調うとやわらぐ
暑い日でありましたが、いつもながらお元気な椎名先生であります。
今回は、はじめにホワイトボードに大きく「調」の一字を書かれて、この字をみて思う起す言葉を言ってくださいと質問されました。
修行僧たちは、それぞれ答えていました。
「調整」「調和」「調息」「調査」「歩調」「調理」「体調」「調律」「調教」などなど、思いつくだけでもたくさんあるものです。
手元にある漢和辞典を調べても、
「調」には、まず「ととのえる」「ととのう」という意味があります。
「でこぼこをならして、全体に行き渡らせる。
利害や損得のでこぼこをなくして、全体のバランスを取る。
バランスが取れる。」
という意味であります。
そこから「調和」「調停」という熟語がございます。
それから「くせのないようにととのえる。楽器の調子をととのえる」という意味があって、それに「調教」「調整」という熟語があります。
「あしらう。からかう」という意味もあります。
「調笑(=嘲笑)」という例があります。
それから「しらべる」という意味があります。
「全体にまんべんなく目を通す」ということで「調査」という熟語となります。
「軍隊や職務・物資を動かしてバランスを取る」という意味もあります。
それから「しらべ」と読むと、「なごやかにバランスを取る音の流れ」という意味で、「曲調」「短調」という熟語があります。
「進行する物事の全体の具合」という意味で、「調子」という熟語もあります。
実にいろいろあることが分ります。
諸橋轍次先生の大漢和辞典を調べると、もっとたくさんの意味が書かれています。
「ととのう」は「ほどよくなる」「ほどよくする」「ほどよい」という意味があり、「そろう」「そろえる」という意味もあります。
「あわす」「あう」「和合する」という意味もあり、「ならす」「なつく」という意味もあります。
それから素晴らしいと思ったのは、「やわらぐ」という意味があることであります。
調和というのは、やわらぐことなのであります。
「全体にまんべんなく目を通す」という「調査」ということで、椎名先生はお互い自分の身体の中も調査が必要だと仰っていました。
きちんと自分の身体に向き合うことが大切であります。
身体が悲鳴をあげると、それが不調となって現れるのであります。
そんな「調」の字の話をされてから、調身、調息、調心の坐禅で大切な三つを説かれていました。
調身という身体は、これは実に自然界のものであります。
決して人工的に作ったものではありません。
これを自然のままに使えば健康になりますし、不自然に使うと不健康になるのであります。
本来自然のままに暮らしていれば、元気に生きられるのだとお話くださいました。
呼吸のことについて、いつもお話してくださいますが、大事なことは自分で意識していないということです。
もっとも呼吸法を行うこともあって、意識的に呼吸することもありますが、一日のうちの大半は、自然に呼吸しています。
ご飯を食べないとか、水を飲まないとしてもしばらく生きていることはできますが、呼吸は止ったら数分で死んでしまいます。
ご飯を食べなければ、水を飲まなければと意識することは多いのですが、呼吸しなければ思うことは少ないのです。
一日二万回もほとんど無意識で呼吸しているのです。
呼吸がうまくゆかないのは姿勢が調っていないからなのであります。
姿勢が調っていれば、自然と呼吸も調ってくるのであります。
椎名先生は、今は百人のうちに九十九人か九十八人までは辛い姿勢をしていると指摘されていました。
本来の姿勢に調えるが調身であります。
そこから姿勢を調えるワークに入りました。
今回は、主に藤平康子先生がご指導くださり、椎名先生は補佐のように一人ひとりの修行僧の姿勢を直して下さっていました。
はじめて藤平先生にお目にかかったときのことも忘れられません。
あれは、初めて椎名先生に講習をお願いしたときのことでした。
椎名先生から、七十代の女性の方も一緒に来るとうかがっていました。
それで駐車場まで迎えに出たのですが、どう見ても七十代の方は見当たらないのでありました。
お若い女性しかいないのでした。
私は、七十代の方は当日都合が悪くて、お若い方が代わりに見えたのかと思いました。
控え室で挨拶をすると、そのお若い女性がなんと七十代の方だったのであります。
呼吸法のおかげで元気になったのだと言われていました。
それが藤平先生でした。
私たちは、年を取ると衰えていくばかりのように思いますが、姿勢を正しく、呼吸を正しく行っていれば、決して衰えるばかりではなく、むしろ若い時よりも元気になることもあるのだと学んだのでした。
その後も毎回のように藤平先生は、椎名先生と共にお越しくださっているのであります。
新しい修行僧にも講習のあと、藤平先生は七十代であると教えると、皆一応に信じられないと驚いていたのでした。
調和ということで思い起こすのは、調和道身心健康法の藤田霊齋先生であります。
藤田先生が説かれたのは、鳩尾を落とすということであります。
「鳩尾は必ずきわめて柔らかくくぼんで、如何に腹部に力をいれもて、また指などでそれを強く押しても少しの痛みもなければこだわりもなく、ごく柔らかになっていなければならない」ということであります。
藤田先生は、明治の初頭に日本はフランス式の調練を取り入れて、その軍隊の姿勢が基本姿勢となっていたと指摘されています。
これは「不動の姿勢」と言っていますが、いわゆる「気をつけ」の姿勢であります。
かかとを一直線にそろえて、両足は約六十度に開いて、外に向け、両膝を伸ばし、上体は腰の上に落ち着け、背を伸ばし少し前に傾け、両肩をやや後ろにひいて下げます。
両肘は垂らして掌を股に接し、指は軽く伸ばして並べます。
頸及び頭をまっすぐに保ち、口を閉じて目を開くという姿勢であります。
この姿勢を藤田先生は、「胸本位姿勢」と評しています。
胸を張った姿勢なのです。
この姿勢には弊害が多いと藤田先生は指摘されています。
まず疲労が早いというのです。
この姿勢だと呼吸が浅く、血行不良となって疲労素蓄積の量が多くなるのです。
今回も椎名先生は一人ひとりの鳩尾を押さえてくれていました。
鳩尾が落ちて柔らかくないと深い呼吸はできないものであります。
ついつい長年学校で習ってきた姿勢が身についていて、胸を張り、鳩尾が硬くなりがちなのであります。
そうして本来の姿勢に調うように教わっていたのでした。
調うとやわらぐのであります。
横田南嶺