河の水を飲み干せ
ご講演の中でも何度か私の名前を出してくださって恐縮しました。
ご講演で小川先生は、
「禅宗は坐禅して悟りを目指す宗教として紹介されていることが多い。
しかしそれは正しくないと考えている」と指摘されていました。
どういうことかというと、まず「坐禅は禅宗の特徴とは言えない」というのです。
そもそも坐禅は仏教全体において重要です。
禅においても確かに重要でありますが、禅の枠組みの中に坐禅があるわけではないのです。
坐禅というのは仏教に限らずお釈迦様以前から行われていたものであって、それを禅宗の特徴というのは、ふさわしくないというのです。
それはあたかも日本人の特徴はと聞かれて一日三回ご飯を食べることだと答えるのと同じことだと分りやすくお話下さっていました。
こういう分りやすい譬だけを私などは覚えているものです。
一日三回ご飯を食べるのは、大部分の日本人にあてはまり重要なことだけれども、それを日本人の特徴とはいえないというのであります。
それから、悟りを目指すと言われますが、確かにいかにして悟るかということも説かれているけれども、それは禅の語録に説かれている半分なのだとご指摘くださいました。
大事なのは、悟ったあとにいかに悟りを忘れ去って普通に生きるかという問題を追及していることだというのです。
悟ったあとは、お腹が減ったらご飯を食べ、くたびれたら眠るという日常の暮らしにもどります。
しかし、決してぐーたらしているわけではありません。
禅寺の規則である清規に則った暮らしをしています。
インドの規則と違うのは、インドでは、労働はしないで、施しだけをいただいて暮らしたのですが、中国では、山の中では托鉢だけでは暮らせないので、自ら耕作しはたらいて暮らしました。
禅の修行においては生産労働、肉体労働が大切にされました。
生活の宗教、勤労の宗教です。
禅の修行は、深山幽谷で瀧に打たれたりするというような特別のことをするのではなく、掃除をしたり畑を耕したり、日常の暮らしなのです。
日常の暮らしが仏道において営まれ、仏道は日常生活を通じて表現されるのです。
生活の仏道化、仏道の生活化という特徴が禅宗にあるというように、実に禅の特徴を分りやすく説いてくださっていました。
そして、小川先生は、
「お茶の世界と禅の接点はそこにある」というのです。
日常のあたりまえの営みに仏道があるわけで、その日常を表現するのに
「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてゝ」という言葉が用いられています。
そこから小川先生は『南方録』にある言葉を紹介されました。
『南方録』 覚書
「小座敷の茶の湯は、 第一仏法を以て、修行得道する事なり。
家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事なり。
家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり。
これ仏の教、茶の湯の本意なり。
水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてゝ、 仏にそなへ人にもほどこし、吾ものむ 花をたて香をたく。
みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶなり。」
という言葉であります。
この「水を運び、薪をとり」という言葉が、中国の禅者龐居士の漢詩がもとになっています。
日用の事は別無し 唯だ吾自ら偶ま諧うのみ 頭頭取捨に非ず 処処張乖没し
朱紫誰か為に号せん 青山点埃を絶す 神通井びに妙用 水を運び及た柴(まき)を搬ぶ
という漢詩を小川先生は
日々の営みに格別の仔細は無い
ただひとりでになじむだけ
ひとつひとつのことに選り好み無く
到る処くいちがいも無い
朱の衣紫の衣とどなたさまのさずける位やら
この青き山はさような塵埃とはまるで無縁
わが神通妙用はと問われれば
ほれこのとおり 水を運び柴を運んでゆくばかり
と実に見事に現代語訳されていました。
龐居士は、後に馬祖禅師に参禅されました。
そこで龐居士は、馬祖禅師に、
「万法と侶と為らざるは、是什麼人ぞ」と問います。
これを小川先生は、一切の事物事象を超越するものはなにものかと訳されていました。
祖云く、「你の一口に西江水を吸尽するを待ちて、 即ち汝に向いて道わん」。
馬祖は、あなたが西江の河の水を一息に飲み尽くしたら言ってあげようと答えたのでした。
日本でしたら、利根川の水をひとくちに飲み尽くしたらという意味合いであります。
ここで居士は悟ったのでした。
そのとき作った偈が
十方同に聚会(つど)い 箇箇無為を学ぶ
此れは是れ選仏場 心の空に及第して帰る
というものです。
小川先生は
都の試験場さながら諸方から俊秀がつどい みなそれぞれに道を学ぶ
ここ馬祖の道場は 「選官」 ならぬ 「選仏」 の場
科挙ならぬ 心の 「空」に及第して いざ本来の家郷に帰るのだ
と訳してくださっていました。
この問題から小川先生は、柴山全慶老師の『禅心茶話』から老師の言葉を引用されて説いて下さっていました。
「言い伝えによりますと、利休居士は古渓和尚から、この「一口に西江の水を吸尽する」という問答を、公案として与えられ、日夜この公案によって参究し、幾度も幾度も師の痛棒を喫しつつ精進し、ある時ふと、この一関を打破することができた、そこで、その心境を、「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も、心なければ苦しみもなし」
と一首の和歌に詠じた、というのであります。
もちろんこれは、文献的な証拠がありませんので、信を置くに足らぬことではありましょうが、何だか作意のあとが感じられるようで、あまりに出来すぎの伝説ではないかと存じます。」
ということなのです。
利休のことについて私は詳しく学んだことはありませんので、大いに参考になりました。
私も書架にある、柴山老師の『禅心茶話』で確認しました。
そのあとに更に柴山老師は次のように書かれていました。
「また、この「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も、心なければ苦しみもなし」の一首は、利休居士の作ではなく、禅の師である古渓和尚が、公案として居士に与えたものであり、 居士はこの公案によって禅の初関を透過した、という口碑を耳にしたことがあります。」
というのであります。
柴山老師は、
「 「一口に西江の水を吸尽する」境地こそ、禅の喫茶の真髄であり、茶人さんたちの行ぜられる茶席の三昧であると存じます。そうしてまたその三昧に、 寒熱の対峠を超える「心なければ苦しみもない」 自由と清涼さがあるのであります。」
と説かれています。
小川先生のご講義では、大徳寺の系統の老師方によって、この「西江水」の公案がよく用いられていた例を示してくださっていました。
利休が西江水の公案に参じて悟ったと言われるのは、西江水が龐居士に関わる問題であることから利休も居士であることと、当時の禅の修行において西江水の公案がよく用いられていたことからだということでした。
かなり難しい内容の語録なのですが、原文を中国語で読まれて、更に折々に分りやすい喩えを挟み、時時笑いを誘いながら、話してくださいますので、とても楽しく拝聴できるのであります。
さて、河の水をどのようにして飲み干しましょうか。
横田南嶺