星覚さん来たる
五月の大摂心の最中でありました。
お迎えにでると、法衣姿の星覚さんが、頭に白いタオルをまいて、大きなリュックを背負って歩いて来られました。
はじめて星覚さんにお目にかかったのは、もう今から十年前になります。
たまたま大船駅の書店で、星覚さんが書かれた本を見つけて読んだのがご縁のはじまりでした。
その本は、『坐ればわかる』というものでした。
サブタイトルは、「大安心の禅入門」。
オビには、星覚さんの美しい坐禅姿の写真に、「永平寺で修行、ベルリンで大人気の若き禅僧が説く」「心配しても大丈夫 心配しなくても大丈夫 迷いが迷いでなくなる!」と書かれています。
著者略歴をみると
「星覚(せいがく)
1981年生まれ。鳥取県出身。慶應義塾大学卒業後、大本山永平寺にて三年間の修行を経て、現在はベルリンの道場を中心に、坐禅指導や禅の作法を伝えている。妻子あり、アパート暮らし、ごく普通の都市生活の中で禅の実践を続けている。」
と書かれています。
この本の出版が二〇一三年でしたので、当時はまだ三二歳であります。
三十二歳で、「坐ればわかる」と言えるとは、これはたいした方だと思ったのでした。
私などは、坐れば坐るほど分らなくなるというのが実感であります。
こんな青年僧に一度お目にかかってみたいと思っていたら、私の知人が星覚さんのことをご存じで、お目にかかることができたのでした。
その後何度かお目にかかっていましたが、久しぶりに先日訪ねてきてくれたのでした。
星覚さんがどんな人かというと、『坐ればわかる』には、次のように書かれています。
一部を引用します。
「私は、鳥取県で教師をしている両親のもと、二歳違いの姉とごく普通の家庭に育ちました。
大学を卒業するまで、自分が雲水になることなど想像もしていませんでした。
お金中心の現代社会のあり方に疑問を感じることはありましたが、かといって他に生き方があるなんて全く考えたこともありませんでした。」
というのですから、ごく普通のご家庭にお生まれになったのであります。
その後、俳優もなさっていたと聞いています。
著書には、
「そのうちふとしたきっかけから、出家をする機会を頂きました。
ちょうど苦しんでいて不安と恐怖でおしつぶされそうだった時期でした。
疑問を抱いたままで暮らし続けるのに限界を感じた私は、永平寺という禅寺で修行をすることにしたのです。」
と書かれていますように良きご縁に出会われたのでした。
そして永平寺で三年間修行されたのです。
『坐ればわかる』には、永平寺の修行を次のように書かれています。
「永平寺といえば、厳しい修行。みなさんは、そんなイメージをお持ちだと思います。
私も実際に経験するまでは、一般の生活とは程遠い、それはそれは厳格なものだと思っていました。
しかし、山で過ごした三年間は私にとって、抜群に楽しいものだったのです。」
と書かれています。
同じ修行をしても苦痛としか感じない人もいるでしょうし、星覚さんのように「抜群に楽しいもの」と受けとめる方もいらっしゃるのです。
今も元気で楽しそうに坐禅をなさっている星覚さんの秘訣は、こんなところにあるように思います。
「今まであたり前のように見えていた日常生活が心をゆさぶる美しい情景として感じられます。
娑婆では面倒な雑用程度に思っていた掃除や食事の一挙手一投足までが新鮮に輝きだし、まるで毎日が元旦のような清々しさです。」
といって、そこで永平寺に入って初めていただいたお粥のことについて書かれています。
こちらも『坐ればわかる』から引用させてもらいます。
「それは、上山して初めての朝から始まりました。お粥を食べた私は仰天したのです。
「こんなにうまいものを食べたことがない!」
私には「世界一うまい」というのがどういうことなのか、全くわかっていませんでした。
お粥なんて風邪を引いた時に食べるものくらいにしか思っていなかったのです。
それが、姿勢を正して祈りを込め、空腹を押し殺して作法通りに食べるとどうでしょう。
それまで食べたどんな豪華な料理より、身に染みておいしいと感じられる。
「世界一の料理」は私から独立して存在し、私にうまさを提供してくれるものではありませんでした。
私と料理、双方が歩み寄る世界で、その瞬間の中にこそ、おいしさがあったのです。」
と書かれています。
素晴らしい感性だと思いました。
私などは、恥ずかしながら初めて修行道場に入ってお粥をどう感じたのか、全く覚えがありません。
ただ夢中でいただいていただけでありました。
このように一杯のお粥に感動する心があるから、禅の素晴らしい作法などを今も多くの方に伝えていらっしゃるのだと思います。
しかし、現実には、奥様もお子様もいてどのようにして暮らしているのか気になるものです。
その点について、『坐ればわかる』には次のように書かれています。
「結婚して子供を授かり、海外に住むようになってからもやることは変わりません。毎朝坐禅をして禅の作法通りに暮らしています。
それから五年が経ち、お金のために働いたり突出した能力を身につけなくても、不安なく幸せに生きられることを確信しました。
「どうやって食っていけばいいのか?」という問いに対して、中国から禅を日本に伝え、越前(現在の福井県)に永平寺を建てた道元禅師は、
人皆生得の衣食有り。思ふによりても出来らず、求めずとも来らざるにあらず
(『正法眼蔵随聞記』)
人は各々、一生に備わった衣食がある。
思い悩んだからと言って出てくるものでもなく、手に入れようとしないとやってこないというものでもないと答えています。
禅は、右か左かを選ぶ必要はありません。両方同時に歩む道です。
「心配しても食べていけるし、心配しなくても食べていける」 この大安心の原則を身体が理解したとき、迷いが迷いでなくなります。」
と書かれているのです。
そんな気持ちでいると、不思議となんとかなってゆくのでしょう。
松本紹圭さんと対談していた折に、松本さんが「産業僧」のことを話してくださいました。
産業医があるように、産業僧も必要なのではというのが松本さんの発想です。
お坊さんを企業に派遣して、そこに唯居るというのです。
ただそこではたらく人と対話するのです。
目標に追われ、どんどん生産性や業績の管理も厳しい中ではたらく人たちが、それとは全く違う価値観で、ゆったりした時間で生きている僧と対話することによって、何か新たなものが生み出されるのだと思います。
そんな産業僧に、星覚さんをお願いしたのだと言っていました。
その話を聞いて、星覚さんのような方なら、その場にいるだけで、会社の雰囲気が変わるのではと思ったのでした。
最近は、福岡県にもお住まいをもっているようで、ベルリンと行き来しているとのことでした。
午後から都内で坐禅会の予定のところ、あれこれとお話させてもらいました。
変わることなく、すがすがしい星覚さんでした。
こういう方に接するだけで、こちらも願心を思い起こし、一層坐禅に励むことができます。
横田南嶺