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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.07.27
今日の言葉

慈愛のことば

岩波書店の『仏教辞典』には「四摂事」という言葉が出ています。

引用しますと

「四摂法とも。

「摂は引き寄せてまとめる意。

人びとを引きつけ救うための四つの徳。

原始仏教以来説かれるもので、布施(施し与えること)、
愛語(慈愛の言葉)、利行(他人のためになる行為)、
同事(他人と協力すること)をいう。」

と解説されています。

原始仏教以来説かれるとありますが、大乗仏教でも大切にされているものであります。

道元禅師の著『正法眼蔵』に「菩提薩埵四摂法」の巻の中に「愛語」について丁寧に説かれています。

まず「愛語と云は、衆生を見るにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。」とあります。

愛語という思いやりのある言葉とは、まず生きとし生けるものに対し慈愛の深い気持ちをおこして、目をかけ思いやりのことばを用いることだというのです。

それは「およそ暴悪の言語なきなり」といって、決して荒々しい言葉を用いてはならないのです。

言葉は人を傷つける武器にもなれば、人を楽しませる楽器にもなります。

人を傷つける言葉を、村上信夫先生は、「武器言葉」と仰っています。

「世俗には安否をとふ礼儀あり。仏道には珍重のことばあり」と道元禅師は説かれています。

世間では、「お変わりありませんか」と、ことばをかける礼儀があり、仏道においては、「お大事に」ということばをかけることがあります。

「不審の孝行あり」で、年を取った親には「ご機嫌いかがですか」と声をかけることもあります。

総じて「慈念衆生猶如赤子のおもひをたくはへて言語するは愛語なり」と説かれています。

生きとし生けるものを思いやることは、まるで母が赤ん坊を思うようなものだというのです。

「徳あるはほむべし。徳なきはあはれむべし」で、よいことがあればほめてあげることですし、よいことがないようなら、いたわってあげることです。

「愛語をこのむよりはやうやく愛語を増長するなり」と説かれていて、愛語を大切にしていると、更に次つぎと思いやりのある言葉が大きく広がってゆくのです。

更に「怨敵も降伏し君子を和睦ならしむること愛語を本とするなり」で、あだやかたきの心も静めて、はり合う権力者をも仲よくさせるのも愛語が本となっているというのです。

「向て愛語を聞くはおもてをよろこばしめこころを楽しくす。」、直接愛語を聞くと、笑顔になり気持ちを楽しくさせてくれます。

「向かはずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず」、直接でなくても間接的にでも愛語を聞くと、心の奥底にまでしみ通って、忘れられないのです。

「しるべし愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり」、愛語は、愛情のある心から生まれるのであり、いつくしみ思いやる心は、いたわる心をもととしています。

「愛語よく廻天の力らあることを学すべきなり」、愛語は、世の中を変える大きな力があることを知るべきだと道元禅師は説かれているのです。

先日の村上先生の講座でも、あらかじめアンケートを書いて、その中に「自分の心が喜んだことばを教えてください。(誰かに言われたことば、本を読んで感銘受けたことば、ドラマのセリフなどで)」という項目がありました。

その中からいくつか紹介してくださいました。

「あなたに会えてよかった」というのがありました。

これなど、まさにそう言われるとうれしくなるものです。

「今日は今日、明日は明日の風が吹く」というのもありました。

「やまない雨は無い」

「甘えてもいんだからね」

「君には花がある」、これは中学の先生から言われたそうです。

「その服、その恰好、その考え方ステキだね」というのもありました。

「素晴らしい、あなたしかいない、さすが、いいね、ナイス、有難うね」というのもありました。

こんなに言われると少し気恥ずかしくなるようにも感じますが、愛語であります。

「感動した、助かったよ、楽しかったよ」というのもありました。

坂村真民先生の「両手を合わせる 両手でにぎる 両手で支える 両手で受ける 両手の愛 両手の情 両手合わしたら 喧嘩もできまい 両手に持ったら 壊れもしまい 一切衆生を両手に抱け」という詩をあげていた修行僧もいて、村上先生もこれは管長の影響だと仰ってくれました。

スヌーピーの言葉をあげた者もいました。

「僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ。
僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから。」というのであります。

私は、思い返すと、中学生の頃からお世話になっていた松原泰道先生に、最後に言われた言葉が実に愛語でありました。

平成二十一年のお正月でありました。

私も円覚寺の僧堂師家を務めて十年になった時でありました。

松原先生は、百一歳になられていました。

私が「おかげさまで、修行道場の師家を十年ばかり勤めることができました」と申し上げると、百一歳の先生は私の手を握って心から喜ぶように「明るい顔になりましたね、本当によかったですね。大変だったでしょう。」と仰ってくださいました。

先生はその年の七月二十九日にお亡くなりになりましたので、最後にいただいた言葉となりました。

忘れ得ぬ「愛語」であります。

そこで、私は生涯、暗い顔をせずに、明るい顔で生きようと決意したのでした。

 
横田南嶺

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