一二三四五 – 天地のいのちに気づく –
もう一度、おさらいしておきましょう。
道元禅師が数え年二十四歳のときに、真実の仏法を求めて宋の国にわたられました。
当時はまだ命をかけての航海でありました。
どうにか、明州慶元府の港にたどり着いたのでした。
まだ上陸の許可がおりずに、船の中にとどまっていた時のことです。
阿育王山から道元禅師の載っている船に日本のシイタケを求めてやってきた僧がいました。
四川省の郷里を離れて四十年、もう六十一歳になり、阿育王山の典座という修行僧の食事を支度する役目を務めておられたのでした。
明日は五月五日の節句にあたるので、僧たちにうどんをご馳走しようと思って、その汁をつくるのにシイタケを求めてきたのでした。
道元禅師は船室に招いて、お茶を差し上げて、いろいろな話をうかがいました。
会話がはずむうちに時が過ぎて、典座和尚は育王山に帰ろうとします。
道元禅師はそれを引き留め、宿泊をすすめます。
道元禅師は、「あなたはいいお年なのになぜ、坐禅をして古人の公案を参究するというようなことをせずに、典座のような職についてみんなの為に食事の用意をしたりしているのですか。何かよいことがありますか」と聞きました。
すると、典座和尚が呵々大笑して、「あなたは外国からみえた立派なお方であろうが、文字のこともおわかりにならない。或いは弁道ということもまだわかっておられないらしい」と言いました。
さすがの道元禅師も、ぴしゃっとやられたわけです。
道元禅師は非常に恥しい思いをして、びっくりしてたずねた。
「文字とはどういうことか、弁道とはどういうことでしょうか」と聞くと、
「あなたの問うところを間違いなく進んでいかれたなら、立派な人におなりになるだろう」と言われたのでした。
道元禅師も、その時にはよくわからなかったのでした。
すると典座和尚は、「もし、まだおわかりにならなかったら、後日育王山に来てくだされ。その文字の商量、問答もいたしましょう」と言って帰って行ってしまった、という話でした。
さて道元禅師は、その典座和尚と再会することになったのでした。
船上で育王山の典座和尚に会ってから後、道元禅師は、ようやく天童山に行って修行をなさっていました。
ある時、 その典座和尚が天童山にたずねて来てくれたのでした。
七月の半ばには安居が終わりますので、僧たちは行脚ができるようになります。
そこでその典座和尚も「夏安居が終ったら故郷に帰るので、あなたがここにいると聞いてお目にかからずにはいられないと思って来ました」と言うのでした。
阿育王山から天童山へはそれほど遠くないのであります。
異国の地にあって、自分のことを覚えていてくれて尋ねてきた典座和尚に道元禅師は大いに喜びました。
そして、あの船の中での問答を思い出してさらに問いました。
文字とは何か、弁道とは何かという問題であります。
かの典座和尚は 「文字を学ぶ者は、文字の所以を知らなければならない、弁道を学ぶ者は弁道の所以を体現することが必要だ」と言いました。
要は文字や弁道ということの真実を知ることが大事だというのです。
そして道元禅師は尋ねました。
「如何にあらんか是れ文字」
典座和尚は答えました。
「一二三四五」
道元禅師は聞きました。
「如何にあらんか是れ弁道」
典座和尚は答えました。
「徧界曽て蔵さず」と。
「文字の真実」は、「一二三四五」と言っています。
これは何も特別なものではない、どんな子どもでも知っているものです。
日常のいたるところで使っているものです。
ここについては、余語翠厳老師は『いたるところ道なり『典座教訓』講話』に次のように説いてくださっています。
「文字というのは天地のいのちのことを言うわけです。」
と実に端的に示してくださっています。
「一二三四五」に天地のいのちがあらわになっているのです。
「徧界曽て蔵さず」の徧界というのは、全部、世界中、どの物もこの物もすべてを言います。
余語老師は「百草頭上無辺の春」と示されています。
「春になると色とりどりの花が咲いている。
その花の上に無辺の春が現じておるのです。
白い花、赤い花、紫の花、全部が天地の春を現じているのです。
それと同じように、お互いさまも天地のいのちをこういう授った姿で生きているのです。
そうは言っても、いろいろ気に入らんこともあるじゃろうが、その気に入らんということが人間の手垢じゃ。
いつも言うように、この顔は注文して作られたものじゃないのです。
気に入っても気に入らんでも仕方ないでしょう。
そりゃあ、比べてみたら気に入らないところはいっぱいあるでしょうが、こういう姿の自分がここにいるという安心ができたら、それはもう安心です。
恥しくもなんともないはずです。自慢でもなんでもないはずです。
天地のいのちを、このような姿で生きているということが、偏界曽て蔵さずです。みな、ありとあらゆる物はすべてそのままで真理です。
そのままの姿が天地の姿です。」
ということなのです。
真理は、到る処にあらわになっています。
余語老師は、この「一二三四五」と「徧界曽て蔵さず」と、
「この二つの答えは同じことを言っているわけです。
どれもこれも、そのまま天地の現成です、真理です。
人間のはからいは迷いの最たるものです。
道元さんは典座和尚のお陰でそういうことがわかったというわけです。」
と解説してくださっています。
道元禅師は、「私がいささか文字を知り、弁道を了得するのは、この典座和尚の大恩であります。ここまでのこれらのことを先師明全和尚にお話すると、とてもお慶びになりました」と書かれています。
明全禅師というのは、道元禅師が京都の建仁寺に訪ねて行かれた時に栄西禅師の高弟として建仁寺に居られた方です。
道元禅師はその方について修行をしてから、一緒に船に乗って宋に渡られたのでした。
余語老師の著書には、
「どの場所もどの場所も、人間の正念場であるわけです。
すべてそうなのです。
こっちの方がよくて、あっちの方がよくないというように、よりごのみ、つまみ食いをしているから、ものがわからん。
どこもここも人間の正念場です。
生まれてから死ぬまで、全部正念場の連続です。
今日こそ正念場だ、などと思っているからわからんのです。
これだけは違うというところはないのです。」
と端的を示してくださっています。
真理はいたるところに現れています。
なにも袈裟をつけて坐禅している時や、経典語録を学ぶ時だけではないのです。
炎天下にシイタケを干すのも、シイタケを求めて港まで買いに行くのも、台所でお料理するのも皆弁道、仏道そのもの、真理があらわわになっているのです。
天地のいのちがあらわになっていることに気づいて堂々と行うのです。
横田南嶺