夏期講座終わる
しかも今年は、大笑いのうちに終わることができました。
最後の講師は、三遊亭圓歌師匠でありました。
夏期講座の講師を選ぶのは毎年苦労させられます。
高名な方となると、その先生とある程度親しいご縁がないと、お願い出来かねるのです。
圓歌師匠とは、昨年一度お目にかかることがあって、それ以来のご縁でしかありませんが、今回こころよくお引き受けくださいました。
昨年の四月に東京湯島の麟祥院で村上信夫先生の講座に招かれた折のこと、麟祥院の御老師と話をしていて、お坊さん達の勉強会をするのに、落語の師匠を講師に招こうかと相談していました。
そこにたまたま落語界に詳しい方がいらっしゃったので、どなたかよい師匠はいませんかとうかがうと、圓歌師匠がいいと仰ってくれたのでした。
圓歌師匠というと、私などはすぐに先代の圓歌師匠が思い浮かびます。
落語協会の会長のなさっていた方であります。
中澤家の人々などの新作が知られています。
日蓮宗で出家された方でもいらっしゃいます。
その圓歌師匠は三代目で、今の圓歌師匠は四代目です。
二〇一九年に襲名されています。
昨年の六月に和尚さんたちの研修会で講演と落語をして下さって、拝聴したのがとてもよかったので、今回お願いしたのでした。
講演も落語も笑いに笑う九十分でありました。
こういう時間も大事だと思ったのでした。
もっとも圓歌師匠は、中村天風先生の教えをよく学ばれている方でもあります。
講演の中でも天風先生の哲学にも触れていました。
それから稲盛和夫さんにも傾倒されています。
稲森さんの盛和塾でも学ばれたこともあると仰っていました。
大事なことはお互いの心の持ちようなのであります。
この頃はあまり書店に行くことも少ないので知らなかったのですが、大谷翔平さんの影響で、今中村天風先生の本が人気なのだということでした。
楽しい話に感動したのはもちろんなのですが、私は圓歌師匠の熱意に心打たれました。
渾身の力を込めての九十分なのです。
その日はそれほど暑くなく、涼しいくらいの気候でしたが、汗びっしょりで、着物が濡れているほどでありました。
それほど全身全霊でお話なさるのであります。
終わったあと控え室でお礼申し上げると、師匠はもうグッタリされていました。
それくらいの力の入れようなのです。
その日は、まだ夜に寄席のトリを務めると仰っていましたが、やはりその道のプロは違うなと感動したのでした。
夏期講座もコロナ禍の三年を経て、今回は新たにいろいろな工夫を取り入れてみました。
教学部を中心にいろんな意見を出し合って試みてくれました。
まず思い切って、講師を減らすということをしました。
今まで管長の講座と他に二人の講師にお願いしていましたが、午前中に三人の話を聞くのはたいへんだし、お一人九十分しっかり話をしてもらった方がよいというお若い方の意見があったのでした。
なるほど、それは一理あると思いました。
それでこの度そうしてみたのですが、こうなると、管長の他の一名の講師の選定が重要になります。
しかも時間も九十分となると、しっかり話をしてくれる方でないと、飽きてしまったりします。
幸いにも今回は、初日の岩出雅之先生、二日目の小川隆先生、そして最終日の圓歌師匠と、どの講師も素晴らしいお方で、九十分を長いと感じることは全くありませんでした。
それから、ただ話を聞くだけではなく、体験をしてもらうことも大事だということで、午後からも坐禅や諸堂拝観、祈祷などを設けてみたのでした。
私も三日間午後の祈祷を務めました。
仏殿で、本尊宝冠釈迦如来の前で祈りを捧げるのであります。
大般若経を転読しながら祈祷するという独特のお祈りであります。
大般若経は六百巻ありますが、それを転読といってパラパラめくりながら、その間に般若経の大事な偈文を唱えるのであります。
一巻ごとに「降伏一切大魔最勝成就」と大きな声で唱えて祈祷するのです。
私は導師を務めて、大般若経の第五百七十八巻の理趣文というのを読むのです。
その間に印を組んで真言を唱えたり致します。
祈祷に参加された方がどんな感想を持たれるのかと心配していましたが、私のYouTubeを聞いているという高校三年生の方が参加してくれていて、とても莊嚴な雰囲気で感動したと言ってくれました。
特に私が五体投地を繰り返しながら、大いなる佛に祈る姿に感動したと言ってくれたので、有り難いと感謝しました。
お昼のご飯も和尚さんたちが作ってくれていましたが、これも好評でありました。
禅の布教というは、それぞれの方に坐禅をしてもらうことが大事な目標とされていますので、今回のように坐禅の時間を作ったのもよいことであります。
コロナ禍の前までは毎年愛媛から参加して下さっていた坂村真民記念館の西澤孝一館長夫婦も久しぶりにお見えくださっていました。
閉講式の挨拶では、話を聞いてもお互い八割も九割も忘れてしまいますが、小さなことでもいいので、話を聞いて自分の行いを変えることができれば、それが一番なのですと話しました。
少しでも圓歌師匠のように明るく元気に生きてゆこうと思ったものです。
ともあれ、コロナ禍三年も一区切りして、新たな試みで始まった夏期講座、無事終えてホッと安堵しているところです。
横田南嶺