再認識した布薩の意義
布薩は、ウポーサタというサンスクリットが原語であります。
その言葉のもともとの意味については、岩波書店の『仏教辞典』に、
「火もしくは神に近住する意」と解説されています。
そして「婆羅門教(ばらもんきょう)の新月祭と満月祭の前日に行われた儀式を仏教に取り入れたもの」という説明もあります。
仏教は、バラモン教を否定して起きた一面もありますが、影響も大きいものがあります。
布薩は、半月に一度、定められた地域(結界)にいる比丘(出家僧)達が集まって、波羅提木叉という戒律の条文を誦して自省する集会のことです。
円覚寺においても毎月に二回行っています。
三帰戒、三聚浄戒、十善戒、十重禁戒を読んでお互い自らの心に反省しているのであります。
『仏教辞典』によると、その布薩が、
「のち、月に六回、六斎日(ろくさいにち)に在家信者が寺院に集まって八斎戒を守り、説法を聞き、僧を供養する法会が盛んになり、これも<布薩>と称するようになった。」
となってゆくのです。
八斉戒というのは、在家信者の守るべき五戒がもとになっていて、
不殺生(ふせっしょう)
不偸盗(ふちゅうとう)
不邪婬(ふじゃいん)
不妄語(ふもうご)
不飲酒(ふおんじゅ)
の五つにくわえて、
「装身具をつけず歌舞を見ないこと、
高くて広いベッドに寝ないこと、
昼をすぎて食事をしないこと、」
という三つをくわえて八斉戒となるのです。
六斎日というのは、一カ月の内、八日、一四日、一五日、二十三日、二十九日、三十日を言います。
ですから、もともと仏教の在家信者は、一月のうち、六日はお寺に行って、この戒を守っていたのです。
今、思うと、今のお坊さんよりも戒を意識して暮らしていたのではないかと思います。
古い文献に、「月ごとの十五日・三十日に寺々に布薩を行ふ。鑑真和尚(わじやう)の伝へ給へるなり。和上はもろこしの揚州の竜興寺の大徳なり」とあります。
布薩は、奈良時代の鑑真和上から各寺で行われていたことがわかります。
さて、この「布薩」を漢語で訳したのが「斎」なのであります。
「布薩」は音写といって、音を当てただけです。
中国の言葉として「祭祀を行う前に飲食や行動を慎んで身心を清めること」を「斎」と言っていたので、この言葉を訳に当てたのであります。
そこで、斎は布薩でありますから、一カ月の内、八日、一四日、一五日、二十三日、二十九日、三十日の六斎日に、お寺に参って、説法を聞いて、そしてお坊さんに食事を供養していたことから、転じて正午の食事を意味するようになったのであります。
それが「やがて仏事に供される食事一般をも<斎(さい)>と呼ぶようになり」ました。
ひいては、「僧に食事を供する法会である<斎会(さいえ)>などが成立した」と『仏教辞典』に解説されているのです。
現代では、「斎」は「とき」とも読み、食事の意で用いられているのです。
『広辞苑』で「斎」を調べてみても、
「①〔仏〕
㋐(清浄の意)罪を懺悔すること。
㋑三業を斎(つつし)むこと。
㋒正午をすぎて食事をしないこと。
㋓仏事の時の食事。とき。
②雅号などに付ける語。」
と説明されているのです。
注目すべきは、仏教語として一番目に、「罪を懺悔すること」があげられているのです。
これはまさしく「布薩」であることを表しています。
それから「三業を斎(つつし)むこと。正午をすぎて食事をしないこと」というのは戒を守ることを意味しています。
『広辞苑』の解説は実に正確なのです。
そのあとに、「仏事の時の食事」という意味があるのです。
しかしながら、『仏教辞典』にも、
「布薩説戒会が衰退すると共に正午の食事の意で用いられることが多くなり、布薩の意に用いることはほとんど無い。」
と書かれているように、斎や齋会を布薩のことだと認識されることはすくなってきています。
そんなことを修行道場で講義をしていたのでした。
講義のあと、円覚寺の塔頭の会議にでました。
円覚寺にはいくつも塔頭というお寺がございます。
それぞれ、円覚寺の世代の祖師をお祀りしている寺院です。
コロナ禍の前までは、その塔頭の開山様のご命日に、山内の和尚が集まってお経を読んでご飯をいただいていました。
コロナ禍となってしばらく中止になっていたのでした。
そこで、これからどうすべきかという話し合いであります。
僧団の運営は、皆の合議によって決めるというのは、仏教教団の古くからの決まりです。
古くは「白四羯磨」と言ったりしたものです。
会に出席していた若い和尚が、開山さまの命日のお勤めは、「齋会」なのだから、お経を読むことが大事だと発言していました。
そこで、私は齋会の「斎」というのは、本来布薩であり、僧侶がお互いに戒を守っているか確かめる儀式を言い、そこに在家の信者も参加して、僧の説法を聞いて食事を供養したことがもとになっていると申し上げて本来の意味を伝えたのでした。
齋会の斎から、布薩の意味が抜け落ち、出家と在家信者と共に戒を守る日だという意識も抜け落ち、そのあと食事を供養することだという、現代の言葉としての御斎、昼食という意味も忘れられて、お経だけ読めばいいという理論になっていたのです。
今の和尚様は、もう齋会というと、お経をあげてご飯を食べることのように思っているのだと改めて認識したのでした。
本来の意味がこのように失われているのであります。
時には原点に返ることも必要です。
和尚様方の会議に出席して、改めて布薩という儀式の大切さを自覚したのでした。
横田南嶺