弁道とは? – よく自分のことをつとめる –
典座は、禅寺で食事を司る役職です。
時系列でいうと、昨日の話の前の話になります。
『典座教訓』では、昨日の話の次に出ているものです。
これは、嘉定十六年といいますから、西暦一二二三年道元禅師二十三才のときのはなしです。
宋の国に行こうとして、慶元府の港に着いて、船の中に滞在していたときのことです。
上陸の許可がおりるまで船の中にとどまっていたのです。
その時に一人の老僧がやってきたという話です。
その老僧すでに六十歳くらいといいます。
船長さんに尋ねて日本のシイタケを買っているのでした。
日本からシイタケを輸出していたのでしょうか。
そこで道元禅師は、その老僧をご自身の船室に招いて、お茶を差し上げてあれこれお尋ねしたのでした。
老僧に「どこに居られるのですか」と問うと、老僧は「阿育王山の典座をやっている者だ」と仰いました。
そしてご自身のことを「私は西方、四川省の出身で、故郷を離れてから四十年になります。年は六十一歳になります。
今までにだいたいの諸方の修行道場をまわって参りました。
先年、育王山を訪ねて掛搭しましたが、うろうろしていたずらに日を過ごしてきました」というのです。
去年の夏の安居が済んだときに、阿育王山の典座の職についたのです。
そして、明日は五月五日、端午の節句なので、食事を司る者として、修行僧達に何かご馳走したいと思ったといいます。
ご馳走といっても、うどんを振る舞おうと思ったのでした。
修行道場では、うどんがご馳走なのであります。
そこでうどんを作ることにして、その汁を作るのに、椎茸がないので、こうしてわざわざ特別に買い求めにやって来ましたというのでした。
「そしてあちこちから来る雲水衆に供養するつもりです」というわけです。
道元禅師が「いつ出てこられたのですか」と聞くと、「お昼過ぎに出て来ました」といいます。
「育王山はここからどのくらいの道のりがありますか」と聞くと、 典座和尚は 「三十四、五里」と答えました。
今でいえばだいたい一九キロくらいでしょう。
「いつお帰りですか」と聞くと「今、椎茸を買ったらすぐ帰ります」というのです。
歩けない距離ではありませんが、お昼を食べてから出てきて、すぐに帰るというのはたいへんなものです。
昔の人はそれくらい歩いていたのです。
そこで道元禅師が、
「今日はからずもお目にかかって、こうして船の中でお話もできました。まことに好因縁と思います。 私が典座老師をご供養いたしたいと思います」と言いましたら、 「そうもいきません。明日の供養を私がやらなければよくないのです」と言います。
そこで、道元禅師は「お寺にはあなたと同じ典座の仕事をできる人がいるでしょう。和尚が一人いなくても、少しも困ることはないでしょうに」と言ったのですが「私は年をとってから、この職につきました。 年とってからの弁道です。他人に代わってもらうことはできません。ですから泊っていくわけにはいきません」というのです。
さて、ここで「弁道」という言葉が出てきます。
お弁当の弁という字です。
辛いという字を二つ書いてその真ん中に、リットウを書く場合、言うという字を書く場合、それから瓜を書く場合、そして力を書く場合とがあります。
今はすべて弁当の弁の字になっていますが、四種類はあるのです。
リットウを書く場合は、分ける、さく、分別するという意味です。
弁別するという場合がそうです。
言うを書く場合は、言葉で治める、ただす、あきらかにするという意味があります。
弁護とか弁舌という場合がそうです。
瓜を書くのは少ないのですが、瓜の種や花びらという意味です。
我々が法要で用いる弁香というのがありますが、これは形が花弁に似たお香を言います。
それから、力を書く場合は、つとめるという意味なのです。
余語翠厳老師の『いたるところ道なり『典座教訓』講話』には、
「この辨という字は中がり(りっとう)になっていますが、更に元の字は中が力で、つとめるという意味の字です。辦道すなわち道を辦(つと)めるという意味になります。
自分のことをつとめることをいうのです。ですから弁道のほんとうの意味は、さがすということではなく、一足一足つとめていくことをいうのです。
探してそこに何かあるというのではないのです。
この字の意味をよくわきまえておいてもらうとわかるのですが、弁道というのはよく自分のことをつとめるということです。」
と解説して下さっています。
「年をとってからの弁道です」と言われた道元禅師は、更に言いました。
「あなたはいいお年なのになぜ、坐禅をして古人の公案を参究するというようなことをせずに、典座のような職についてみんな為に食事の用意をしたりしているのですか。何かよいことがありますか」と聞きました。
すると、典座和尚が呵々大笑して、「あなたは外国からみえた立派なお方であろうが、文字のこともおわかりにならない。或いは弁道ということもまだわかっておられないらしい」と言いました。
さすがの道元禅師も、ぴしゃっとやられたわけです。
道元禅師は非常に恥しい思いをして、びっくりしてたずねました。
「文字とはどういうことか、弁道とはどういうことでしょうか」と聞くと、
「あなたの問うところを間違いなく進んでいかれたなら、立派な人におなりになるだろう」と言われたのでした。
さすがの道元禅師も、その時にはよくわからなかったのでした。
すると典座和尚は、「もし、まだおわかりにならなかったら、後日育王山に来てくだされ。その文字の商量、問答もいたしましょう」と言って帰って行ってしまった、という話です。
余語老師は、
「弁道とか修行とかいうことを何か遠いところに別物があるように思って、そこへそれを探しに行くことのように思っているのですね。
ですからお勝手の仕事をしているのは修行だと思えないわけです。
今でも一般的には、つまらないお勝手仕事などは合理的に片付けておいて、という考え方が多いのではないのですか。 身が入っておらんわけだ。
そんなことでは店屋物とって済ませておけということになるわけです。
そういうことではないのです。どれもこれも非常に大事なことなのです。」
と説いてくださっています。
簡単なことのようで、奥深いものです。
私などもこういう話を頭で理解したつもりでも、まだまだ十分ではなく、いろいろと回り道をしてきたものです。
さて、この典座の和尚と道元禅師は、天童山で再会することになります。
そしてその時に問答をしています。
それはまた明日に致しましょう。
横田南嶺