伝えると伝わる – 村上信夫先生に教わる –
はじめに、村上先生が最近養老孟司先生の講演を聴かれたという話をなさいました。
養老先生は、『ものがわかるということ』という本を出されています。
大事なことは、分らないことが素晴らしいのだと村上先生はお話くださいました。
分ろうとすることは大切ですが、分らないことも大事だというのです。
村上先生は、養老先生の講演がよく分らなかったというのですが、「養老孟司」先生という存在自体に深く感動されたと仰っていました。
そして、全部を分ろうとするのは無理なので、分るところだけ分ればいいと思ったということでした。
そのあと、村上先生は、ホワイトボードに、三つの質問を書かれました。
たべたもので~が作られる
聴いた言葉で~が作られる
発した言葉で~が作られる
というものです。
はじめの食べたもので作られるというのは簡単であります。
身体です。
聴いた言葉で作られるのは、何か皆に質問されました。
これがいろんな答えがありました。
聴いた言葉で「知識」が作られる。
聴いた言葉で「思考」が作られる。
などなどいろんな言葉が出てきました。
村上先生は、
聴いた言葉で「心」が作られると仰いました。
これもまた深い言葉です。
三番目の発した言葉では何がつくられるのか、沢山の言葉が出てきました。
発した言葉で仲間が作られる
ほかに、人脈が作られる、関係が作られる、信頼が作られる、気分が作られるなどなどありました。
村上先生は、
発した言葉で未来が作られると仰せになりました。
最近出版された本の題が『未来を創ることば 次世代へのメッセージ』というのであります。
それから村上先生は、自分の言葉が相手に伝わっているのは、何%くらいだと思うか質問されました。
最初に答えた修行僧は、五%と答えました。
これには、村上先生も驚かれた様子でした。
二割から三割という答えが数名いました。
塾の講師をしたことがあるという修行僧は一〇%と答えていました。
教える側に立つと、伝わるのは一割くらいと感じるのでしょうか。
修行僧達があれこれ答えたあとに村上先生が自分の感じている数字を教えてくださいました。
自分の言葉が相手に伝わっているのは、一%だということでした。
この数字にも驚きました。
私などは、のんきに半分くらい伝わっているのかと思っていました。
村上先生は一%くらいと仰って、伝わるのはそれくらいだと思って、お互い伝える努力をしましょうと仰ってくださいました。
そこから、伝えると伝わるについて、講座の前に書いた皆のアンケートを紹介されました。
私は、伝えるは一方通行で、伝わるは双方向だと書きました。
これが今のお寺の一番大きな問題だと思っているのです。
寺の方からは、伝えたつもりでいるのです。
しかしながら、何も伝わっていないのであります。
法話などもそうです。
こちら側からは十分に伝えたつもりが、相手には伝わっていないのです。
こちらも事前のアンケートを皆に紹介してくれました。
伝えるは一方通行で、伝わるは双方向と書いたのは私でした。
他にも伝えるは「一方的なコミュニケーション」であり「話し手の満足で終わる」ものであり、
伝わるは「双方向的なコミュニケーション」であり、「会話が歯車のように噛み合う」というのもありました。
伝えるは「能動的」
伝わるは「受動的」
伝えるは「相手が理解しているかどうかに関わらない」
伝わるは「相手が理解している状態」
伝えるは「意識的」であり
伝わるは「相手の腑に落ちた状態」
伝えるは「自分が主体」
伝わるは「相手が主体」といろいろありました。
村上先生は、どれが正解だというのは無いと教えてくださいました。
これも分らないことなのです。
そして伝えるは片思い、伝わるは両思いだという京都女子大学の学生さんの言葉も示してくれました。
ではどうしたら相手に伝わるのか、私が、今回の講座で学んだ点は次の三つであります。
第一には、伝えたつもりでも伝わっていないのだという自覚です。
村上先生が、伝わるのは一%くらいだと仰った自覚です。
それから、第二に
伝わるようにするには、相手の立場や背景を想像し、立場や環境をよく考えて察したうえで伝えることです。
第三には、伝えたつもりという観念を捨てて、大事なことを繰り返すことです。
繰り返さないと伝わらないものです。
それから村上先生は、
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」という井上ひさしさんの言葉を紹介してくださいました。
このやさしく、ふかく、おもしろくというのが難しいものです。
それから相手の話をよく聴くことの大切さについてもお教えいただきました。
たくさんしゃべるセールスマンほどあまり売れないということがあるそうです。
セールスマンでもこちらから一方的にしゃべるのではなく、相手の要望を聞くことが大切なのです。
聴くという漢字は沢山ありますが、聴覚の「聴」と書く場合の「聴く」は全身を耳にして聴いている状態だというのです。
新聞の聞、「聞く」というのは、ただ右から左へと漫然と聞くことなのであります。
また聴覚の「聴」という字には、きくという読みだけでなく、「ゆるす」という読み方があるそうなのです。
相手の思いや立場、考えをゆるすという気持ちがそこに含まれているのだというのが、村上先生のお話でした。
最後に、「間」の大切さについても語ってくださいました。
同じことを話していても、この間によって一層深くなるのです。
間を取っている間に、相手の表情を見て、相手がどれくらい分っているかどうか察することが重要です。
むしろ間を楽しむことができるようになればいいと仰ってくださいましたが、これはとても難しいものです。
二時間にわたって、村上先生のあたたかい笑顔と、美しく洗練された言葉を沢山拝聴できて、とても有り難い日でありました。
横田南嶺