分りやすくまとめられているので、私もよく参考にさせてもらっているものです。
毎回一章ずつ丁寧に読んでくださっているので、私も毎回勉強になっています。
ひとりで読むと、ざっと読み進めてしまいそうなところでも、毎回丁寧に読んでくださると、新たな発見があったりします。
こういうのはオンラインの有り難さであります。
実際に私自身が、龍雲寺さまの朝の坐禅会に行って、細川さんの講話を拝聴するのは難しくても、自室で学ぶことができるのであります。
先日の日曜日には、第二十六章の「わが旗の先をみよ」という一章を読んでくださっていました。
仏陀が、舎衛城の郊外の祇陀林の精舎にあったときのことです。
仏陀は、比丘たちをまえにして、このような神話を語りはじめました。
「比丘たちよ、遠いとおい昔のこと、神々とアスラ(阿修羅、悪しき神々のこと)とのあいだに戦いがおこった。
偉大なる神インドラ(帝釈天)は、出陣する神々を呼んで言った。
なんじら、もし、戦いにのぞんで、毛髪さかだつような恐怖に襲われたならば、わたしの旗の先を見るがよい。」
という話です。
その話をもとにして、仏陀は、さらに、つけ加えて言いました。
「比丘たちよ、わたしもまた、なんじらに、言うであろう。
へなんじら、もし、森に入り、樹下に坐し、あるいは、空屋にあって、恐怖を生じ、毛髪さかだつの思いがあらば、その時には、わたしを憶念するがよい。
かの世尊は、如来である、供養にあたいする者、あまねく悟りし者、智慧と実践をかねそなえし者、ないし、仏陀である、世尊である、と。
さすれば、恐怖をさることができる。〉
〈もし、わたしを憶念することをえないときは、法を憶念するがよい。
法は世尊によりて善く説かれた。現在に果報あるもの、時をへだてざるもの、来たり見よとせられるもの、よく安穏に導くものである、と。
さすれば、恐怖をさることができる。〉
〈また、もし、法をも念ずることができぬときには、僧伽を憶念するがよい。
世尊の弟子たちの僧伽は、善く行ずる者のつどい、正しく行ずる者のつどいにして、尊敬に値し、供養に値し、合掌に値し、この世の最上の福田である、と。
さすれば、なんじらの恐怖も不安も、払い除かれるのである。〉」
という話であります。
旗というと思い出します。
私がまだ修行僧の頃には、鎌倉でも古いお宅では、葬儀の時の行列がなされていました。
そのお葬儀の折に、まずお寺の和尚が四本の旗を筆で書くのでした。
私は、前管長の足立大進老師にその旗の書き方を教わったのでした。
旗のはじめに、「仏法僧宝」の四文字を一字ずつ書きます。
そして「仏」の字の下に、「諸行無常」と書きます。
「法」の字の下に、「是消滅法」と書きます。
「僧」の字の下に、「生滅滅已」と書きます。
「宝」の字の下に、「寂滅為楽」と書くのでした。
これを葬列の方が順番にもって歩くのです。
四本幡とか、四幡と言っていました。
禅の語録にもこの幡がよく出てきます。
六祖慧能禅師と僧が、お寺の幡が風に吹かれているのを目にしました。
一人の僧が、幡が動くといい、もう一人の僧が、風が動くと言って議論になって決着がつきません。
六祖は、それに対して風が動くのでもない、幡が動くのでもない、あなた方の心が動いているのだと言いました。
二人の僧は、恐れてぞっとしたのでした。
また阿難尊者が迦葉尊者に、お釈迦様は金襴の袈裟のほかに何を伝えたのですかと聞くと、迦葉尊者が、「阿難」と呼びました。
阿難尊者は「はい」と答えると、迦葉尊者は、門前の旗竿を降ろしなさいと言ったのでした。
こういう問答があるのをみると、お寺には幡があったことが分ります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「幡」として解説がありました。
「音写して<波多迦(はたか)>。
わが国では「波多」〔倭名抄〕と呼び、荘厳のため仏殿の柱や天蓋などにかけ、あるいは法要を行う庭や行道する両側に立てる。
三角形をした幡頭にいくつかに区切った坪(つぼ)を持つ幡身、その坪の左右に幡手をつけ、幡身の下に数本の幡足をたらしたものである。
坪には仏像や三昧耶形(さんまやぎょう)・種子(梵字)など画くこともある。
材質も透彫り文様のある金銅幡、玉をつなぎ合わせた玉幡、錦・綾・絹・麻布の幡などがあり、正倉院宝物の幡には、染めの技法によるあらゆる種類のものがある。
なお、白紙で作る<送葬幡>(四本幡)は葬式に用い、如来の名を書いて施餓鬼などに用いる<如来幡>も同様である。」
と書かれています。
四本幡というのは、白紙で作るとありますように、白い和紙に字を書くものであります。
もう今や、葬儀もほとんど葬儀社の会館で行われるようになって、四本幡を書いて送葬の行列を見ることもなくなりました。
しかし、かつては葬儀の行列に四本の幡を掲げて、そこに「諸行無常、是消滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と書いて、仏法の教えを高らかに示していたのでした。
そして、その幡に書かれた真理の言葉に触れて、人は安心を得たのではないかと思います。
諸行は無常なのだ、生滅の法なのだ、生滅を滅しおわって、寂滅こそが真の安楽なのだと言い聞かせていたのだと思うのであります。
その四本の幡に、それぞれ仏法僧宝と書いたのにも意味があります。
お釈迦様がお示しくださったように、恐れを感じるときには、仏法僧の三宝を心に思うのであります。
三宝については、細川さんは、『臨済宗黄檗宗 宗学概論』にある佐々木閑先生の解説を示してくださっていました。
「三宝」とは、
「仏と法と僧。仏教の定義である。
「仏教とはなにか」という問いに対する厳密な答えが「三宝」である。
このうち、仏とは本来は釈迦のことを指していたが、大乗仏教になって他にも多くの仏陀や菩薩が案出されるようになると、それらを総体として仏と呼ぶようになった。
法とは、その仏陀が衆生のために説いた教えのこと。具体的にいえば三蔵である。
僧とは、その法に沿って修行生活に励む出家者たちの集団組織、つまり僧団のこと。」なのであります。
真理を表している幡を見るだけで、心が安らぐというのは、意味深いものであります。
三宝に帰依する言葉を唱えるだけで、心が落ち着くのであります。
「自ら佛に帰依したてまつる 当に願わくは、衆生とともに 大道を体解して、無上心を発さん。
自ら法に帰依したてまつる 当に願わくは、衆生とともに 深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる 当に願わくは、衆生とともに 大衆を統理して、一切無礙ならん。 」
という言葉であります。
横田南嶺