供養のかたち
久しぶりに出会った良書という思いであります。
先日龍雲寺の細川晋輔老師から、『これからの供養のかたち』という祥伝社新書を送っていただきました。
著者は井出悦郎さんです。
時を同じくして著者の井出さんからも送っていただきました。
お二人から贈呈いただいたとなれば、読まねばならないと思って拝読しました。
まず、冒頭の言葉から引き込まれました。
「2013年9月、生後2ヵ月の長男を亡くして茫然自失だった私は、父の一言にハッとさせられました。
日頃から日本全国のお寺とお付き合いしているのに、お寺に頼るという発想がまったく浮かびませんでした。平時の思考力が失われていたのでしょう。」
という一文であります。
最初の一文というは大きな意味があります。
この一文こそ本書を貫くものです。
過去には、葬儀無用や戒名不要という本も出たことがありました。
これらもまた新しいかたちの葬送や供養について書かれたものでありましたが、読んでみて、どうも現場の意識が欠如しているような思いがしたものでした。
葬儀無用論もありましたが、東日本大震災のような大きな悲しみに遭うと、なんとかして供養してあげたいと多くの方が思ったものでした。
この井出さんの新著は、実際の現場の声から出来ていると感じました。
なんといっても井出さんご本人が深い深い悲しみの中から供養のかたちに気づかれた思いが土台になっているのです。
供養を単なる習俗や、宗教離礼としてみるのでは本質を見失います。
供養には、深い悲しみがもとになっていることを見失ってはなりません。
井出さんは、どんな人かというと、本書の著者略歴に、
「1979年生まれ。東京大学文学部卒業。
東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)、グリー、 ICMG を経て、 2012年に一般社団法人 お寺の未来を設立。
現在、同法人代表理事。 寺院や宗派を対象とした豊富なコンサルティング実績を持ち、 寺院紹介ポータルサイト「まいてら」を運営。
複数の企業の経営顧問も務め、 経営論理と現場の人間心理にもとづく俯瞰的かつ長期的な視座による助言に定評がある。」
と書かれています。
松本紹圭さんと未来の住職塾をなさっていたと覚えています。
今は、一般社団法人お寺の未来の代表理事をなさっているのです。
本書の帯には、
「「供養」を深く掘り進めると
世界の見え方、
人間の見え方が
変わる。」
と大きく書かれていて、
更に
「今、我々の供養のかたちは
過渡期を迎えている。
だからこそ本書の語りが光を放つ。」
という釈徹宗先生の言葉が添えられています。
本書の中には、釈先生の言葉がたくさん引用されています。
オビの裏には、
「一人ひとりの幸せのために
●あなたにとって、先祖はどのような存在で、今後もどのようにつながりたいですか?
あなたは家族など親しい人をどのように送り、供養したいですか?
あなたは死後にどのように送られ、供養されたいですか? そして、どのような先祖として記憶されたいですか?
本書はこれらの思いに答えていきます。」
と書かれています。
カバーの裏には、
「これからの時代にふさわしい供養とは?
供養の形は時代によって変わりますが、故人を偲ぶ思いは変わりません。
著者は、人々と寺院を結ぶポータルサイト「まいてら」を主宰し、現代にふさわしい供養を模索してきました。
すなわち、どのような供養なら家族は納得し、関係者は満足するのか。 血縁、地縁、社縁が廃れていくなか、新しい供養の形とはどのようなものか。」
と書かれています。
更に本書の特色として、
「本書は、「供養の英知を持つ多くの僧侶に力を借り、現代における死者とのつながり、供養という営みについて考察し、一人ひとりに合った理想の供養を実現しようとするものです。」と書かれているのです。
この言葉の通りに、本書には多くの和尚さんの言葉が載せられています。
それぞれの和尚さんは、各ご家庭の深い悲しみに寄り添って来られていますので、どの和尚さんの言葉も実体験に基づいた重みがあるのです。
本書の第一章は、「供養は何のためにある?」という題ですが、
「本来の追善供養はお経やお供物だけでなく、故人と縁のある一人ひとりが「日々を善く生きる」ことにあるという指摘です。
そう考えると、日々を善く生きる人々が供養の場に集い、自らの善行・善意を故人に報告するとともに、祈りを通じて故人に対してこれからも善く生きていくことを誓い、心を新たにしてまた日常に戻っていくという、死者と生者の善き気持ちの交流・循環にこそ追善供養の本義があると言えます。」
と書かれている言葉には深く納得させられます。
また近年、葬儀や供養のかたちが大きく変化しています。
浄土宗の和尚さんの、
「供養の形が多様化し、自由化しています。
時代の流れもあり、自分だけの考えで供養している人が、ふとした時にお寺に来ます。
自分がやっていたことは供養になっていたのかと聞いてきます。
供養という、目に見えない営みを自分だけの考えでやっていると不安になるのでしょう」
という言葉があります。
何かやはりかたちがあることによって、安心感が得られるものです。
井出さんは、
「伝統芸能の世界でも、歌舞伎役者の故第18代中村勘三郎は「型があるから型破り。型が無ければ形無し」という趣旨を繰り返し強調したと聞きます。
伝統芸能と同じく供養も型が重要であり、その型には故人と遺族に安心をもたらす、歴史を超えた叡智が詰め込まれています。
叡智が詰まった伝統的な型を担保する確かな僧侶に相談することによって、遺族の要望や自己表現を適切に儀式に組み込むことが可能になります。
故人への思いを表現する前向きな型破りの供養となることで、記憶に残る満足度の高い供養になるのではないでしょうか。」
と書かれているのは、まさにその通りと思うのであります。
ともあれ、納得させられる言葉や、引用したい文章に満ちあふれた本書です。
長い年月にわたり、いろんなお寺や和尚さんと関わりあって来られた井出さんの取材と編集の力量にも感服します。
今の時代、是非とも読んでおきたい本であります。
横田南嶺