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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.06.13
今日の言葉

含章 – 内に美徳をつつむ –

先日花園大学で講義をしたあとに、午後からの芳澤勝弘先生のご講演を拝聴してきました。

これはとても興味深いものでした。

題は、「白隠禅師と堤州和尚」という講演をなされたのでした。

堤州和尚は白隠禅師について修行されて、白隠門下では四天王と言われたほどの方であります。

主に、白隠禅師の著書『荊叢毒蘂』の刊行に関わるお話でありました。

『荊叢毒蘂』の刊行に、堤州和尚や梁田蛻巌や池大雅などが関わっています。

梁田蛻巌というのは、『広辞苑』によれば、

「江戸中期の儒学者。江戸の人。山崎闇斎の学を受け、朱子学を奉じ、明石藩に仕え、漢詩人としても知られた。著「蛻巌集」など。(1672~1757)」という学者であります。

池大雅というのは「江戸中期の文人画家。日本文人画の大成者」であります。

『荊叢毒蘂』の題字を書いているのが池大雅であります。

題字の脇に「含章亭蔵」と書かれているのですが、この「含章」という言葉の意味を教わりました。

含章は、元来内に美徳を包んで外に表さないことで、更に結局は包み隠しおおすことができずにいずれは現われるという意味があると解説してくださいました。

なるほど深い意味があると学びました。

白隠禅師の『荊叢毒蘂』は、白隠禅師お一人の力によるのではなく、堤州和尚の補佐があり、当時の儒学者である梁田蛻巌や池大雅、そして資金を出してくれた鉄屋木田種重などが力を合わせて出来たということでした。

白隠禅師がこの梁田蛻巌に出会ったのが、六十六歳のとき、播磨の明石龍谷寺で、当時七十九歳の梁田蛻巌に出会ったのでした。

白隠禅師は、この当時の大学者である梁田蛻巌に『荊叢毒蘂』の序文を書いてもらうように依頼しました。

梁田蛻巌は、そこで、『荊叢毒蘂』を読まれたのでした。

序文を書くには、あらかじめ本文の内容を知る必要があります。

すると、この『荊叢毒蘂』の中に、「神社考弁疑を読む」という一文があって、それは林羅山の仏教批判に対する猛然たる反駁であり、 林羅山攻撃の書といってもいい内容でした。

白隠禅師ははじめ「林羅山は実に立派な学者だと思っていた」のですが、羅山の書いた『神社考』を読んで、「大いにがっかりし失望した」というのです。

そこで厳しい批判を書かれたのでした。

当時の林羅山というと、幕藩体制の理論的支柱ともいうべき方でありました。

そんな方を書物で批判することは、とても危険なことでした。

かつて白隠禅師は、その著『辺鄙以知吾』を絶版禁書処分にされるということがあったのでした。

それはこの時からわずか二、三年前にしか過ぎないのです。

しかし、白隠禅師は、自説を曲げることはしません。

「もうとっくに語録は刊行されていていいはずなのに蛻巌が余計なことを言い出すから遅れてしまった」というのです。

『荊叢毒蘂』の出版に協力していた木田種重も、梁田蛻巌がいろいろ言い出すものだから、これを辞退しようとしたのでした。

白隠禅師は、気性の激しい一面もあって、梁田蛻巌の言うことなど気にするなと、弟子の堤州和尚に手紙を書いているのです。

このようないきさつがあるなかで、京都で編集の実務にたずさわっていた提州和尚が、梁田蛻巌に対してどのように対応したかは詳らかではないそうなのです。

言い出したら決して後にはさがらない白隠禅師と、天下の碩学梁田蛻巌との間にあって、ずいぶんと難しい交渉をせねばならない立場にあったのが堤州和尚でした。

ところが、白隠禅師がそんな書簡を提州和尚に出した直後、梁田蛻巌は八十六年の生涯を終えてしまいました。

かくして梁田蛻巌の序文という「日本の禅録としては珍しいケース」は、ついに実現することなく終わったのでした。

そんな出版のいきさつ、師匠と弟子との間柄の話を聞いていて、私もかつて当時の管長足立大進老師が岩波文庫で『禅林句集』を出版するときに、出版社の意向と、足立老師の意志とがくい違って、私はその間で苦労したことを思い出しました。

今となっては懐かしい思い出にすぎませんが、一冊の本を出すには、著者のみならずいろんな方の苦労があるものです。

題字の脇に「含章亭蔵」と書かれているのですが、この「含章」は、元来内に美徳を包んで外に表さないことで、更に、結局はつつみ隠しおおすことはなくいずれはあらわれるという意味があると解説してくださいました。

もっとも「含章亭」という書店があったわけではありません。

これは、林羅山を批判する文章を載せるために、白隠禅師は、「松蔭寺蔵板として私家版にしてもよい」という方便を、編集担当者の提州和尚に具体的に指示していたということなのです。

その為に、「含章亭」という架空の書店の名を用いたのだと芳澤先生は教えてくださいました。

そこでこの「含章」という言葉の「今のところは美徳を内につつんで外にあらわさないが、いずれそのうちに、この美徳はつつみ隠しおおせることはなく、光を発揮し王道を行ずるであろう」といった意味を含ませたというのです。

この『易経』にある「含章」という言葉を用いたのは、「おのれが信ずるところの説を残さずに収録して、断固として公刊するのだという、白隠の強靭な意思と主張を表わしたもの」だということです。

やがて「光を発揮し王道を行ずる」ことになり、『荊叢毒蘂』は私家版にする必要はなくなり、再版以降ではこの扉は消えてなくなったと芳澤先生はご考察されています。

白隠禅師のなみなみならぬ強い思いがあっての上梓だったと分りました。

 
横田南嶺

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