円覚とは – 本覚と始覚 –
延暦寺は、延暦七年(七八八年)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まりであります。
開創時の年号をとって、延暦寺となったのです。
もっとも延暦寺と名乗ることが許されたのは、最澄没後でありました。
建仁寺や建長寺なども同じく、年号がもとになっています。
建仁寺は、建仁二年(一二〇二)、建長寺は建長元年(一二四九)の開創なのです。
妙心寺や円覚寺のように、仏教語がもとになっているものもございます。
妙心寺の妙心というと、岩波書店の『仏教辞典』には、
「漢語としては、不思議な心の意。
用例は郭象(かくしょう)の『荘子注』徳充符に見える。
仏典では、主として、悟りを成就した者(仏)の不思議な心をいい、円覚経(えんがくきょう)には「如来円覚の妙心」といい、大方広如来秘密蔵経巻上には「菩提の妙心」の表現が見え、また『楞伽阿跋多羅宝経(りょうがあばったらほうきょう)註解』巻4上には仏の<妙心>を凡夫(ぼんぶ)の<妄心>に対置している。
また、悟りそのものとしての心〔天台八教大意〕、あるいは悟りそのものとしての清浄(しょうじょう)なる心の本体〔直心直説真心異名〕を意味することもある。」
と説かれています。
円覚寺の円覚とは、どういうことかというと、これも『仏教辞典』には、
「まどかな悟りの意で、仏の悟りのこと。
これを主題とする円覚経によれば、<円覚>は大陀羅尼門(だいだらにもん)の名で、これから「一切の清浄なる真如、菩提、涅槃(ねはん)、および波羅蜜(はらみつ)を流出す」という。
禅宗において好まれた語で、たとえば永嘉玄覚の『証道歌』には「諸行無常一切空、即(すなわ)ち是れ如来の大円覚」とうたわれる。
なお宗密(しゅうみつ)は、この悟りの特徴を、分別・念想がない点に見出している。
日本では本覚思想と関連して強調された。」
と説かれています。
円覚経というのが、あってこれはどういう経典かというと、『仏教辞典』には、
「詳しくは<大方広円覚修多羅了義経>。1巻。
北インド出身の仏陀多羅(ぶっだたら)(Buddhatra)が唐代に白馬寺において訳出したと伝えられるが、実際には八世紀初めごろ中国で撰述された偽経。
一切の衆生が本来有していながら悟入できずにいる如来の浄らかな<円覚>(まどかな悟り)を主題とし、中国・朝鮮・日本で広く用いられ、特に禅宗では今日にいたるまで重視されてきた。」
と解説されています。
偽経というとなにやらいかがわしい経典のように思われるかもしれませんが、『仏教辞典』には、
「<疑経>とも書く。
中国や朝鮮・日本でつくられた経のこと。」であり、
「サンスクリット本その他から翻訳された経を<真経(しんきょう)><正経(しょうきょう)>と呼ぶのに対し、翻訳経とはみなしがたい経をいう」のであります。
『円覚経』には、私たちが普段の回向文で読む文章などが出ています。
「円覚普く照らして寂滅無二なり、始めて知る衆生本来成仏なることを」という一文なども『円覚経』にあるものです。
この「衆生本来成仏」なることを、「本覚」と言います。
『禅学大辞典』には「本来の悟りの性、本有の覚性を具えていること」を言います。
平たく言えば本来仏だというのです。
この「覚と不覚」について、『仏教辞典』には、
「すなわち、われわれの心性は、現実には無明に覆われ、妄念にとらわれているから<不覚>であるが、
この無明が止滅して妄念を離れた状態が<覚>である。
ところで、無明は無始以来のものであるから、それに依拠する不覚に対しては<始覚>ということがいわれるが、われわれの心性の根源は本来清浄な悟りそのもの(本覚)であって、それがたまたま無明に覆われていただけのことであるから、始覚といってもそれは本覚と別のものではなく、始覚によって本覚に帰一するに過ぎない、という。」
と説かれるのであります。
先日麟祥院でも小川隆先生のご講義では、はじめにこの本覚と始覚について、『円覚経』を引用して示してくださいました。
小川先生は、分かりやすく、「はじめから仏である」ということは、禅の教えに共通していると説かれました。
そこから別れるのであります。
もともと仏なのだから、修行などという人為的な造作はやめて仏のままでいいというのが、「本覚」の立場です。
はじめから仏なのだけれども、実際にはその状態を見失い、逸脱してしまって、現実には迷ってしまっている。
悟りの体験を経てはじめて、もともと仏だったと言えるというのが「始覚」の立場なのです。
禅の祖師方には、この「本覚」を強調するのか、「始覚」を強調するのかという違いがありました。
本来さとっているのだから、そのままでいいという本覚の立場は、始覚の立場の方から大きく批判されるようになりました。
そんなことを小川先生は、今回大慧禅師の書から示してくださいました。
圭峯宗密という方が、『円覚経』を註釈されたのでした。
「一切衆生皆、円覚を証す」という言葉があります。
そのあとに「善知識に逢い、彼の所作の因地の法行に依りて、その時修習するに、便ち頓漸有り。若し如来の無上菩提正修行の路に遭えば、根に大小無く皆仏果を成ず」と続きます。
宗密は、「一切衆生皆、円覚を証す」の一文を「一切衆生皆、円覚を具す」に替えたのでした。
真浄克文禅師は、これをご覧になって痛烈に批判されたのでした。
円覚という円満な悟りのこころを具えているからといって、これを自覚しないと何もならないというのです。
円覚を具えていても、もし悟らないと、畜生はずっと畜生のままであり、餓鬼は餓鬼のままとなるではないかというのです。
始覚は、『禅学大辞典』によると、
「一切衆生は本覚(仏性)を具有しているが、無明煩悩に覆われていて仏性が顕現しない。これを不覚といい、顕現することを始覚という。」
と説かれています。
本覚思想について『仏教辞典』には、
「また、天台本覚思想で典型的に発展するあるがままの現象世界の肯定の思想もまた、必ずしも<本覚>と結びつかなくても東アジアでさまざまな形態を取って主張されている。」とありますが、「あるがままの現象世界の肯定の思想」は、まさに馬祖の禅に通じますし、日本の盤珪禅師にも通じるのであります。
ありのままでいいのかという問題については度々論じてきたところです。
真浄克文禅師は、同じ黄龍禅師の門下でありながら、平実の禅、便ちありのままでよいと説く東林禅師を批判されていました。
五祖法演禅師は、真浄禅師の語録を高く評価され、そして大慧禅師は、真浄の弟子である潭堂文準禅師に師事されたのでした。
やがてやはり本来持っている仏性を悟らなければだめだということが強調されていったのでした。
これが今の白隠禅師の教えにもつながっているところなのであります。
横田南嶺