主体性は腰を立てることから
十夜が橋の和歌に感動されたという関精拙老師の話であります。
この話を知ったのは、大森曹玄老師の『驢鞍橋講話』を読んだことからでした。
『驢鞍橋』の講話は、もともと月刊誌『大法輪』に連載されていたもので、私は中学生の頃から愛読していたものです。
この本から受けた影響というのは、とても大きなものでありました。
大森老師からは書物を通して多くのことを学びました。
後に学生時代に一度大森老師の高歩院を訪ねて親しくお目にかかったことがありました。
その頃はもう晩年で、全く力の抜けた好々爺のような老師でありました。
しかし、その視線、たたずまい、ふとした仕草には百戦錬磨の古禅僧の面影が残っていました。
懐かしい思い出でありました。
『驢鞍橋』を著したのは、鈴木正三です。
鈴木正三は、岩波書店の『仏教辞典』によれば、
「1579(天正7)-1655(明暦1)
江戸時代初期の曹洞宗の僧、仮名草子作者。
俗名重三、通称九大夫。
玄々軒・石平道人などと号す。
三河(愛知県)出身の武士で、徳川家に仕え、関ヶ原や大坂の陣にも出陣したが、1620年(元和6)出家。曹洞宗に属するが、既成の教学にとらわれず、世俗の職業生活に即した仏法を説き、仮名草子をもって布教し、またキリシタン批判の書もある。
その職分論や仏教の政治的活用など、幕藩体制形成期におけるイデオロギー的役割が注目される。」
と解説されています。
大森老師の解説には、
「生まれは愛知県の足助の人である。
先祖は三河の高橋庄というところにいて、父は徳川家康の家来、正三はその長男であった。
秀忠に仕え、関ヶ原の戦いには二十三歳で本多佐渡守に従って出ており、大坂冬の陣には本多出雲守、夏の陣には秀忠に従って出征している。
十七歳の頃、雪山童子の事跡を書物で読んでから仏教というものに強く引かれていったようです。」
と書かれています。
雪山童子の話については、先日管長日記でも紹介したものです。
羅刹が「諸行無常、是生滅法」(諸行は無常、是生滅の法なり)と唱えたのを聞いて、後の句を聞きたいと願います。
腹が減ってものが言えないという羅刹に自分の体を施すことを約束します。
そして「生滅滅巳、寂滅為楽」(生滅を滅し已り、寂滅を楽と為す)というのを聞かせてもらって、傍らの木の幹に削って書きつけ、後世の人がそれを読んで修行のよすがにできるようにして、雪山童子は崖から身を投げました。
すると鬼は神の姿となって童子の体を受けとめ、消え去ったという話です。
大森老師は、
「正三は十七歳の時にこの物語を読んで非常に感激した。
それ以来、戦争のたびに真っ先に槍をひねって突入し、いつでも自分の体を捨てて死というものを究めようと激烈な戦いをして、自分の心を試した。」と解説されています。
そんな烈しい志をもった方ですので、説かれる言葉も厳しいものです。
『驢鞍橋』のはじめには、
「只柔和に成り、殊勝に成り、無欲に成り、人能くはなれども、怨霊と成る様の機を修し出す人無し」という言葉があります。
大森老師は、このところを「ただ穏やかになり物柔らかになって、殊勝げな顔をして、欲もなくなり、 無欲だということを誇らしげにし、お人よしにはなったけれども、たとえ、亡霊になってでもこの世中に出て来て、 一切衆生を済度し尽くすまではやるぞというような、烈しい気合いを練り出す人は至って少なくなった」と解説されています。
大森老師は、この本の序文で、正三禅師の禅の特色を
「仁王禅」「果たし眼坐禅」「土禅」であると説かれています。
まずは「仏像を手本にして、奥の院の観音に到るには、まずは仁王の山門を通らねばならぬ。
仁王が全身の気力いっぱい、活気凜々と突っ立っているように、まず自ら仁王になり切り、仁王不動の大堅固の機、命がけの気合を以って身心をせめ滅すより外、別に仏法はない。
勇猛の機一つを以って修行は成就する。
また「果たし眼坐禅」とは、奥歯をきっと咬み合わせ、眼をすえ、じりじりと睨みつけている気合、生死巌頭に立ち、南無八幡といって、槍を突っかけるときのすわった全身全霊の気合である。
この気合をもって、八識田中に一刀を下し、念根を切り尽くし、只土になる、土のようになって生きる。正三禅の特色「土禅」である」
というのです。
「浅草の観音様に行っても、入口に阿吽の仁王が立っている。
博物館に行って見ると、仏像の中に運慶の彫った仁王が突っ立っている。
実に見事に突っ立っている。
あのさまをよく見てごらんなさい。
指の先の筋肉にまで気力が満々として行き渡っている。
これを活人という。
ついでに生きているような人間には、そういう気力が充実していない。
気力を充実するということは肩ひじ張って反っくり返ることではない。
ゆったりと、どっしりとして、しかも内に犯すべからざる凛然とした気力がある。
それが坐禅というものである。」
と大森老師は説かれています。
また腰を立てることの大切さも説かれています。
「具体的に言えば、人間が両手を地球から放して、地球の引力に半ば背いて自らを立てた時、自己の主体性を確立したのである。
言いかえれば、人間の主体性は腰を立てるということによって確立された。
それが砕けてしまっていては、動物に帰って、全面的に引力に引かれる、ただ受動的に生きる存在にすぎない。人間ではない。
いやしくも人間であるからには、スーッと腰を突っ立てなければならぬ。
うなじは天を突き、腰を伸ばして立つ。
始めから如来様のように、ばあさんが日向ぼっこで念仏しているような恰好をして、坐禅したところで仕様がない。
仁王・不動のような気力一杯の坐禅をすべきである。
「先二王は仏法の入口、不動は仏の始と覚ゑたり」
仁王様はどこへ行ってもお寺の入口に立っているじゃないか。
あれはお寺の財産を守るために立っているんじゃない。
こういうところに来る者はかくのごとくあれと、仏道修行の見本を示しているのだ。」
と説いてくださっています。
中学生の頃にこんな本を読んで、血湧き肉躍る思いで坐禅をしたものです。
今もそのこころを失ってはならないと肝に銘じています。
横田南嶺