みんなつながっている
その感動の覚めやらぬ内に、仏教伝道協会の御依頼で、笑い飯哲夫さんとお話させてもらいました。
仏教伝道協会が主催している、笑い飯哲夫のサタデー・ナイト仏教という企画であります。
これは仏教マニアで知られるお笑い芸人の笑い飯 哲夫さんによるラジオ番組なのです。
毎週土曜の24時15分から24時30分までFM大阪で放送されるそうなのです。
夜中といってももう日付が変わっているころに放送されています。
ラジオでは、一五分という短い時間に編集されますが、ポッドキャストでは、ほぼノーカット版を聴くことができます。
インターネット拝聴できるようになっています。
そして、これは「偶数月はお坊さん、奇数月は若手お笑い芸人をゲストに迎え楽しくてためになる仏教のお話をお伝え」するというのものであります。
私は先日収録して、八月に放送されるのであります。
六月は花園大学の佐々木閑先生がお話くださっていました。
これは私も佐々木先生から教わって、ポッドキャストで拝聴させてもらいました。
四月には、曹洞宗普門寺住職、 吉村昇洋さんでした。
二月は、目黒の円融寺の阿純章さんが登壇されていました。
私の存じ上げている方ばかりであります。
しかしながら、私はこの笑い飯哲夫のサタデー・ナイト仏教に出してもらえるのは、二度目なのであります。
昨年の三月に収録して、四月に放送されたのでした。
ポッドキャストは、一年間だけ保存してくれているのですが、一年経つともう聞けなくなってしまいます。
二度目にあたって、前回どんな話をしたのか、振り返ってみようと思いましたが、残念ながら聞くことはかないませんでした。
そうなると、これ幸い、去年の記録がないので、自由にお話できると思ったのでした。
ただ私がなぜ二回目も呼ばれたのかよく分りませんでしたので、担当の方にうかがってみました。
私は、「試験の成績が悪くて追試を受けさせられるようにものですか」と聞くと、「とんでもない」ということでした。
なにぜお坊さんで二回呼ばれるのは初めてのことだそうです。
もっとも前回はリモートで行いましたので、笑い飯哲夫さんに直接お目にかかるのは初めてなのであります。
笑い飯哲夫さんは、昭和四十九年のお生まれなので、私よりも十歳お若いのであります。
仏教について造詣の深いことは有名で、何冊もの書籍を出しておられます。
『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳般若心経』をはじめ、『ザ煩悩』『ブッダも笑う仏教の話』などがございます。
『ブッダも笑う仏教の話』には諸行無常について次のように説かれています。
「あるものが本当に存在するなら、それはそのままの状態をずっと保つはずなんです。
赤い苺はずっと赤い苺のはずです。それが真実在というものです。
しかし全てのものはボロボロになります。いつか壊れます。
つまり全ては移ろいゆきます。
赤い苺はいつか汚い苺になります。
花は枯れるし、散りもします。
木にしても、必ず形を変えます。
ジッパーもいつか壊れます。
救急箱もいつか赤チンが付いて汚れます。
救急箱の持つとこも、金属のやつならいつか錆びます。
人間も、必ず移ろいゆきます。白髪になるし、禿げます(し、チンゲも抜けます)。
感情にしてもそうです。
前は好きだったのに、禿げたから好きの度合いが減ることもあります。
また、禿げた方がより好きになるという場合もあるかもしれません。
一定ではありません。ならば、全てのものに実体はない、ということになります。
この全てのものが移ろいゆくことを、「諸行無常」といいます。」
とても分りやすく説かれています。
更に「ものが内包している実体のことを「我」といいます。
基本的に仏教で出てくる「我」は、「ワレ」つまり自分単体のことではなく、万物それぞれの実体という意味になります。
そして、全てのものには実体がないから、それを「無我」といいます。
更にこれを四字熟語でかっこよくすると、(「竹脇無我」ではなく)、「諸法無我」となります。」
ということであります。
この本の「はじめに」に、「つまり、ずっと繋がっているんです。
大昔と今は個別のものではなく、同じ蔓のようにように繋がっているんです。
亀の頭と手は別々に出てるけど、甲羅の内部では繋がってるようなものです。」
「一つ一つのものが本当に個別なものであるなら、それらは繋がりません。
この文をひっくり返すと、本当に個別のものなどなんにもないから全部繋がっている、という美しい表現になります。
これを掘り下げると、本当にそれそのものとして存在するものなど一つもなく、全ては因縁によって変化しているにすぎないのだから、本当に存在しない単体にばっかり執着する心を捨てよ、そしたら苦しくないよ、という難しい表現になります。
これが、だいたいお釈迦さんの言うてはったことになります。」
とブッダの教えの要諦を説いてくださっているのです。
また、この本には、日常で当たり前のように使っている言葉が、実は仏教がもとになっていることを書いてくれています。
「くしゃみ」も実は「仏教用語」なんです」ということです。
「ある時、ブッダが、
「ハ、ハ、ハ、ハックション」
と、一つ大きいのをやりますと、弟子たちが、
「クンサメ」
と唱えたそうなんです。
「クンサメ」とは、「長寿」の意味らしいです。
インドでは、くしゃみをすると寿命が縮まるという迷信があったそうで、それで弟子たちは、「長寿」と唱えたんですね。
この「クンサメ」が「クサメ」、そして「クサメ」から「くしゃみ」となったみたいですよ。」と書かれています。
スタジオでは、四回分をいっぺんに収録させてもらいました。
仏教伝道協会の方にも親しくお目にかかることができました。
みんながつながり合っている、よい時間でありました。
いろいろのご質問をいただいたりして、楽しい二時間でありました。
横田南嶺