死を覚悟すると…
桶庄というから、桶作りの会社かとおもうとさにあらず、もともとは桶を作っていたらしいのですが、明治五年に創業し、昭和の時代には家庭用設備機器の施工・メンテナンスを手がけ、100年以上にわたって、時代のニーズに合わせてさまざまなスタイルの住まいづくりをしてきた会社です。
リフォーム・リノベーション事業につづき、最近ではリノベーション向きの物件を探す不動産事業も立ち上げ、中古住宅取得からリノベーションまでを一括でサポートし、理想の住まいを数多くご提案しているというのです。
リノベーションとは、リフォームと比べて大規模な建物の改修のことを言います。
佐藤さんは、平成二十三(2011)年、二十九歳の時に桶庄に入社し、令和元(2019)年五月一日に五代目社長に就任しました。
昨年桶庄創業百五十年の年に、『人が輝く森林経営』という本をPHP研究所から出版されています。
対談の前に本書を読みましたが、とても良い本であります。
佐藤さんの赤裸々な体験談が綴られ、熱意あふれる書物です。
創業百五十年というと、佐藤さんは私が勤めている花園大学と同じだと言って下さいました。
あらかじめ私のことも調べてくださっていることが分りました。
一九八二年生まれの佐藤さんは、今年で四一歳になるところです。
老舗の跡取り息子として生まれた佐藤さんは、三十六歳のとき、会長職に退く父に代わって、社長の職に就いたのでした。
「桶庄」は代々、佐藤家が引き継いできた会社です。
本書には、
「「なあんだ、気楽な跡取りのぽんぽんか」と思わないでください。
この「跡取り」という“くびき”がどれほど私を苦しめたことか。
創業者一族の長男に生まれた自分の運命を呪ったこともあります。」
とさえ書かれているのです。
佐藤さんはものごころのつく前から、桶庄の跡取りだと聞かされてきました。
そのことが佐藤さんの人生に暗い影を落とすことになったというのです。
著書には、
「それに「桶庄」は父の代にはどんどん規模を広げていました。
もし「桶庄」が小さな商店だったら、私の代で廃業しても、たいした影響はなかったでしょう。
でも会社組織になり、従業員や取引先もいる状態だと、そういうわけにはいきません。
従業員の生活や人生もあります。
取引先の事業にも関係してくるでしょう。
経営者の責任について自覚するようになるにつれ、「後継者になる」という宿命はひたすらプレッシャーとなって私にのしかかるようになりました。
どうにか継がずに済む方法はないのだろうか。
そんな私の思いにはおかまいなく、強烈な「跡取り教育」を押しつけられて育ちました。
小学生時代の私は、習い事や塾に追われる毎日でした。小学校低学年のころは体操教室、英会話、習字、図画教室に通っていました。習い事だけで平日の放課後の予定はぱんぱんです。
おまけに日曜日はボーイスカウトに行っていたので、休みがほとんどありません。」
という暮らしだったのでした。
浪人して早稲田大学を受験したのですが、落ちてしまい、同志社大学で学ばれました。
大学の終わり頃には、歴史小説や中国の古典の勉強に没頭されました。
紆余曲折があったのですが、大学は中退してしまいました。
大学をやめて両親の住む実家に帰っていたのですが、母から旅に出たらと薦められて、ひとりで全国を旅されました。
著書には、
「でも旅先でいろいろな人と出会い、人情にふれて少しずつ考えが変わりました。見ず知らずの人から優しくしてもらったり、「これ、持っていけ」と食べ物をくれたり、ご飯をごちそうしてくれる人もいました。」
「日本の歴史や地理も含めて、風土、食文化、景観を現地に行って直接経験できたことは、大学の勉強よりよほどためになりました。 正直なところ、日本の本当の美しさは地方にあるのではないかと感じました。」
と書かれていますように良い体験をされたのでした。
転機は、平成二十三年の東日本大震災の年におきました。
震災の情報を毎日見ていてあまりのショックに絶望的な気持ちになったと書かれています。
体重も二〇キロほど落ちてしまいました。
感受性の豊かな社長なのです。
そして首筋の脇に小さなしこりが出来たのに気がつきます。
佐藤さんは、癌で亡くなった友人を思いました。
その友人も首にしこりが見つかって、それが癌と分ってあっという間に亡くなってしまったのでした。
そこで佐藤さんも自分も同じ病気で死ぬと思ったのです。
検査の結果が出るまでの間に、両親と出雲に旅行に出かけました。
今までなら断っていたというのですが、これが最後の家族旅行かもしれないと思って出かけたのでした。
そのときの思いを佐藤さんは著書で
「思えば、私は両親からなんとたくさんの愛情を注がれて、ここまで生きてきたことか。
家族で囲んだ食卓やだんらんのひとときなど、何気ない日常が走馬灯のように思い出され、これでもかと涙があふれて止まりません。
「ありがたい」自然にわきあがってきた感謝の気持ちが胸いっぱいに広がり、私はこの両親のもとに生まれた縁に感謝し続けました。」
と書かれています。
旅行から帰った佐藤さんは死を覚悟して遺書を書きます。
その内容はというと、本書には
「魂とは神さまからお預かりしたもの、そして綿々と続くご先祖さまから手渡されたものです。
私の人生は、みなさまからお預かりしたこの命と魂を今生の荒波の中できれいに磨き高めること。 そしてあの世でみなさまと再会したときどれだけきれいにしてお返しできるか。
『ここまできれいにしてきました』 とご報告するためにある。
もし今回死なずに生き残れたら、お預かりした魂をここまで磨いてまいりましたと胸をはってご報告し、お返しできるような生き方をいたします」
と書かれています。
そして佐藤さんは「書きながら、私は「魂を磨き高めるとはどういうことか」を考えていました。それはおそらく私利私欲のためではなく、誰かのために生きることなのではないかと考えました。
どうやったら、誰かのために生きられるのか。
遺書を書き終わったあとも、ずっと「魂を磨くとは? 人のために生きるとは?」と考え続けてきました。」
というのです。
そしてその問いに対する当時の自分の答えが、「桶庄」の企業理念となってゆくのであります。
幸いにも佐藤さんは癌ではありませんでした。
しかし、死を覚悟した佐藤さんは、大きな心境の変化を体験されたのでした。
桶庄の企業理念は、「すべては、私たちの笑顔のために」というものです。
本書には新進気鋭の社長である佐藤さんの桶庄に対する熱い思いが綴られています。
対談していてもとても爽やかで素晴らしい方だと感じました。
これからもきっと発展してゆかれることだと思ったのでした。
死を覚悟すると人間は大きく変わるのだということを改めて思った対談でした。
横田南嶺