野鴨たれ
「川は岸に沿って流れているのではない
川の流れに沿って岸ができるのである。」
というのがあります。
かつて花園大学の入学式で紹介したこともある言葉です。
はじめから岸ができあがっていて、その中を水が流れるのではなく、水の流れが岸を作るということです。
入学式では、大学という組織や建物がはじめからあって、それに沿って学ぶというのではなく、学ぼうという思いが先にあって、その思いによって、この大学できたのだと伝えたのでした。
花園大学は昨年創立百五十周年を迎えたのですが、百五十年前、何もないところに学ぼうと思う者たちが学校を作っていったのでした。
はじめから、今のような校舎があって、先生方がいたわけではありません。
お互い一人一人が、学ぼうという思いによって、この校舎が出来、良い先生をお招きして、大学ができてきたのです。
そこで、この私が学ぶ為に大学ができているのだという思いを持って学んでほしいとおもいますと伝えたのでした。
先日修行道場での講座で、まずこの東井先生の言葉を紹介して、
「岸に沿って流れている川」と「流れに沿って岸ができる川」とではどういう違いがあるかを、この春大学を卒業して修行に来た修行僧に質問してみました。
しばし、考えたあとに彼の修行僧が答えた言葉は、私が全く想像していなかったものでした。
「岸に沿って流れている川」の方が、安心感があるというのでした。
ああ、これが今の人の感覚なのかと学ぶことができました。
川は、水が流れているものです。
水の流れに沿って岸ができました。
今の川のように、頑丈な堤防を作って岸をしっかりさせると、氾濫したりしない安心感はあるのでしょうが、水の勢いは劣ってしまいます。
また時には人工的に作られた岸によって、生態系が崩れてしまうこともあります。
水がよどんでしまうこともあります。
勢いよく流れる川はよどむこともありません。
私などは、「流れに沿って岸ができる川」の方が、断然勢いよく流れて、生命の躍動を感じて素晴らしいとばかり思い込んでいました。
安心感、安定感を求めると、それは岸がしっかりできあがってその中を水が流れている川の方がいいでしょう。
この考えを一概に否定できないと思いました。
山道を歩くことを考えると、山に馴れて力のある人は、みずから進む処に道を切り開いて行くでしょう。
しかし、私などのように山に馴れない者は、遊歩道やハイキングコースができていないと不安になるものです。
お若い人のすべてが安心や安定を求めているわけではないでしょうが、こういう考えもあるのだと学んだのでした。
修行道場の問題を考えても、この理論は通じるのであります。
只今の修行道場というのは、だいたい明治の頃にできあがったものです。
それまではありませんでした。
ありませんでしたというのは、修行していなかったわけでもなく、修行する寺がなかったわけでもありません。
どこも寺は修行の道場だったのです。
白隠禅師の頃には、今のような修行道場がありませんでした。
すぐれた老師は、どのお寺にもいらっしゃって、自分が師事したい老師のお寺を訪ねて、そこで寄宿したり、近在の民家や小屋を間借りしたりして修行していたのでした。
それでは不便だろうということで、明治の前後あたりから、修行道場という寺を定めて整備したのでした。
修行僧たちが止宿できる施設をつくり、老師をそこにお招きして参禅できるように整えたのでした。
更に明治以降になると、何年修行すれば住職になれるという制度まで作りました。
これは考えてみればおかしなことなのです。
そもそもお坊さんというのは生涯修行するものでした。
ところが、住職するための修行期間を決められると、あとは修行しなくなってしまうことも出てきます。
ともあれ、明治の前後に修行しようという志のある方々が今の修行道場を作ってくれたのでした。
施設を整えてくれたのでした。
川の流れではありませんが、立派な堤防ができあがった川であっても、そこを流れる水はかすかになっていたり、なかには水が干上がって堤防だけがある場合もございます。
修行道場でも同じ現象が起きています。
立派な施設は整ったものの、中の修行僧がわずかになり、中には修行僧もいなくなってしまったところもあると耳にします。
そんなことを思うと、確かに施設を整え制度を定めたことはよかったと思いますものの、その反面失われるものもあることを自覚しなければならないと痛感します。
大燈国師が「道の為に頭を聚む」と仰せになったように、道をもとめて集まったのだという原点に立ち返ることが必要でしょう。
修行道場、僧堂というものを定めたが為に、他のお寺は修行しなくてもいいように思えば勘違いでしょうし、修行期間を定めた為に、それを過ぎればあとは自由でいいというのも大きな勘違いでしょう。
修行道場の問題は、もう一度原点に立ち返る必要があるように感じます。
摂心の前に行徳哲男先生と対談した折に、行徳先生は、野鴨の話をしてくださいました。
何度伺っても心に響く話であります。
デンマークのジーランドの湖にわたってきていた野生の鴨の話です。
行徳先生は、野生の鴨がどれぐらいの距離を飛ぶのかお話くださいました。
アメリカのNASAが実験をしたところ、その距離は何と1万200km、時間にして1週間と7時間をかけてその距離を飛んでいることがわかったというのです。
さらに驚くのが、この間休むことも寝ることも、そして食べることをしないで飛び続けていたというのです。
そんなたくましい野生の鴨がそのジーランド湖に飛んできていました。
人の良い老人は、この鴨たちに餌付けをしていました。
はじめは、この野生の鴨達が大変な距離を飛んできたことを労うために美味しい餌を用意して与えていたのです。
鴨たちにとっても、毎日おいしい餌にありつけるという最高の環境でした。
そしてこの鴨たちはその環境に慣れてしまって、とうとう飛ぶことをやめて住み着いてしまったのです。
ところがある日、餌をやっていた老人が死んでしまい、餌が食べられなくなってしまいます。
飛ぶことをやめてしまった鴨たちは、飛ぶどころかかけることもできなくなってしまっていました。
そんな時に、近くの山の雪解け水が激流となってこの湖に流れ込んできました。
かつて驚くほどの距離を飛んでいたたくましい野生の鴨たちも今や醜く太り、飛ぶこともできないために、その激流に押し流されてしまったという話なのです。
行徳先生は、安住安泰こそは諸悪の根源だと説かれるのです。
IBMの初代社長トーマス・ワトソンは、この野生の鴨の話に大変な衝撃を覚えて、わずかな社員たちと作った合言葉が、「野鴨たれ」だったと教えてくださいました。
もう一度原点に立ち返って「野鴨たれ」の気概を取り戻さないといけないと思うのであります。
横田南嶺