一粒の麦
前田万葉枢機卿とはどのような方かというと、ご著書『前田万葉句集』にある著者略歴には、
「1949年、長崎県新上五島町(しんかみごとうちょう)生まれ。
カトリック大阪大司教区 大司教 枢機卿。
1975年サンスルピス大神学院卒業、 司祭叙階。
2011年司教叙階。
2014年大司教着座。
2018年枢機卿親任。
祖母方の曾祖父一家はキリスト教弾圧時代に五島列島の久賀(ひさか)島で迫害され、3人が殉教。
祖父はまだ偏見が強く残っていた時代にキリスト教に改宗。 著書に『烏賊墨の一筋垂れて冬の弥撒』 (かまくら春秋社)。」
と書かれている通りです。
枢機卿というのは、「ローマ教皇の最高顧問。枢機卿団を構成し、教皇選挙権を持ち、教会行政の要職などに任ずる。現在は司教中から選出。」と『広辞苑』には解説されています。
枢機卿の大切な役割に、法王が亡くなったり、退位したりしたときに後任を決める選挙(コンクラーベ)に参加することがあります。
新しい法王が決まると、バチカンのシスティーナ礼拝堂の煙突から白煙があがるのです。
投票は八〇歳未満の枢機卿だけだそうで、世界に百二十数名しか居ないというのです。
そんなお方のお一人が前田万葉枢機卿であります。
親任されたのが、二〇一八年でした。
日本では九年ぶり六人目の枢機卿だというのです。
そのような方と、そう滅多にお目にかかれるものではありません。
これはかまくら春秋という月刊誌に、前田枢機卿と私とで連載をさせてもらっているご縁でありました。
前田枢機卿は、心をたがやす聖書の言葉、私が心をたがやす仏典の言葉というのをずっと連載させてもらってきました。
令和三年から連載させてもらっています。
それがこの度それぞれ連載した二十五話をまとめて一冊の本にしてくださるということになったのでした。
その本に載せる為の対談が企画されたのでした。
枢機卿という方と対談するというのですから、本来ならばこちらから先方の大阪の教会に出向くべきでありますが、かまくら春秋社の企画ですので、是非とも鎌倉でという話になったのでした。
枢機卿をお迎えするというので、緊張しました。
時間前にお出迎えしようと外にでると、ばったり枢機卿に出逢いました。
境内を散策されていたようなのでした。
誰かおつきの方でもいらっしゃると思っていましたが、枢機卿はお一人でリュックを背負っていらっしゃいました。
私が驚いて、「枢機卿はお一人ですか」と聞くと、「ええ、一人が好きなのです」と笑顔で答えてくださいました。
この会話だけで、なんとも親しみやすい方だと感じたのでした。
枢機卿は長崎県の新上五島町のお生まれとあります。
仲地というところです。
ここの住民のほとんどがカトリック信者という土地で生まれ育ったのでした。
枢機卿も幼い頃から教会に通っていたのでした。
曾祖父のお話を直接うかがうことができました。
一八六八年「牢屋(ろうや)の窄(さこ)事件」というのがあったのです。
久賀島内の信徒たちが捕らえられ迫害されたのでした。
なんとわずか十二畳ほどの狭い牢に二百名あまりが押し込められたというのです。
畳一枚あたり十七人という狭さです。
横になることもできないのです。
信徒たちは八ヵ月にわたりこの状況を耐えしのんだのでした。
拷問のために三十九名が死亡し、牢を出てから後の死者三名を加えると四十二名の信徒が命を落としたというのです。
枢機卿の曽祖父は、この長い監禁に耐え抜いたのでした。
そんな先祖が命懸けで信仰を守ったことを枢機卿は誇りに思っているというのでした。
ここに信仰生きる枢機卿の原点を見た思いがしました。
連載の最初の聖書の言葉は、
「お言葉ですから
網を降ろしてみましょう」でありました。
枢機卿は、かまくら春秋に
「イエス・キリストの十二使徒の頭になるシモン・ペトロは漁師でした。
イエスに従う前日、シモンは夜を徹して漁をしたのですが一匹の魚も網にかかりませんでした。
舟を陸にあげ、網を洗っているシモンにイエスが掛けた言葉は 「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」でした。
シモンはプロの漁師です。イエスは大工の子どもです。
シモンはその時に心の中でどう思ったのでしょう。
でもイエスの言葉を信じて舟を出し、網がはち切れんばかりの大漁になったのです。
小さな誇りや自負をすてて、時には人の言葉を素直に受け入れる心が大切なのです。」
と解説されています。
この連載のはじめの言葉は、実は枢機卿が二十六歳ではじめて司祭になったときに、選んだ聖句なのだそうです。
司祭になるときに聖書の中の言葉を選ぶというのです。
私たちは、つい「お言葉ですが」「お言葉ですけれども」と言ってしまいがちですが、それを「お言葉ですから」と素直に受け入れる心が大切なのです。
今や枢機卿という高位にある神父様ですが、神父になると決める時には迷ったと語ってくれました。
熱心なカトリック信者であったお父様は、わが子を是非神父にしたいと強く願っていたそうなのです。
神学の学校に入ったけれどもいざ司祭となると迷いが出たと仰っていました。
司祭になると生涯独身を貫かなければなりません。
結婚して家庭を持つという夢もあったと仰っていました。
それを一晩考えに考えて決意されたのだそうです。
自分自身の小さな幸せを捨てて大いなる神の道にすべてを捧げる決意をされたのでした。
そんな思いをうかがっていて、連載の中にある、
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ」という言葉を思いました。
家庭を持つことはできなかったのですが、枢機卿となって日本、アジア、世界のキリスト教徒の方に教えを説いておられるのです。
大きな実を結ばれたのでした。
これは、我という小さな思いを捨てて衆生無辺誓願度、生きとし生けるものを救おうという大きな願いに生きる菩薩の心に通じると思ったのでした。
前田枢機卿という素晴らしい方とめぐりあうことができて感激でした。
連載のご縁でもなければ、私などが、枢機卿というような方に会うことはできなかったでしょう。
ご縁に感謝です。
横田南嶺