栗山監督との出会い
森先生の言葉の中でも、実に多くの人が好んでいる言葉であります。
なるほど言い得て妙だと思うことが実際によくあるものであります。
先日の栗山英樹監督との出会いもまたそんな思いを深くしたのでした。
致知出版社というところから、栗山監督との対談をという依頼をいただいたのでした。
致知出版社は、森信三先生の本もたくさん出していて、人間学を学ぶことを目的にしている出版社であります。
月刊『致知』という雑誌があって、私も毎月連載させてもらっています。
致知出版社から私の著書も何冊も出してもらっているので、ご縁の深い出版社なのであります。
そんなご縁の深い出版社からの依頼となればすぐに引き受けるのでありますが、今回だけは丁重にお断りしたのでした。
何せ私は野球のことは全くの素人であります。
そんな素人の私でも新聞紙上などで栗山監督の名前は存じ上げていますし、WBCワールドベースボールクラシックで優勝し世界一になったことも知っています。
そんな世界を代表する野球の監督と、野球のことを全く知らない私とでは、対談になるはずもないと思ったからでした。
相手に失礼に当たると思って、ご辞退したのでした。
しかし、出版社からは、栗山監督が私の本を何冊か読んでいて、是非とも会いたいと言っているので、野球を知っている知らないということに関係なく、対談して欲しいというのであります。
私の本を読んでいるというのは意外でありました。
そう言われると断りづらくなって、お引き受けさせていただきました。
いつものことですが、対談するとなると、まずその方のことをよく知らないといけません。
著書があれば、できる限りの著書を読んでおくようにします。
今回も『栗山英樹29歳 夢を追いかけて』、『育てる力』、『栗山ノート』の三冊を入手しました。
『栗山英樹29歳 夢を追いかけて』を読むと、栗山監督のだいたいの経歴がよく分ります。
『栗山ノート』には、栗山監督が如何に多くのことを学ばれた方であるかがよく分ります。
対談が決まってからいろんな方にうかがうと、栗山監督という方は、中国の古典をはじめとても読書をなさっているということを知りました。
この本を読むと、栗山監督が読書家であることがよく分るのでした。
『育てる力』を選んだのは、私も若い修行僧たちを育てる立場にありますので、栗山監督がどのようにして大谷翔平さんをはじめ素晴らしい選手たちを育てて来られたのかを学ぼうと思ったからでした。
こういう時に本を読むには、まず読みながら、良い言葉だなと思ったところに付箋をつけてゆきます。
そうして読み終えたら付箋をつけたところを全部書き出して、自分なりのノートを作ります。
そのようにしてから対談に臨むのであります。
ある意味で、自分が講演するよりもたいへんなところがあります。
講演ですと、自分で準備したことを自分の思うように話すだけですが、対談の場合はそのように準備しても全く役に立たないこともありますし、どのような流れになるかは自分の思うようにはならないのです。
しかしながら、今回は、準備を進めるうちに、だんだんと怖くなってきました。
というのは、栗山監督の勉強のなされ方が、私の想像していた以上に広くそして深いのであります。
『栗山ノート』には、私の知らない言葉も出てくるのであります。
こんなに勉強なさっている方と対談するのが怖くなってきたのでした。
かくして、栗山監督と対談してWBCのことについてもいろいろお伺いして話し合うことができました。
対談のあと、出版社の方が、「管長、野球を知らないと言っていたのに詳しいではないですか」と言われましたが、勉強したからなのです。
相手のことを知る、これが相手への最大の敬意だと思っているのであります。
さて、この対談はなんと円覚寺で行われました。
都内のホテルにでもうかがうのかと思っていましたら、栗山監督が円覚寺に来たいと仰せになっているというのであります。
寺の者も大喜びで、当日は朝早くから支度をしてくれました。
栗山監督はお車でお見えになりました。
お出迎えして、大方丈にあがり、庭をご覧いただきながら、大書院で抹茶を召し上がっていただきました。
前日に私が甘酒を造っておきましたので、冷やした甘酒を先に召し上がったいただきました。
とてもおいしいと喜んでくれたのでホッとしました。
そのあとは蔵六庵で九十分対談してお昼お弁当をご一緒にいただきました。
お昼のあとは、舎利殿と修行道場をご案内させてもらいました。
舎利殿や開山堂にはとても感動されていました。
私が開山仏光国師のことを説明するまでもなく、「この方がいなければ日本はあの元寇でどうなっていたか分りませんね」と仰いました。
無学祖元禅師や北条時宗公のことは十分にご存じなのです。
今も薪で煮炊きをしている修行道場の台所をご覧に入れると、これにはとても驚かれていました。
栗山監督は私より三歳年上でありますが、都内のお生まれでもあり、竃は実際にご覧になったことはないとのことでした。
私は田舎でしたので、まだ幼い頃には竃があったものです。
ただお風呂は薪で沸かしていたと仰っていました。
対談の前には、「世紀のちょうちんと釣り鐘対談」だと私は言っていましたが無事に終えることができました。
栗山監督はとても謙虚で素晴らしい方だということがよく分りました。
この監督に会うと、監督の為になら何でも頑張ろうという気持ちになるのだとよく分ったのでした。
栗山監督の著書『育てる力』にはこんな言葉がありました。
「監督に就任した後、いつの頃からか私はこう思うようになった。人生の最大の喜びは、選手の幸せそうな顔を見ることである、と。」
そして監督は、このたびWBCワールドベースボールクラシックでこの思いを実現させたのだと思いました。
舎利殿や仏殿をご案内してお見送りしようとすると、監督は「とんでもない、こちらが見送らせていただく」というのであります。
私は、「恐れながら、監督、こちらが主であり、監督はお客であります。主が客を見送るのが礼儀であります」と申し上げたのでした。
車の窓から何度も何度も頭を下げられる監督のお姿が心に残りました。
素晴らしい人との出会いは、人生を豊かにしてくれます。
実に有り難い出会いでありました。
対談の内容については月刊『致知』十月号に掲載される予定であります。
横田南嶺