臨済禅師は何を悟ったか
仏法的的の大意とはと質問しました。
ところがその質問も終わらないうちに黄檗禅師に棒で打たれてしまいました。
それも一度ならず三度までも打たれてしまいました。
失意のうちに黄檗禅師のもとを去って、大愚和尚を訪ねました。
大愚和尚から、黄檗はこの頃どんなことを教えているかと問われて有り体に答えました。
大愚和尚は、ことの子細を聞いて、黄檗はなんとそれほど老婆のような心遣いでお前のためにくたくたになるほど計らってくれたのかと言いました。
この言葉を聞いて臨済禅師も気がついたのでした。
それが黄檗の仏法多子無しという言葉になりました。
黄檗の仏法は実に端的だったのだということです。
よけいなことも何も挟まずに端的を示してくれていたと分ったのでした。
では何に気がついたのか、それを学ぶには馬祖禅師の教えを知ることが大切であります。
六祖慧能禅師から南嶽懷譲禅師、南嶽禅師から馬祖道一禅師、馬祖禅師から百丈慧海禅師、百丈禅師から黄檗禅師、黄檗禅師から臨済禅師へと教えは受け継がれています。
馬祖禅師の言葉に、
「汝ら諸人、各おの、自心是仏、此の心即ち仏、と信ぜよ。
達磨大師、南天竺国より中華に来至し、上乗一心の法を伝え、汝らをして開悟せしむ」というのがあります。
馬祖禅師の教えというのは、
「あなた方よ、各自このように信じることだ、
自己の心が仏だ、この心こそが仏なのだ、と。
達磨大師は南天竺国から中国にやって来て、 この素晴らしい一心の法をお伝えになり、諸君にこのことを悟らせようとされたのだ」ということなのです。
馬祖禅師の教えを小川隆先生の『禅思想史講義』にある現代語訳を引用させてもらいます。
「道というものは努めて修めるものではない。汚してはならぬ、ただそれだけだ。
では「汚す」とは何か。
生死にとらわれた心、道を修めようとする作為、あるいは道に向かおうとする目的意識、それら一切がすべて「汚す」ことである。
もしずばりと道そのものを会得したいなら、ふだんのあたりまえの心「平常心」―それがそのまま道なのである。
ならば「平常心」とは何か。
それは、作為なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡聖の対立なきものである。
それで『維摩経』不思議品にも「凡夫の行でも聖賢の行でもなく、菩薩の行なのだ」と説かれている。
正しくただ今の一挙一動、諸もろの事物への対応ー行住坐臥、応機接物ーそれらがすべてそのまま道なのであり、その道がすなわち法性なのである。
ひいては無数無限のすばらしきはたらきも、すべてこの法界を出ないのであり、そうでなければ、「心地法門」も「無尽灯」も、あったものではないのである。」
というものです。
そもそも臨済禅師が質問しようとした仏法の大意も、ことさらに求めるものではないというのです。
仏道は修めるべきものではないというのです。
あたりまえの心、ありのままの心、それを馬祖禅師は 「平常心」といいました。
それがそのまま道なのであり、仏法そのものなのです。
いま現にやっている行住坐臥という行いはすべて仏法そのものの現われに他ならないのです。
呼ばれて答える、お茶が出ればお茶をいただく、今の暮らしであれば、電話がなれば電話にでる、お客がくれば応接する、それらみな悉く仏道なのです。
何か特別仏道なるものを想定することや、仏法という尊いものがどこかにあると思う事がそもそも迷いの大本なのです。
そこで、黄檗禅師は、実に端的にあなたそのものの身に仏法の大意はすべて露わになっているのに、なぜわざわざ人に問う必要があるのかというところなのです。
そこであなた自身だと言って端的を示して棒で打ったのでした。
小川先生は『禅思想史講義』のなかで、馬祖禅師の基本的な考えを
「即心是仏」、
「作用即性」、
「平常無事」の三点に整理してくださっています。
これらは実際にはひとつの考えであります。
小川先生は、
「すなわち、自己の心が仏であるから、活き身の自己の感覚・動作はすべてそのまま仏作仏行にほかならず、したがって、ことさら聖なる価値を求める修行などはやめて、ただ「平常」「無事」でいるのがよい、と。
本来性と現実態を無媒介に等置し、ありのままの自己をありのままに是認する、それが馬祖禅の基本精神であったと言えるでしょう。」
と説いて下さっています。
本来性というのは本来仏であることを言います。
本来仏であることは大乗仏教では共通の教えであります。
本来仏でありますが、現実態はそうではなく、煩悩があり妄想にまとわれているのです。
そこで煩悩を取り除こうという修行が重視されたりするのです。
しかし、馬祖禅師は、なにも媒介無しにそのまま仏だと説くのです。
真言密教などでは、どうしても三密加持ということが大事になっていると思います。
手に印を結び、口に真言を唱えて、心に仏を観想してこそ、仏とひとつになることができるというものです。
なかなかそのまま仏という教えは、当時の仏教界でもかなり異端視されていたのではないかと察します。
しかし、この教えは臨済禅師にも継承されました。
『臨済録』には、次のように説かれています。
岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の訳を紹介します。
「君たちの世間では、仏道は修習して悟るものだと言うが、勘ちがいしてはならぬ。
もし修習して得たものがあったら、それこそ生死流転の業である。
また君たちは、六度万行をすべて実修するなどと言うが、わしから見れば、みんな業作りだ。
仏を求め法を求めるのも、地獄へ落ちる業作り。
菩薩になろうとするのも業作り、経典を読むのもやはり業作りだ。
仏や祖師は、なにごともしない人なのだ。だから、迷いの営みも悟りの安らぎも、ともに〈清浄〉の業作りに他ならない。」
というのであります。
なかなかそのまま何もしなくても仏というのは却って難しく、またそのまま鵜呑みにしても困りもので、馬祖の禅は批判されるようになってゆきました。
我々臨済の禅を学ぶ者も、臨済禅師ご自身のようにまずは戒律を学び、仏教学も学んで、更に行業純一に修行してゆくことを大事にしているのであります。
その上で、なにも余計なことをすることはない、そのままで仏だという境地が開けるのであります。
横田南嶺