道を学ぶ友
岩波書店の『現代語訳 碧巌録』にある末木文美士先生の現代語訳を引用します。
「雲巌が道吾に問うた、「大悲菩薩はたくさんの手眼によって何をするのか」。
道吾「人が夜中に背後に手を回して枕を探し当てるようなものだ」。
雲巌「分りました」。
道吾「お前はどのようにわかったのか」。
雲巌「身体いちめん手眼です」。
道吾「言うことはなかながご立派だが、八割程度言えただけだ」。
雲巌「先輩はどうですか」。
道吾「身体まるごと手眼だ」。というものであります。
この道吾と雲厳が実の兄弟だったということが『祖堂集』に書かれています。
禅文化研究所発行の『純禅の時代 祖堂集ものがたり』から引用します。
柳田聖山先生の訳文です。
「道吾和尚は四十六歳のとき、はじめて出家した。
俗姓は王氏で、鍾陵建昌(今日の江西省永修県の北部)の出身である。
雲巌和尚は、じつは道吾の弟であった。
雲巌が、先に出家し、百丈和尚のもとで侍者をつとめること、すでに二十年であった。
道吾は、そのころ未だ俗世にあり、地方巡察の役人であった。
ある日、五百里の道を巡って、ちょうど百丈の荘園のあるあたりにやって来て、中食をとっていた。
そのとき、百丈の侍者も、やはり荘園に来ていて、荘園の長が侍者をよび出し、客に紹介した。
侍者はやって来て、相互に一通りのあいさつを交したのち、すぐにたずねた、
「閣下は、どちらのお生まれですか」
「鐘陵建昌県の生まれです」
「閣下の姓は、何とおっしゃいますか」
「わたしの姓は王氏です」
侍者はすぐに、相手が肉兄であることに気付き、手をとって泣いた。
「母は健在でしょうか」
「あなた(師兄)のことを思って、悲しみにたえず、泣きつづけて、片目を失って死にました」
侍者は、生家の消息をきくと、その日のうちに、百丈山にひきかえした。
かれは兄を伴って、和尚のところに上り、一通りのあいさつののち、すぐに和尚にはかった。
「この方は、わたしの俗兄です。 先生の下で出家したいとねがっていますが、よろしいでしょうか」
「わたしのところで出家することはよろしくない」
「どうしたらよいのです」
「わたしのあに弟子(師伯)のところで出家しなさい」
侍者は兄を伴って、師匠のあに弟子のところに行くと、以上の次第をくわしくつげた。 あに弟子は、すぐに許してくれたので、兄はすぐに弟子となった。」
という話であります。
二人の兄弟のなんとも劇的な出会いであります。
兄の道吾禅師は、その後薬山禅師のもとで悟りを開きます。
そこで、弟の雲厳禅師も呼び寄せようとして手紙を出しました。
「石頭は真金をあきなう黄金商だが、江西は雑貨屋だ。
師兄はそちらで脚ぶみなどしていて、どうする気だ。
まったく残念千万だ。一日も速く、こちらに来なさい」
という手紙でした。
江西というのは馬祖のこと指します。
「雲巌は、この手紙を手にしてから、言い知れぬ愁いに沈むばかりだった。
ある日、百丈和尚のおそば近くに侍して、立ったまま、夜中になっても動かなかった。和尚(百丈)が言った。
「しばらく休みなさい」
雲巌が立ち去らぬので、和尚がさらに言われる。
「君はどんな事情があるのだ、顔色も大へん悪いし、何か肚の中に人に言えぬわけでもあるようだな、あるなら、言ってみることだ」
「何事もございません」
「智闍梨(道吾)から、手紙をもらったのじゃあるまいね」
「どういたしまして」
百丈は、道吾の手紙を求めた。
雲巌はすぐに取り出して、和尚に差し出す。 和尚はそれを読み終わって言う。
「まったくそうだ、われを生むものは父母、われを成すものは朋友(生我者父母、成我者朋友)とあるでないか。君はもう、わしのところに居る要はない。すぐに立ち去ることだ」
「行く気になれません」
「わたしはかねて、薬山に手紙を出そうと思っていたところだ、また贈りものもある。それを、薬山尊者のところにとどけたいのだ。君はわたしの手紙をもって、早く行くのだ」
雲巌は、師の言いつけによって、手紙をもって薬山にやって来た。
道吾が出迎えて、和尚のところに案内する。」
という展開となります。
兄弟はお互いに励ましあって修行したのでした。
そんな間柄のことも思って、碧巌録の問題を読むと、一層親しみが湧くものです。
中国の春秋時代、王に仕える宰相として活躍した菅仲は、とても貧しい家の生まれだったそうです。
そんな彼を昔から支えてきたのが親友である鮑叔でした。
そこから二人の間柄を「管鮑之交」と言います。
その管仲が「我を生む者は父母なり、我を知る者は鮑叔なり」と言ったというのであります。
その話がもとになって、「われを生むものは父母、われを成すものは朋友」と百丈禅師も仰せになったのでしょう。
阿難尊者がお釈迦様に。「私どもが、善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、すでにこの道の半ばを成就したに等しいと思われます。この考えは如何でしょうか」と問われたのに対して、お釈迦様が「善き友をもち、善き仲間とともにあることが、この道のすべてである。」と仰せになったほどでした。
共に道を学ぶ善き友を得るということは実に有り難いものであります。
横田南嶺