七つの喩え
禅文化研究所発行の『白隠禅師年譜』にある芳澤勝弘先生の現代語訳を引用しましょう。
「慧鶴はある日、嘆息しつつ思った、「自分は父母の恩愛に背いて出家の身となったのに、いまだに少しの功果も得られてはいない。
法華経は一代の経王であって、鬼神すらもこれを尊ぶと聞いたことがある。
つらつら思うに、これを読誦するだけでも苦報から免れるというのだから、みずから法華経を誦持すればきっと果報があるだろう。
このお経の中にはきっと甚深の妙義があって、自分の本志を達成することができるであろう」と。」
と思ったのでした。
そこで法華経を借りて読んでいました。
「自ら訓点を加えて、何回も熟読した」というのですが、
白隠禅師は、
「「唯有一乗」とか「諸法寂滅」などと書かれている他は、ことごとく因縁譬喩の話ばかりであった。
そこで巻を閉じて思った、
「こんな経に功徳があるならば、諸史百家や、謡曲本や伎芸の類の書でも功徳があるだろう」と。
ここにおいて大いに素志を失い、憤々として楽しまぬ日々であった。
それからは、禅宗にも疑いを抱くようになった。」
というのであります。
後に我が国の臨済を再興されたほどの禅師ですが、お若い頃にこんな迷いを抱いたこともあったのでした。
ではどんな譬え話なのか、古来法華七喩と言われています。
七つの喩えをざっと紹介しましょう。
岩波書店の『仏教辞典』の解説を参照します。
まずは、
三車火宅の喩えです。
「譬喩品」に説かれる喩で、
「三界は安きこと無く、猶(なお)火宅の如し」とある経文にもとづく。
煩悩や苦しみに満ちた三界を燃え盛る家に喩え、その家に遊び戯れている子供たちを衆生に喩える。
子供たち(一切衆生)の欲する羊・鹿・牛のひく三車(三乗)が門外にあると誘い出して、父親である仏陀は火宅からかれらを救い出し、大白牛車(一仏乗、一乗)を平等に与える。」
という教えであります。
それから「長者窮子の喩え」です。
「法華経信解品に、父(仏)のもとを離れて困窮している子(二乗の者)がやがて長者である父に巡り合い、親子の名乗りをあげ、すべての財産(一乗妙法)を相続するという喩えが説かれる。」
というものです。
それから「三草二木の喩え」であります。
これは、「法華経薬草喩品には種類の異なる草木が、同一の雨にあたって平等に潤いを受け、その大小に従って成長する譬喩が説かれている。」
「衆生たちに能力素質の相違はあっても、仏の説法は平等にかれらを潤し、ついには真実の世界たる一仏乗(一乗)に到らしめることを喩える。」
ものです。
次には化城宝処の喩えです。
これは「仮に作られた幻の都城」です。
法華経化城喩品には、五百由旬の彼方にある宝処に向かう隊商たち(衆生)が途中で疲れ果ててしまったために、指導者(仏陀)が神通力によって都城(小乗の悟り)を出現させて彼らを休息させ、ついには宝処に導くという譬喩が述べられる。
小乗(二乗)の悟りは仮のもので、法華経の一仏乗(一乗)の成仏にいたるための方便であることを喩(たと)える。」
というものです。
それから「衣裏繋珠喩」は、
「ある親友の家で酔いつぶれた者が、親友が衣の裏に縫いつけてくれた宝石に気づかず、生活に追われて困窮し、苦労の果てに、親友と再会して、その宝石のことを打ち明けられるというものである。
この宝石は仏の一切智(すべてを知る智慧)をたとえている」ものです。
それから「髻中明珠喩」は、
「転輪聖王は通常の戦功のものには、恩賞として転輪聖王だけがもつ髻の中の輝く宝石を与えることはないが、特別に大きな戦功のあるものには与えるというものである。
この髻の中の宝石は法華経の説法をたとえている。」
というものです。
それから「良医治子喩」は、
「名医の父の留守に誤って毒を飲んだ子供たちが、父が外国で死んだという知らせによって正気を回復し、父の薬を飲んで治癒し、子供が全快した後、父は元気な姿で帰宅するというものである。
「永遠の寿命をもつ釈尊が涅槃に入るのは衆生を救済するための方便にすぎない」という思想をたとえている。」
ものであります。
後に白隠禅師は、長者窮子の喩えを坐禅和讃の中に用いているほどに、法華経を大切になされるようになりました。
もう少し詳しく紹介しましょう。
インドの国に国一番の大長者がいました。
長者には一人の子供がいたのですが、子供の頃に行方不明となっていました。
インド一の財産を持って何不自由ない暮らしをしながら、長者の心には我が子のことが気にかかって仕方ありません。
そんなある日のこと、大勢の付き人を従えて、邸宅の庭先で涼んでいたところ、遠くから通りを眺めていますと、ふとわが子の姿を目にいたします。
なんと我が子は放浪の暮らしをしていました。
子供と別れて既に何十年も経っていますが、親子ですから、たとえどんな姿をしていようが一見して我が子とわかります。
逆に子供の方はというとまだ幼い頃に別れたので、父親のことははっきりしません。
遠くから邸宅の中をのぞくと、大勢の付き人を従えて悠々と涼んでいる姿を見て、何という人だろうか、果たしてこの人は王様だろうかと思って通り過ぎようとします。
ところが父親は我が子だとすぐにわかりましたので、家の者に「すぐあの者をとらえて連れてくるように」と命じます。
その子は早く通り過ぎようとしたところ、いきなり追っ手が迫りますので、何事かと思って逃げようとします。
その子は、これは殺されると思って逃げますものの捕まってしまいます。
殺されると思うものですから、気を失ってしまいます。
そのことを長者に報告すると、長者は、しかたないと思い、そこで無理につかまえることはやめて、我が子をいったん町に放します。
そこで、自分の家臣の中でも見たところいかにも貧相な者を選んで、みすぼらしい格好をさせて、我が子に安心させて近づかせます。
そしてその子にとりあえず、よそには行かないようにさせて、良い仕事があるぞと話して持ちかけて、長者の家の手洗いの掃除をさせます。
何年か手洗いの掃除をさせて、こんどは庭の掃除をさせます。
毎日毎日庭の掃除をさせてわずかの賃金を与えます。
馴れてくるとこんどは座敷の掃除を命じます。
室内の掃除をさせて、少しばかりの賃金を与えます。
こんどは長者の秘書のような役をさせます。
長者の身の回りの世話をさせます。
更に長者の財産の管理、蔵の管理もさせます。
そうして何年もかかって、長者のあらゆる資産を全部把握させます。
長者とも随分親しい間柄になりましたものの、その子はいまだに自分は、長者とは縁もゆかりもない者、この膨大な財産も全く自分には関係のないものと思いこんでいます。
やがて長者も体が衰えて、病気になり寝込みます。
いよいよ病重くなって危篤に陥ります。
いよいよとなって長者は国中の者を集めて遺言をします。
そこで初めて、ここにいるこの者こそ我が子である、何十年も昔に別れたきりの間違いのない我が子である、我が家の財産は悉くこの子のものであると言って息を引き取ります。
この長者が仏さまを表し、長者の子供がわれわれであると『法華経』は説いています。
われわれはみな仏さまの子であるとの譬えなのです。
横田南嶺